格言やことわざ、教訓のようなものが好きな息子と私、

私は既に言葉として使われているものの意味や、それが今でも真理なのかなどを考えたり試したりするのが好きなのですが、

息子に至っては、

「ワンチャン、新しいやつを生み出して定着させられないかなー、風が吹けば桶屋が儲かる、みたいなさー」

とかなり壮大な夢を抱くほど好きなようです。

新しいギャグを流行らせたい芸人さんみたいな感じでしょうか。

 

 

 

そんな私たちですが、

昨日息子が、夕食時に加島屋のいくら醤油漬けを食べようとごはんに乗せながら、

「んーーーーーーーーどうかなーーーーーーー

 もうちょっと食べられるかなーーーーーー

 いや、これ以上は多いかなーーーーーーー」

と悩んでいたので、

「とりあえず食べてみて、足りなかったら足せばいいんじゃない?」

と提案してみました。

 

我ながら、なんていい案なんだろうと思ったので、ここは盛大に賞賛してもらおうと思って、

「ねぇ、今ママ、すごいいいこと言ったと思わない?ねぇ!?すごい良かったよね!?」

とドヤ顔で迫ったら、

「えっ・・・と・・・」

と微妙な顔をされたので納得がいかず、娘にも、

「ね、今ママが言った提案、すごいいいアイデアだったよね!?」

と同意を求めたら、

「え・・・と・・・、どれのこと・・・?」

と聞き返されました。

大笑いする息子。

「いや、ぼくは、どの部分かはわかるよ、ただ、格言としてどうかっていうと、それはどうかなと思っただけで」

 

 

 

なんでも格言としなくてよろしい。

 ただのアドバイスじゃ。

 

 


今気になっているのは、格言やことわざとはちょっと違うかもしれませんが、

「髪は女の命」です。

 

「女の」とか言ってしまっている時点で、なんだか既に現代にはそぐわない感じがしてきますが、

それでもまだ全ての意味が失われるわけではないのか、

もしまだ現代でも真理と言える部分があるのなら、それはどの部分なのか、

そして40代になった今、これからも含め、私は髪をどうしていくのが正解なのか。

 

齢一桁代の頃は、悩みなどありませんでした。「明日どのリボンにしようー」は、悩みとは言えません。

10代になると、多少悩むこともあったかもしれませんが、多くの場合、それは校則との戦い。自分由来の悩みではありませんでした。

20代は自由を謳歌できました。「次はどうしようかな〜」といった、前向きな、悩みというよりは楽しい試行錯誤です。

30代は、髪について考えたとしても、一応TPOわきまえようか、くらいのもので、まだ20代の延長です。

 

しかし、40代以降、髪の悩みは一気に深刻化します。

白髪、薄毛といった、明らかに今までとは質の違う問題に立ち向かわなければならない上に、

社会的責任も重くなり、「良識ある大人」であることが当然に求められるようになるのです。

装備が薄くなり自由度が減るにも関わらず、課題は増える。

 

そもそも髪は死んだ細胞です。

出家して高みを目指す時にはバッサリと切り捨てるようなものです。

それなら、別に出家しなくても、ない方がスッキリしそうな気もします。

ワンチャン、それだけでも、何らかの煩悩を捨て、高みへ半歩でも近づいたりとか。

が、人類の歴史上、そういう捉え方はされてはいないようで、

髪は何か特別なものとして、とても大事にされている気がします。

 

髪は丈夫です。

肉体の他の部分が朽ちてしまっても、髪は骨と共に、数百年、数千年残るそうです。

でも、昔の人たちからすると、自分たちが死んだ後そんなに長く残るということは知らなかったと思うので、

むしろ、抜けてもまた生えてくることから、「再生」のイメージが大きかったようです。

伸びたことで成長がわかりやすいので、なんとなく生命力を感じるのでしょうか。

物体としての髪で何ができるのかはよくわかりませんし、実際何かに活用しているといった話は聞いたことがありませんが、

髪には何かしらの「力」が宿っていると考えられていたようです。

 

昔は、男性もロングヘアでしたね。

それを、ちょんまげに結ったり。

そうして男女問わず髪は伸ばすものだった、その流れを変えたのが、

1871年(明治4年)、『散髪脱刀令』通称断髪令の発令でしょうか。

ただこれは、対象を男性に限るものだったはずが、断髪する女性も出てきてしまい、

翌1872年には、東京府(現東京都)が婦人断髪禁止令を発令したそうです。

詳しいことはわかりませんが、今でいう軽犯罪法くらいのもので、違反した女性は罰金を課せられたそうです。

一度切ってしまうと出かける度に取り締まわれて、その度に罰金を払うのは・・・ということで、

一度罰金を払えば、支払い証明書をもらえたそうです。

それはいいけど、ほんとに罰金取るんだ・・・と衝撃です。

ラプンツェルくらい伸ばして、往来の邪魔になったりしたら考えものですが、

短くする分には、誰にも迷惑はかけていない気がします。

女性の髪が短くなると、社会秩序が乱れるのでしょうか・・・?

 

 

 

これほどまでに大問題を引き起こす「髪の毛」。

たかが「髪の毛」、されど「髪の毛」。

(「髪の毛」と言うと、娘に、

 「髪って言ってる時点で毛だよね。頭の毛?頭毛?

  頭髪って変じゃない?頭以外に髪、生えないよね?」

 と聞かれ、困ります。

 毛髪も言うよね。。。毛じゃない髪って何・・・?

 どうしてそうやって言うようになったのか、いつか調べてみたいと思います。

 

 ちなみに、髪が頭から生えると言うことも、髪が大切にされる理由の一つだと考える説もあるそうです。

 頭部がとても大切なものだと考えられることと関連して、

 その大切な頭部から生えてくる髪も大切なものとされていたのではないか、とのことです。

 所詮死んだ細胞ですし、私は、髪が、思考が形を成して出てきたもの、といった印象は受けません。

 また、確かに頭は大切で、髪は外部からの物理的な衝撃に対しては多少の防御力があるかもしれませんが、

 髪の毛レベルの防御力でいいのなら、帽子を被れば十分な気がします。

 ではなぜ、人は、ここまで髪の毛に何らかのパワーを感じてしまうのでしょうか。)

 

ただ、現代では、もちろん、髪はかなり大きな関心事の一つだとは思うのですが、

長ければ長いほど良いというものではなくなってきたように感じています。

男性のロングヘアは、アパレル関係、美容理容関係など、特定の業種の方でなければ認められないでしょうし、

お仕事に関わらず、とても好き嫌いが分かれそうです。

女性に関しても、大正デモクラシーの中で誕生したモガ(モダンガール)の誕生以降、

短い髪の溌剌とした女性は、たくさんの女性から目指すべき姿として捉えられてきました。

 

私もボブが大好きで、30代はかなり長い時間をボブで過ごしました。

ロングからボブにした日は、小さな息子に、

「まま、中身だけじゃなくて、お外もおてんばさんになっちゃったねぇ」

と言われました。

 

その後、「髪にどんな力があるのか確かめたい」と考えるようになり、

今ではすっかりロングです。

今のところ、髪で何かのパワーを使えるようになったりはしていませんが、

一回、名作サザエさんのフネさんのようになってみたいので、奮闘中です。

後ろ髪は足りるようになって、シニヨンもかなり手早く作れるようになりましたが、

前髪を伸ばす度に不評を買って、その度に挫折するので、憧れのフネさんへの道のりはまだまだ険しいです。

 

 



持ちネタは、貞子です。

 


 

旅行で感じた髪問題について、に続きます。