3号倉庫

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名前の通り倉庫です。著作権放棄しません。

このところアメブロやる時間がとても少なくなってる

 

文章は毎日とても沢山書いているのだけど

 

コロナ渦を生き延びるためクラウドワークなどで書く割合が99%になりアメブロに手がついていないね

 

それはそれとして

 

7:30朝食を取りながら見たテレビニュースでイテウォンハロウイン雑踏事故から今日で1年になるとアナウンサーが喋っていた

 

娘を失って1年になる父親のインタビュー

 

「いまも責任者がハッキリしない」

 

「娘は何も悪くないのに・・・・」 と。

 

ここからは僕の個人的考え

 

確かに哀しみは伝わってきたよ

 

涙が出たよ ほんとうにね

 

だけど敢えて言わせてもらうよ

 

「娘は何も悪くない」

 

それも確かに本当だけど 

 

その先が重要じゃないかい?

 

「娘は何も悪くない」けど誰か悪い人がいたのかい?

 

「誰も何も悪くない」

 

それが真実じゃないかい?

 

そしてそれが事故というもんだろ?

 

この事故に出逢った人たちを想像してみる

 

家族連れ 恋人たち 仲の良い友人同士など

 

そんな人たちが多かったんじゃないかな?

 

これはさ「家族じゃない人」「恋人じゃない人」 「グループと仲間じゃない人たち」を家族や恋人や仲間と同じように見てるかな?

 

交通事故に相似形を見る気がする

 

交通事故が起こると「原因」を特定し「被害者」と「加害者」の「責任分担」を作り出すよね

 

このハロウインの雑踏事故の問題も同様なベクトルで進行させようとしている

 

これは西洋医学と東洋医学に喩える切り口が良いと思う

 

西洋医学は対症療法に近く東洋医学は根本または根源療法と説明されることが多いね

 

痛みがあれば痛み止め的な西洋療法が雑踏事故のベクトルであるとするならば

 

根源的なハロウイン雑踏事故の理解はどうなるのか?

 

交通事故に対して子供たちに教える安全教室の標語「おもいやり」「ゆずりあい」

 

これが相似形をなすベクトルとしてこの先にあるいは根源的な解決もしくは理解に通じるのではないかと考えるよ

 

家族連れ 恋人たち 仲の良い友人同士 が

 

「家族じゃない人」「恋人じゃない人」 「グループと仲間じゃない人」との間に

 

無意識に作ってしまうこの壁が

 

安全教室の標語「おもいやり」「ゆずりあい」を阻害したことが真の原因じゃない?

 

ハロウイン雑踏事故には加害者はいない

 

もっといえば被害者が加害者である

 

これはTVニュースを見ている僕たちにも問いかけている

 

傍観者もまた加害者になり得る  と

 

東京オリンピック

 

コロナ渦の中開催された意味は

 

「犠牲者が出ることは間違いなく誰もが認識していた」

 

「それでもオリンピックは楽しいから開催する!たとえ犠牲者が出ても」

 

ほら

 

「おもいやり」「ゆずりあい」を阻害していなかったかい?

 

もう次のアクシデントは用意されていて現実そうなってしまっているだろう?

 

傍観者も加害者なんだと気がつかなくてはならないと思うよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エールカードをもらう

 

ブロ友さんの所から

もらってみました

連想してしまったのは・・・

映画「カイジ」

カイジは「ゆうき」に導かれてたのに

正しい道って英語でブレイブマンロードと訳するのかな?

 

天海ゆうき

 

ね。