少し前の記事になりますが、パントンの近状についての記事を全訳してみました。



8/6(中国体育报より)



夢を適えるのは厳しいが、敵に打ち勝つため、耐え難い痛みを堪え、
生き残りをかけ、かの地へ向かうーーーー。


4年前のバンクーバー五輪、我が国のペアフィギュアスケーター、龐清・佟健(パン・トン)は
FS「見果てぬ夢」で華やかな世界を演じた。
2人の完璧な技術と重厚な演技は、観客をスタンディングオベーションに巻き込んだだけでなく
当時の国際試合におけるペアFS最高得点をマークした。

曲が終った後、佟健(ジャン・トン)が嬉しさのあまり、氷上にキスをし
パートナーの龐清(チン・パン)を優しく抱擁する姿は、多くのフィギュアファンの
記憶に残っているだろう。
あれから更に4年の月日が巡り、ソチオリンピックを半年後に控えた現在、
2人はなお積極的に戦いに備え、新プログラムを準備中である。


偶然だが、パントンがソチ五輪用に用意したFSの曲は
『I dreamed a dream』  (『 レ・ミゼラブル』 より )で、前回の五輪同様、「夢」という文字が入る。
中国語の訳名は 『追梦无悔(夢やぶれて)』 だが、パントンには違う見解があるようだ。
「私は夢の中で夢を見た…」 そう直訳していると佟健は語った。


先週の金曜日午後、記者が彼らのホームリンク、首都体育館を訪ねた時、
あいにく、佟健は風邪で欠席、龐清一人でジャンプの練習をしていた。
調子は良い感じで、3Tも2Aも成功率・完成度が高かった。
その後、龐清はインタビューに応じたが、彼女は
「FSは順調だけど、SPには振り付けの面で少し問題があった」と答えた。

パントンのSPは『La Califfa』、これは以前、ロシアのベレズナヤ&シハルリドゼ組が
ソルトレイクシティ五輪で金メダルを獲得した時に使用した曲だ。
「最初はソロスピンもデススパイラルも最後にするつもりだったんだけど、後から確認したら
少し時間が足りなくて、デススパイラルをもっと前にしようと考えた」
そのため、パントンはすでに振付師のモロゾフと連絡を取り、北京に来てもらうよう依頼済みだ。
しかし、モロゾフは多忙なため、8月の中旬まで時間は取れなかった。
「彼が来るまで、私達は主に単独のエレメンツを練習し、質をもっと上げるつもりでいる」


怪我や体力は2人にとって無視できない問題で、特に佟健の膝の調子が心配されている。
それに対し、龐清は
「彼の怪我はかなり深刻です。去年も試合で単独ジャンプがずっとうまく跳べなくて…。
でも最近は多少復調し、先週の練習では3Tも跳びました。
私達は物事をポジティブに考えるようにしています。
彼が言うように、常に怪我のことばかりに囚われないよう、考え過ぎないようにしている」
と冷静な表情で話した。

現在、パントンの練習ペースは若い選手に遠く及ばない。
膝をケアしつつ練習していかなくてはいけないからだ。
「練習のペースはきっと若い選手に負けていると思う。彼らはもう音楽に合わせて
全プログラムを通している。私達は早くても9月初旬まで待たなければならないし、
治療を受けながら練習している。練習しすぎると反応が出でしまうんだ…。
多分半月板に問題がある。龐清の体調も要注意だ」
と佟健は語った。

ソチには初めてエースとして臨むため、心理面でも多少なりとも変化があった。
「今回は4度目の五輪だし、若い選手のように興奮することもなく、
気持ちの面で多少の緩みがある。少し自分達を緊張させる必要があると思う」
と龐清は気持ちを上げていく必要性を口にした。
具体的な方法については「お互い要求しあって、励まし合って、きちんと毎日の練習をする」と語っている。

バンクーバーの「追梦无悔/見果てぬ夢」からソチの「我曾有梦/I dreamed a dream」へ
身体、年齢、心境…様々な面で変化があったが、変わらないのは
2人の勝負に対する飽くなき執念、そしてスケートに対する
どこまでも無垢な「夢」である。