今日で1ヶ月のバリ滞在。
大腿骨骨折して20日が経った・・。
どうせだったら1ヶ月は行きたいな〜の夢が叶ってる最中
〜闘病日記③の続き〜
無事にオペが終わり、退院までの4日間は
初めの1日はまだ意識が朦朧としていたけど、
色々な人の優しさや温かさ、愛に気づく時間だった。
この病院は日本人看護師さんは全くいないから、
インドネシア語が話せる知人がいない時は、
ドクターや看護師さんとは、常に自動翻訳機。
今は携帯にはほとんど翻訳機入っているのかな・・。
これはどれだけ便利だったか・・。
ただ唯一、この病院はWIFIがほとんど使えない。
大きな病院で、受診に来ている人もお見舞いに来る人も多いようでほとんど繋がらない・・。
だから旅行でバリにくる場合、デジタルデトックスも必要だが、いざという時の為にWIFIは必要ね。
私は現地のを持っているけど、頻繁にお金をチャージしていた。
*日本とのやりとりにも、自動翻訳にもWIFI使うから・・。
バリでは日本人の看護師さんがいる病院もあるけど、
そこでもし同じオペと入院をしたら、倍くらいかかるらしい。200万円くらい・・・?だって言ってた。
保険に入っていたら行けそうだけど、
例えばクレジットカードに付帯のタイプとかは、先に全部自分で支払う必要がある。
今回、国民保険からも何割か出るという情報をくれた。
国民保険はどうか分からないが、私は社会保険。
スタッフちゃんが確認してくれたところ、微々たる部分が出るくらいですと言われたらしい。
実際、今いる場所でご一緒した日本人の方も、怪我した際にそうだったようだ。
あまり大きな期待はせず、必要書類だけは用意しておこう。
これもまた、さえこさんがいてくれたからできることで、言葉の壁が大きすぎて(専門用語と日本のようでないバリ)、一人ではできないだろう。
もしもの時はやってくれる人を探さないとなかなか大変かも。
入院中、日本に行き待ちの看護研修生の子供たちがボランティアに来てくれた。
日本にいっぱい夢を抱いている姿が、微笑ましくも、なんだか
「大変だな・・頑張れ・・・」って思った。
麻酔科のドクターが最後の検診に来てくれた。
ここの先生たちはみんな若い。
そしてなぜかずっとリュックを背負ったまま・・。
整形外科のドクターも30代だろうな・・。
随分ノリが良い先生だったけど・・写真撮り忘れた
自分のスマホでGoogle翻訳で説明や話してくれて・・
バリは本当にインターナショナルで、国際色豊かだからか、全然それが普通だった・・。
手術後4日後・・今日退院して!と言われ、、
えっ・・まだ全く歩けないんですけど・・。
まだ頭もクラクラするし、歩行器の使い方も殆どわからないのに・・今日
バリはお産も翌日には退院らしいし、かなりスパルタだとは聞いてたけど、バリはガルンガン(お盆の入りみたいな)の大きなお祭りの始まりで、バリ人は数日みんな忙しいし、お手伝いしてくれたさえこさんも実家に帰り、みきさんもドライバーさんが動けない・・・・。
お願いしてもう1日だけ居させてもらい、
滞在場所を探し、退院準備に・・。
退院の日、みきさんのお友達のちあきさなんが車を出してくれ、アスタワさんは夕方田舎に帰るまで・・・と
私の次のゲストハウスまでみんなの力を借りて無事退院になった・・。
続く・・・
こちらは今月10月26日・27日の沖縄でのイベントを
サラ先生がご紹介してくださってました!
私も・・沖縄まで行けるように頑張る・・