JOHN PAUL JONES | KANSUKE'S BLOG

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ジョン・ポール・ジョーンズ(John Paul Jones, 1946年1月3日 - )イギリスのミュージシャン。
ロックバンド、レッド・ツェッペリンのベーシスト。
本名はジョン・ボールドウィン(John Baldwin)。愛称は「ジョンジー」。

ジョーンズはケント州シドカップで生まれる。ジョン・ポール・ジョーンズの名は友人であったアンドリュー・ルーグ・オールダムがフランスで見た映画ポスターから思いついた。
ジョーンズは父親からピアノを習った。父親のジョー・ボールドウィンは1940年代から1950年代にかけてアンブローズ・オーケストラなどのビッグバンドでピアニストおよびアレンジャーとして活躍した。彼の母親も音楽ビジネスに関わり、家族は共に英国中を演奏旅行出来る環境にあった。ジョーンズの興味はビッグ・ビル・ブルーンジーのブルースやチャールズ・ミンガスのジャズ、ラフマニノフのクラシック・ピアノまで及んだ。彼はケント州のクライスト・カレッジ寄宿学校で正式に音楽を学んだ。14歳のときに地元の教会で聖歌隊指揮者およびオルガン奏者となる。同年彼は最初のベースギター、フェンダー・ジャズベースを購入した。シカゴのミュージシャン、フィル・アプチャーチの流暢な演奏はジョーンズにベースギターの演奏を決心させ、彼はフェンダー・ジャズベースを1975年まで使い続けた。
イメージ 2ドノヴァンの「ハーディ・ガーディ・マン」のレコーディング・セッション時にジョーンズはジミー・ペイジと出会い、彼らはヤードバーズのアルバム『リトル・ゲームズ』で共に仕事を行った。タイトル曲の「リトル・ゲームズ」でジョーンズはチェロを演奏し、オーケストラのアレンジを行った。アルバムは商業的に失敗したが、これを機にジョーンズとペイジの親交は深まることとなる。一年後、クリス・ドレヤがヤードバーズを脱退し写真家になることを決心し、ジョーンズはペイジの新しいバンド、ニューヤードバーズのベーシストの第一候補となった。バンドは後にレッド・ツェッペリンとなる。既にキャリアを確立していたセッション・ワークをやめ、未知のバンドに参加することはジョーンズにとって相当な賭けであったが、自身の芸術的創造の欲求には逆らえず、また夫人の後押しもあり、最終的にバンドへと参加した。バンドへのスポットライトはロバート・プラントおよびジミー・ペイジに集中しがちではあるが、彼の性格、音楽的才能および経験はレッド・ツェッペリンの成功に多大な貢献をした。近年、「コード中心或いはコード分解系のリフはペイジ、ベースライン中心或いは単音系のリフはジョンジー」と言うことがジョーンズによって明かされており、またアレンジの面でも多大な貢献が予想されることから、作曲の面でもジョーンズはツェッペリンに欠かせない存在である。
ジミー・ペイジとの軋轢から再結成には消極的である。また、ペイジ・プラント発足の際に声も掛けられなかったらしく、新聞で読んで初めて知ったとのこと。これを受けてジョーンズは後の再結成の際「今回は僕の電話番号を忘れないでいてくれてありがとう」とかつての仲間達に皮肉を言っている。
ジョーンズの真価は、ベーシストとしてのその抜きん出た超一流の実力で、「幻惑されて」での沈み込んでいくようなベース、「レモン・ソング」「強き二人の愛」でのファンクの影響を受けたリフ、「ブラック・ドッグ」でのパワー・クランチなど、多彩な演奏を行った。1975年にフェンダー・ジャズベースをリタイアさせた後、彼はカスタムデザインのベースを使うこととなる。ベーシストとしての彼のプレイはどちらかと言えば堅実なものと捉えられがちであるが、その堅実とも思われるプレイの裏にはペイジやボンゾの奔放なリズム感をバンドの音として纏め上げる優れたリズム調整感があり、60年代のベース・スタイルを創ったジョン・エントウィッスルやポール・マッカートニー、ジャック・ブルースなどの偉大なベーシストらを驚かすものであった。また、セッションマン時代に培われた多彩なプレイスタイルも彼の魅力の一つであり、指弾き、ピック弾きを曲調に合わせて自由に使い分けることが出来る彼の能力はツェッペリンにおいて欠かせないものであった。イメージ 3
ジョーンズはベースギターの他に、キーボード、オルガン、メロトロン、ギター、マンドリン、バンジョーなど多くの楽器の演奏を得意とするマルチプレイヤーであり、特に彼のキーボード演奏はレッド・ツェッペリンに単なるハードロックバンドではない多様性を与えた(「レイン・ソング」におけるメロトロンや「ノー・クォーター」におけるローズ・ピアノなどが知られている)。ステージ・パフォーマンスでは「ノー・クォーター」での30分にもわたる「アメイジング・グレイス」や「くるみ割り人形」、「さくらさくら」などを織り交ぜたキーボードソロを演奏した。さらに「カシミール」での東洋調音階にジョーンズの幅広い嗜好が顕著に表れている。グループでの彼の多様性は、トリプルネック・ギターを含むさらに多くの楽器演奏に及ぶ。
ジョーンズは同じくレッド・ツェッペリンのドラマーでリズム隊の相棒であったジョン・ボーナムと一緒にプレイしていた時の事を回想して次のように語っている。「ジョン・ボーナムと僕は、乗せたいところへ自在にビートを乗せるのがかなり上手かったんだ。拍子に対してビートを自由に移動させられるという事を知らない若いミュージシャンが最近は多いけど、僕たちはそれをしょっちゅうやっていた。それが曲の緩急を変えていくのさ。でもそれは頭で考えていた訳ではなく、自然にやっていた事だ。ただ、時にはそれをやっているのがハッキリと頭で解る事もあってね。そういう時は逆に、普段の自分達がどこまでレイドバックしてやれているかが解って面白かったよ。例えば、曲の中でもうちょっと切迫した感じが必要だけどそれ以上速くなってはいけないセクションがあるとする。そういう時は少しだけビートを前へズラして、せき立てる感じにはするけど、速さはそのままにしておくんだ。逆に、徐々にスピードアップさせる場合もあるね。ずっと同じテンポでいるべし、などとはルールブックに書かれてないからさ。『天国への階段』は自然と加速していくけど、それは曲の緩急の一端を担っているんだ。そうしてはいけない事は何もないんだよ」。また、彼は「ジョン・ボーナムと一緒にやっていた時、僕は自分のサウンドとラインがドラムを補って完全な『リズム』となるよう心掛けた。彼も僕に対してそうあろうとしていたのは解っていたし、2人ともリズム体を一つのモノとして捉えていたよ。バンドがいかに良い音を出すかというのが肝心な点であり、僕たちは出来る限りジミー・ペイジとロバート・プラントを引き立てようとした。ジミーがソロを弾いていたら、僕たちはシッカリとしたバッキングで彼のソロを支える。でもそれは、紙に書き出しておいた計画ではない。バンドに対して完璧に一生懸命だっただけなんだ。」。
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John Paul Jones 『The Thunderthief』 http://www.youtube.com/watch?v=NSZXPND0VmM
John Paul Jones 『Triple neck song』 http://www.youtube.com/watch?v=X_jO5JCS-eY