こんばんは。
カウンセラーの平です。


このたびの東北地方太平洋沖地震により被災されたみなさまに、謹んでお見舞い申し上げます。
被災地の一刻も早い復興をお祈りいたしますとともに、日々、現場で尽力されているみなさまに心からの敬意を表します。


金曜日の「ラブ・カウンセリング」は、阿部純也カウンセラーが担当しておりましたが、4月からのブログ改編に関連し、3月いっぱいは、わたくし平が担当させていただきます。

4月から金曜日は、みずがき・秋葉が担当いたします。

また、当ブログでは、いつも恋愛や結婚にまつわるお話をお届けしているのですが、先週と今週にかぎっては、震災に関連したお話をさせていただきたいと思います。

 


さて、15年前の阪神淡路大震災のとき、私はいまと同じく、神戸に住んでいました。
しかしながら、自宅が神戸市のいちばん北の端ということもあり、被害といっても、家の壁に多少ヒビが入り、屋根瓦が少しずれた程度で、たいしたものではありませんでした。

ライフラインも比較的早く復旧したので、同じ神戸にいながらも、私は暖房の効いた部屋で、ただただ、テレビの画面ごしに被災地や避難所の風景を観るばかりだったのです。


そして、その悲惨さや痛ましさを知るにつけ、「カウンセラーとして、できるかぎりのことはしたい」と思い、何度も避難所を訪れました。


ところが、そこで被災者のみなさんからいただく言葉は、「私は大丈夫‥‥」とか「もっとたいへんな人を助けてあげて‥‥」といったものばかりだったのです。


テレビの画面の中では、被災者のみなさんのたいへんさ、困難さばかりが目についていたのですが、実際に避難所に行き、私が見たものは、被災者のみなさんの強さや愛の深さだったわけです。


そしてまた、「たいへんでしたね」とか「つらくはないですか?」など、ネガティブなねぎらい言葉をかけても、みなさんは顔をしかめ、首を振られるばかり。


ところが、反対に、彼らの中にある“強さ”や“愛”を認めてあげるような言葉をかけたときだけは、笑顔が戻ってきたのです。


今回の東北地方太平洋沖地震もそうなのですが、阪神大震災のときも、「渦中にあっても、冷静かつ規律正しく行動できる」、「暴動や略奪が起こらない」など、日本人の国民性は外国のプレスなどで賞賛されました。


そして、たとえば、そういうことを被災者のみなさんに話して聞かせてあげると、うれしそうな表情をしていただけるわけです。


同じように、みずからが被災者でありながら、行方不明の家族を探しにもいけず、公務についておられる消防、警察、役場の人々、医療関連の人々なども数多くいらっしゃいます。その、心の強さとあふれる使命感には、頭が下がるばかりです。


そうした、当時、私がお役に立てたことのすべては、被災した人々や、命がけで救出活動にあたっている人々に対し、私が感じた「その人たちの、強さやすばらしさ」を言葉として表現し、伝えることだけだったのです。


人を癒すには、たとえば、心理分析などをするような方法もあります。
しかし、大災害のような出来事が心にもたらすものは、幼児期のトラウマを癒すような方法では片付けられない領域の問題なのです。


それは、たとえば、『おしん』のように、ものすごくつらい人生を送ってきた女性が、ようやくやさしい彼にめぐりあい、明日はいよいよ結婚式という日、最後の打ち合わせのために彼と待ち合わせをしていて、少し遅刻してきた彼が、あなたのもとに走ってこようとした途端、目の前で交通事故に遭って、亡くなってしまったときのようなことかもしれません。


こんなとき、「なんで、彼は死んじゃったの?」という質問には、心理学ではなかなか答えきれないのです。


医学的には、たとえば、「出血多量です」と死因を答えるのかもしれません。
でも、彼女が聞きたいことは、「ようやく幸せになれると思った前日に、なんで、こんな出来事が起こるのか?!」、「私は幸せになってはいけないの?」ということであるわけです。


この哲学的な疑問に答えてあげること‥‥、それも、それが、彼女が納得できる答えでないと、彼女を勇気づけ、励ますことはできないわけです。


ひょっとして、彼女は、「私は神様に見捨てられているのか?」と考えてしまうかもしれません。神様と彼女の関係性というのは、あまり心理学的なこととはいえないのですが、そんな質問があったら、カウンセラーとしてはなんとか答えなければなりません。


そして、私も「だいぶ変わったカウンセラー」と言われているのですが、こうした領域は、カウンセラーそれぞれの個性が大きく関わってくるところでもあります。


今回の東北地方太平洋沖地震から3日後、東北地方に住む、私の10年ほど前のクライアントさんから、泣きながら電話がかかってきました。
なにぶん、私は20数年、携帯電話の番号を変えていないので、思い出してかけてくれたら、つながったのです。


彼女は言いました。
「みんな、流されちゃった。なにもなくなった。どうしよう、どうしよう‥‥!」

とっさに、私の口からは、こんな言葉が出ていました。
「きみの心の奥に、しゃべりかけるから、よく聞いといてね。


 きみの魂は、この時期に東北に生まれることを決めました。
 なぜならば、こうなることを、知っていたからです。


 そして、きみは、みんなの光、みんなの笑顔になるために、
 ここにやってきたので、きみには命が与えられた。
 いまからが、きみの本番で、ここでやりにきたことをするときなんだよ」


‥‥と、まったくなんの根拠もないお話を、彼女にしたのです。
電話口で、彼女はわんわん泣きながら、言いました。


「みんなを笑顔にしてあげたい。
 きょうから私は、みんなの太陽になりたい」


そして、また、わんわん泣きました。
まったく根拠のない私の発言に、彼女は反応してくれたわけですが、私がしたのはただ一つ、彼女のことを、小さくて、弱いもののように扱わなかったことだけなのです。


これが、正しいのか、悪いのかはわかりません。でも、経験上、人はこのように扱われたときに、ものすごく強い力を発揮すると私は知っているのです。