たとえば『木更津キャッツアイ』のバンビ。あるいは『ハチミツとクローバー』の竹本。もしくは『ヤッターマン』のヤッターマン1号。人それぞれ違うと思うが、「櫻井といえばこの役」と、キャラクターそのものの印象が強く残る作品にいくつも出会っている櫻井翔。これまでの作品では、不器用だけど愛嬌たっぷりの青年役などで青春を背負わされることが多かったが、8月27日に公開される『神様のカルテ』ではまったく新しい芝居を見ることができる。


現役医師である夏川草介の小説を深川栄洋監督が映画化した『神様のカルテ』で、櫻井は地方医療に従事する医師、生と死に直面しながら、生き方を模索していく人物なのだが、ちょっと特異なキャラクターでもある。なにしろ、夏目漱石を愛読するばかりに口調は古くさく、外見には無頓着で、病院では変人扱いされているのだ。さらに、手の施しようのない患者、安曇さん(加賀まりこ)と向き合い自分のすべきことを悩み続けるというストーリーもあいまって、撮影中は「相当追い込まれた」という。


今年初めのCUTのインタビューでは、「これまでは、役が普段の生活にまで引きずられるっていうことはあまりなかったんだけど、今回はなるべく引きずろう引きずろうとアプローチしたんです。一止の身体の動かし方とか目線の動かし方とかを忘れちゃうのが嫌だったから、現場から離れるときも、自分と深川監督で作った栗原一止の動きみたいなものを練習し続けたっていう感覚というか。香り出る部分で一止を感じてもらいたいなあと思ってたから、ポンってスイッチを押して一止になるっていうよりは、立ってたり、座ってるだけで一止がそこにいる、みたいな状態にしたかった」と語っている。


劇中の一止は、ぶっきらぼうなポーカーフェイスで、表情もめったに動かない。しかし、佇まいや纏う空気間だけで胸の奥にある気持ちが伝わってくる。「監督のおかげだ」と櫻井は言うが、これってすごいことだ。役者として、確実に新たなステージに立ったと言えるだろう。



C:『神様のカルテ』を観た感想を教えてください。


S:原作を読んだときしかり、脚本を読んだときしかり、俺のイメージでは、ちょっと霧がかってるんだけど、あったかくて穏やかでゆるやかな時間の流れる素敵な作品だなあと思っていて。映画を観ても、ものすごい大どんでん返しがあるわけでもないし、派手なクライマックスがあるわけではないけど、心に残る作品だなあと思った。あとは、エンドロールで自分の名前がクレジットされてるのがすごく嬉しかったです。


C:今年初めのCUTのインタビューで、『神様のカルテ』について、「周りの人がターニングポイントになる作品になるよ、と言ってくれて嬉しい。自分ではどうなるかわからないけど、ひとつの‘節目’にはなると思う」とおっしゃっていました。映画が完成してみて、『神様のカルテ』ではどんな武器を備えることができたと思いますか?


S:残った結果ということに関しては、ちょっとわかんない。だけど_まあよく言ってるんだけど、胸にパンパンの水風船抱えてる感じというか、部活で言うとタイヤを腰に巻いてグラウンドは知ってる感じっていうのは(笑)、ずーっとあったから。苦しみながらも走り抜いてみたっていう、その過程への達成感っていうのは今残ってるけど、武器が何かはちょっとわかんないんだよなあ。


C:舞台『ウエストサイドストーリー』(04年)のときは、「感情の記憶を引っ張り出して涙が流せるようになった」とおっしゃっていましたけど、そういう新しい引き出しが増えたっていうことはなかったですか?


S:ああ、そういったことで言うと・・・ほんとに初めてのことばっかりでしたよ。安曇さんが亡くなるところしかり、御嶽荘の別れのシーンしかり、そのまま素直に気持ちに従うとさ、どっちもやっぱり泣いちゃいそうになるんだよね。だけどその気持ちを上からグングングングン押しつけて、出さないようにっていうのは、やったことなかったから。そういった意味では、勉強になったことや吸収したことがたくさんあるんだと思う。だから、いつか別の作品をやったときに、具体的に感じられることなのかもしれないですよね。


C:今回は、日常生活にまで役を引きずろうと意識したそうですが、完成した映画を観て、櫻井さんの目に一止はどう写りましたか?


S:えーっ。客観的には見られなかったんだよねえ、正直。なんでかっていうと、2時間ぐらい観ている中で、「あっ、こんなこと俺やってたんだ」とか、「こんなふうに映ってたんだ?」みたいなことがなかったから。監督のもとでワンカット・ワンカット、細かく細かく作っていたから、全部覚えてるんだよね。


C:じゃあ、映画を観てハッとしたシーンというのはありましたか?


S:うーん、不意打ちっていう意味でのハッとするシーンはなかったけど、「ああ、いいシーンだなあ」っていうのは何個もあった。台本読んだときから好きだったんだけど、「ただいま、ハル」「お帰りなさい、イチさん」のやりとりがすごい好きだったんだよなあ。何でもない日常なんだけど、映画で観てもすごい好きだった。


C:その胸キュンポイントはどういうところだったんですかね。


S:なんかね、現場で監督と、「こういうセリフって、その人の裸の部分というか素の部分というかが、思いっ切り出ちゃうよね」みたいな話になったんだよね。だからなのかなあ。スクリーンでそのシーンを観たときに「普段この人はこういうふうに言ってんのかなあ」って思えたっていうか。


C:そこは客観的に見れたところだったんですね。


S:なんなんですかね、よかわかんないんだよ(笑)、客観的とか主観的とか。いろんなことがグッチャグチャになってるから、自分の感じ方が難しいんだよね。スクリーンの世界に酔える瞬間もあれば、途端に自分の記憶のなかにあるものが出てくるときもあるしさ。まだちょっと整理できてないんです。


C:『神様のカルテ』の経験を経て、改めて「演じること」とはどんなことだと思いましたか?


S:・・・わっかんない!(笑)今回に関しては、一止っていう人物を-もちろん自分ひとりではないけど-作りあげていくっていうことに手いっぱいだったっていうか。だから、やり切ったとは思ってるんだけど、演じ切ったのかどうかっていうのはわかんないんだよね。今回に関して言うと監督のお陰だけど、自分と向き合う時間だったし、一方で自分を押し殺す時間だったっていう・・・イビツな経験だったんだよねえ。だから、俺まだ演じるっていうことを定義できてないかも。いつできるのか見当もついてないけど(笑)