櫻井翔、1982年1月25日生まれ。嵐のメンバー。アイドルであり、キャスターであり、役者であり、バラエティタレントであり、アーティストでもある。


「報道番組のキャスターとして自ら取材をし、教養番組で司会をこなし、バラエティで笑いを取り、ラップのリリックを生み出し、5大ドームツアーで歌って踊る。これらすべてをアイドルという特殊な表現者のまま同時に成立させ、しかも120%の結果を出してしまう人が、かつて存在しただろうか。まさにアイドルの概念を根底から覆し、前人未到の地を切り開こうとしている」


これは、2008年のCUTに登場してもらったときの前書きだが、あれから3年、その活動の濃さはとどまるところを知らずに変化し続けている。アイドル行をベースにしながら仕事のジャンルを広げていくのは並大抵の事ではないとは思うが、それぞれの仕事に懸ける思いは、今、どのように変化したのか。それを探るべく、櫻井翔を4人の人格にわけ、質問表を本人に渡して、1問1答形式でインタビューさせてもらった。


アイドルが歌う楽曲は、優れたポップソングであることが多い。そりゃそうだ。精鋭のトップクリエイター達が楽曲を作り、時代を象徴するアイドルの歌によってキラキラと輝きを放つのだから。デビュー以来、嵐はさまざまな音楽的トライアングルをしてきたが、5人が‘歌うこと’自体がメッセージになる楽曲が増えてきたと、櫻井は2009年のCUTのインタビューで語っている。


「自分たちがいただく楽曲を見ると、人の背中をポンと押せるものが増えたんだけど、何でこんなに説得力を持って聞こえるのかなあって思って。(嵐のそれまでを振り返って)苦労なんて仰々しいものじゃないんだけど、ちょっと焦りとか、もどかしさを感じていた時期があるからこそ、説得力を持って歌えるし、説得力を持って聞いてもらえるんじゃないかって。ひとつひとつ真摯に着実に、きちんと物事に向き合っていれば、いつか実を結ぶ、ということを投影しやすいアイドル像なんじゃないかなあと思ったんだよね」


さらに嵐の楽曲が特別なのは、ラップが入る曲が数多くあるということ。そのラップ詞のほとんど全て櫻井が書いており、基本的には人に書いてもらうアイドルの歌に意思が生まれているというところだ。特に嵐のセンチメンタルさを増幅させるリリカルなラップは素晴らしいと思う。


3・11の震災後、3分間で心を動かす事のできる音楽の存在意義が再認識されたが、7月にはニューアルバム『Beautiful World』を発表した嵐、そして櫻井翔は、いちアーティストとしてどんな役割を担おうとしているのだろうか。



C:『Beautiful Word』というタイトルは櫻井さんがアイディアを出したとお聞きしました。一体どんな思いが込められているのでしょうか。


S:前作のアルバムが『僕の見ている風景』っていう日本語のタイトルで、タイトル自体にメッセージがあったから、そこからつながるタイトルがいいねえみたいな話をしていて。みんなで案を出しているなかで、俺が『Beautiful World』って言い出したんだよね。で、メンバーも含めて多数決取って、結果このタイトルに落ち着いたから、「今回は『Beautiful World』でいきたいです」「はい、わかりました」っていうことじゃないんだ。みんなでいっぱい案を上げて、俺のが採用されたっていうだけだから、俺の言う『Beautiful World』って言う意味が、同調してくれた他の4人が思っている意味とは違うかもしれないんだけど・・・。タイトルをつけたのは、確か3月末ぐらいだったんだけど、このアルバムが届く先に待っているものがBeautiful Worldだったらいいなっていう、希望とか、祈り、願いを込めてのものなんだよね。そして、俺らの楽曲を聴くことができなくなってしまった人たちのその先が、Beautiful Worldだったらいいなっていうことなんです。


C:アルバムを出すたびに進化する櫻井さんのラップ詞には驚きます。韻を踏みながらも情景が見えるリリカルなラップ詞を書く。しかもアーティスト然としているものではなく、アイドルならではのラップという、新たなジャンルを確立しています。それは櫻井さんの発明でもあると思いますが、常に進化しようということは意識されていますか?


S:うーん、意識はしてないです。だけど、押韻の操り方が柔軟になっていって、それは以前とは違うアプローチで書けてるなって思うのが、アルバムを出すたびに自分で発見する事かなあ。


C:『ALL or NOTHING』(02年)の頃からどんどん変わってますよね。


S:そうだよねえ。だから、進化を目的とはしてない。だけど、制作していくなかで、自分の頭のなかでコントロールできる事が増えてるっていうのはあります。


C:嵐がやるラップの意味と意義を、今改めてどう捉えてますか?


S:嵐がやるラップの意味と意義はわかんないけど、俺がやる、櫻井翔がやるラップの意味と意義って言う事に関して言うと_この間、アルバムを作り終えたあとに、昔からのレコード会社のスタッフがメールをくれたの。やっぱり俺らは歌詞もトラックもいろんな人に書いてもらってるけど、そのなかで、自分たち発として、嵐からのメッセージとして発信できる装置としての役割っていうのはあるよねって。で、まあ、そうなのかもなあ、とは思っている。


C:これまでも、それを意識して作ってきたわけではないんですか?


S:入り口としては、せっかくラップをやらせてもらうなら、自分で書いたほうがいいっていうところだったのね。「ラップしたいからラップする」っていうのが一番最初の動機だったの。で、それは今もあんまり変わってないんだよね。基本的には、楽曲の持つ世界観に沿って、かつ広げるっていう目的でしか書いてなくて。与えられたものだけじゃなくて、自分たちからのメッセージを発信したい、だから俺が書くっていう理屈じゃないんだよ。だけど周りの人からしたら、結果そういう意味を持ってきたっていうことなのかも知れない。


C:なるほどね。


S:ただ、今回のアルバムに関してはちょっと違った。なんていうのかなあ、未来永劫残る楽曲のなかで、その瞬間にしか届かない、その瞬間にしか効力を持たないものを書くべきではないっていう意見も、もしかしたらあるかもしれない。けど、今回に関しては、ラップをリリースした1週間後、ひいては翌々日でもいいんだけど、_仮にそこで意味がなくなっちゃう言葉になったとしても、ほんの1日、ほんの数時間でも効力を持つメッセージなら、届けたいっていう思いが強かったんだよね。


C:その思いによって、作り方は変わりました?


S:うーん、作り方は変わらないかな。やっぱり、あくまでも楽曲の枠内から、楽曲のメッセージからは、はみ出ない範囲で収めたつもりではいるけど・・・もしかしたら思いがはみ出しっちゃってるかも知れないね。


C:嵐はこれまでにも様々な楽曲のトライアルをしてきましたが、今、もしくは今後、「誰かの人生のサウンドトラック」になるためにう歌うべき楽曲は何だと思いますか?


S:これはもう、この数ヶ月、禅問答のように考えに考え続けた。だけど・・・結局の所、誰かの人生のサウンドトラックになるために歌うべき曲ってないんだよね。初めて震災のあとにテレビで歌った曲は‘果てない空’だったんだけど、あの曲も、もともとそういうときが来たときにそういう人たちに届くように作った曲じゃないし。『Happiness』『感謝カンゲキ雨嵐』『きっと大丈夫』を聴いて元気が出たって言ってもらえたんだけど、これも何年も前に出した曲だし。やっぱり、俺らが動機を持って、届ける相手を選んで楽曲を作るっていうのは、驕りとエゴなんだと思うんだよね。だから、○○になるために歌うべき楽曲っていうのは存在しないんだと思う。


C:嵐が歌えばどんな楽曲も光が放たれるっていうのは、アイドルならではの特徴ですかね。


S:だから、聴いてもらった人、受け取ってもらった人にそう感じてもらえたらいいなあっていうのは、ずっと変わらない。だけど、動機を持つのはやっぱり驕りになっちゃうかなあっていうのが結論かなあ。