2匹の小型犬と一緒に暮らしていますが、
下の子が、この春で4歳になります。
なんだかいつまでも赤ちゃん気分なので、4歳なんて言われると本気でびっくりしてしまうのですが、
それを息子に言うと、
「ぼくは自分が今度17歳になることにびっくりしちゃうよ」
と返ってきました。
「まあねー、もうすぐ成人が見えてくるね」
と返すと、
「いや、正直、成人年齢、20歳でよかったと思うよ」
と言います。
まぁ、なんて気概のない。
そろそろオトナとしての自覚を持ち始めたまえよ、と思いますが、
「だってさー、ぶっちゃけ20歳でさえ、こどもじゃない?
まだ学生でさ、自分で生活もできなくてさ、
そういうの、30くらいになってようやく大人って感じがするよ。
年齢下げるの、刑罰の面だけでよかったんじゃないかな」
うーーーーーん、どうなんでしょう。
してはいけないことがわかる、犯罪とされていることをしないという規範に関して責任が取れる、ということと、
自らの足で立ち、自らの力で生活をしていくということは、必ずしも重ならない気はします。
ただ、日本の大学進学率は60%には届いていないので、
40%超の18歳は、そこから学生ではなく社会人になっていらっしゃるということなのですよね・・・。
きっとすごく早く大人になられるのだと思います。
実を言うと、私がその年齢の頃は、結構オトナ気取りでした。
学生で、親の脛を齧りまくりだったにも関わらず、大抵のことは自分でできると思っていました。
「やっていないだけで、やればできる」という謎のプライドです。
やってから言おうね、と、今思い出すとかなり恥ずかしい黒歴史なので、
自分には大人を名乗る資格がない、と潔く認めている息子を見ると、
「いやいや、中身が伴うようにがんばりなよ」というよりは、
「うん、まぁ、こういう状況だもんね、それがわかるって逆にえらいかも」
と妙に納得してしまうものがあったりもします。
という潔い息子、中学を中退しています。
中退することになった原因をつらつらと考えてみますと、
先日、娘が、
「私の成績がもうちょっとよくなかったら、○○ちゃんも今と違った道があったのかもね〜」
と言っていた通り、まずはそこが彼の運命の分岐点だったと思います。
(娘は兄のことを、呼び捨てにするか、ちゃん付けで呼びます)
あれは息子が小学3年生、娘が2年生の春でした。
普段ほとんど子育てにノータッチな夫が、なぜか突然、
「ねぇねぇ、こういうテストがあるんだって。受けてみたらどうかな」
と、四谷大塚の全国統一小学生テストの案内を送ってきたのです。
(なんであの時、あんなこと言ってきたの?とあとで聞いたら、
「え、オレ、そんなこと言った?」と返ってきました)
私は基本的にどうでもよかったので、夫の意見に反対する理由もなし、受けさせてみることにしました。
結果が出ると、娘が何やら、特進クラスというクラスに入れる、と言われます。
中学受験は全く考えていなかったのですが、
娘は私にダメ出しをされるのがどうしても嫌なので、ママ塾の限界を感じていたところでした。
娘が行くと言うのなら、まぁ試しに入ってみてもいいかも?と本人に確認すると、
「ふむ、とりあえずやってみようかと思う」
との返事。
では、と四谷大塚に入塾することになりました。
(その後、娘は先生の言うことも聞かないということが判明。
ただし、やさしいお友達から、「ここはね、こうすればいいんだよ」などと教えてもらうと素直に聞くし、
また、お友達が褒められている所や叱られている所をそばで見ていると、そこから学んでいるようです、と言われました。
これは、机を並べるのが兄一人では難しいことなので、とてもありがたいことだな、と思いました。
というか、先生のお話を聞いてくれ…)
であるならば、息子も、
「ぼくも行こうかな!」
となったのですが、
その時の息子の偏差値は、20台半ば。
20台の偏差値を見たことがなかったので、どのくらい低いのかピンと来ず、
後になってよく考えてみたのですが、
私のザックリとした理解ですと、
偏差値は、中央値を50として、そこからどのくらい離れているかで決まるものですよね。
息子の偏差値を25とすると、50から25、離れていることになります。
と言うことは、逆に高い方に25離れていたら、75・・・!?
偏差値、75!!!
めちゃめちゃ優秀やん!
と言うことは、偏差値25って・・・めっさ低い・・・!!!
なんでも、「わからない問題を飛ばす」ということがわからなかったそうで、
わからない問題をずっと考えているうちに時間が足りなくなったそうです。
ですので、私はそれ以来ずっと、テストの際、
「わからない問題は飛ばしてね!わかる所からやってね!!」
と息子を送り出し、息子は苦笑いしていました。
では、と仕切り直して、そこから入塾テストというものを受けますが、
受けれども、受けれども、受かりません。
そうこうしているうちに、冬になりました。
その頃になると、周りでも塾の話が本格的になってきて、みんな行く塾が決まっています。
困った私は、特に予備知識のなかったSAPIXの入塾テストを受けさせることにしました。
日能研は、私がこどもの頃、中学受験をする子たちが通っていて、私も体験授業に行ったのですがガツガツしてる感じがして怖かったし、
早稲田アカデミーは、同じマンションの、小さい頃から七田式に通っていた子が行くと言っていたので、
「あー、そういう子が行く所なんだ、無理やな」と思い、
よく知らないけど、SAPIXってアルファベットでたのしそう?だし、
他の塾と違って入塾テストが有料だったので、受からせてもらえるような気がしたのです。
知らないということは恐ろしいことです。
すると息子は合格。
しかも、一番下のクラスかと思いきや、真ん中ぐらいのクラスで合格したので、
「あー、やさしい塾なんやな、よかった〜」
と思ったのです。
こうして、息子は、ゴリゴリの中学受験塾に通うことになります。
(息子の名誉のために言わせていただきますと、
この後、既に四谷大塚で受けていた入塾テストの結果が出て、合格していたことがわかるのですが、
絶対に不合格だと思っていたため、行ける塾はここしかない!と、SAPIXで手続きを済ませてしまっていました。)
そして、娘の四谷大塚と、息子のSAPIXの曜日の都合がつかなかったため、娘もSAPIXに転塾することになり、
こうしてわが家の中学受験が始まりました。
というか、この時点ではまだ、中学受験を考えていたのは、娘に関してのみなのですが、
まずここが、息子が中学を中退することとなった分岐点の一つだったと思います。