撮影したのは、ジョー・オダネル氏。
彼は第二次世界大戦に従軍後、アメリカ空爆調査団の公式カメラマンとして訪日。
長崎や広島を歩き、日本と日本人の惨状を目の当たりにしたと言われています。
暗殺されたケネディの棺の前でジャクリーンが息子ジョンに「敬礼」させた写真も
彼の手によるもので、あまりにも有名ですね。
「焼き場に立つ少年」をはじめとする日本の市民を撮影した彼のネガは、
検閲を免れるためフィルム箱に納められオダネル氏のもとで保管されていたそうです。
この写真を見たとき、私は言葉を失い
ただただ、あふれてくる涙を拭うばかりでした。
幼い弟の死も哀れですが
その亡骸を背負う少年の直立不動の姿勢
血が流れるほど強く噛みしめた唇
何かを見つめる目
物言わぬ彼の姿に胸を打たれます。
ただ単にかわいそう、、という気持ちではなく
おそらく両親も亡くしたと思われるこの少年の
このような悲惨な状況においてなお
自分の強さと決意をもった魂の気高さに
深い慈しみと感動をおぼえるからです。
平和というのは
一人ひとりの命の尊厳が守られてこそのものだと
あらためて強く思います。
以下は新聞記事からの抜粋です。
「焼き場に立つ少年」
1945年9月―佐世保から長崎に入った私は
小高い丘の上から下を眺めていました。
10歳くらいの少年が歩いて来るのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられます。
しかも足は裸足です。
少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクの男たちがおもむろに近づき、
ゆっくりとおんぶ紐を解き始めました。
この時私は、背中の幼子がすでに死んでいるのに
初めて気づいたのです。
(中略)
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それからまばゆいほどの炎がさっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、
直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に
血がにじんでいるのに気がついたのは。
少年があまりきつく唇を噛みしめているため、
唇の血は流れることもなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、
沈黙のまま焼き場を去っていきました。
「ネガにうつった日本人に笑顔はなかった。幸せなんてどこにもなかった」
(ジョー・オダネル)
Joseph R O'Donnell(インタビュー・文 上田勢子)
「写真が語る20世紀 目撃者」(1999年・朝日新聞社)より