私が娘を育てることを諦めたのは、彼女が生後3日の頃なので、

思い返すとそんな頃から、娘は自己決定を自分でしてきました。

 

「もうおっぱいは飲まないの。」

えっ、お兄ちゃんの時は、飲み疲れて寝ちゃっても(低体重出生児なので、すぐ疲れて寝てしまうのです)、

起こすとまたがんばって飲んでくれたよ??

あなた、バリバリ起きてるのに、一回やめたら絶対飲まないね。

 

「げっぷはもうしたの。」もしくは、「あとでしとく。」

えっ、お兄ちゃんの時は、勝手にげっぷするとかあり得なかったんだけど。

縦抱きして、背中さすってあげたりすると、かわいくげぷーってしたんだけど、

あなた、ほとんどそれ関係なくげっぷしてるね…。

(抱き上げてる途中でするのはやめてよ、びっくりするわ)


 

 

「………」(もう寝てる!)

ママ、もうちょっと新生児室にいたかったのに(母子別室だったのです)、

あなたが寝ちゃったら、追い出されちゃうんですけど、

もう起きないんだ…。

 

いくらこちらから働きかけようとも、一切の干渉を拒否、全身全霊でわが道を突き進みます。

そして、結局、それで上手くいきます。

 

聞いてもふんわりとスルーして好きなようにしている息子と違って、ハッキリと嫌そうな顔をする娘に、私は3日で、

「あぁ、この子は、『育てる』んじゃない、『育つ』んだな」

と思い、

「この子を受け止められるお母さんになろう」

と決意しました。

 

運動会でダンスを踊るか否か、

おけいこは何をいつやるか、

中学受験をするかどうか、

いつどのくらい、どんな勉強をするかなど、

自分だけに関することは当然として、

どのマンションに引っ越すかなどの、わが家にとってかなり重要な意思決定においても、

彼女はとても大切な役目を果たしてきました。

 

いろいろな悩みを抱えた時、私はよくこどもたちに相談をして、二人ともとても興味深く役に立つ回答をくれますが、

特に娘は、面白さのみならず、普通に私より素晴らしい思考力や調査能力をもってしてアドバイスをくれるので、とても頼りにしています。

 

 

 

そうやって、様々な決断を確固たる意思でしている娘ですが、

娘がわりとどうでもいいと思っていることに関しては、とにかく決めません。

「どっちでもいいかな」

の一点張りです。

私は一緒にいる時間が長くて、もう慣れたので、

「じゃあ、ママこれ食べたいからこっちにするね」

などと、私の方で決めてしまうのですが、

夫はまだ慣れず、できるだけ娘の希望に沿いたいと思うあまり、なかなか夫の方で決めてしまうことができないので、

いつまでもいつまでも、

「どっち?こっち?」

「どっちでもいい・・・」

という不毛な時間を過ごすことになります。

私も最初かなり困ったので、気持ちはわかるのですが、

大丈夫、あの子、どっちでもいいことに関しては、本当にどっちでもいいんだよ。


ということがよくわかる、小学2年生の時の、ある日の娘の日記です。

 

 



 

 

 

ハッピーかラッキー

 

 ハッピーかラッキーはくまです。かさをもたせるとかわいいです。おしゃべりします。〇〇のことを「〇っ〇ちゃんと言います。首にリボンをまいています。

 でも、さいきんは、しゃべっていません。さみしい時におしゃべりしようと思っていたけど、ぜんぜんさみしくなかったからです。ずっとしゃべっていなかったから、名前がハッピーかラッキーか、わからなくなってしまいました。ママに聞いても、ママも、わかりませんでした。「名前わすれちゃってごめんね、ハッピーかラッキー。」と思いました。でも、もう一度話してみたら、ハッピーだと言ってくれました。

 わかってよかったです。

 

 

 

最近、娘と、このくまちゃんの話をした時に、娘、

「ラッキーだったと思う」

と言っていました。