中村ルーニィのブログ

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もう6年も前の話。
当時ボクは両親と3人で団地の5階に住んでいた。ボクは32歳くらいだったと思う。

ある日、会社から帰った夜のこと。団地のダストシュートから捨てられた生ゴミが溜まる、なんといえばいいのか、四角いコンクリートの箱の上に小さな子猫がいた。
黒猫だったので最初暗くてよくわからなかったが、確かにカワイイ子猫だった。

その子猫は毎日そこにいて、ボクはその子がかわいくてかわいくて仕方がなくて、会社から帰る度に、なでなでしたり、猫じゃらしを引っこ抜いてきてそれで遊んだりしてから部屋に入った。なんともカワイイのである。

どうやらその子猫は、3階に住んでるとこの小学生の兄弟2人がその辺で拾ってきたらしく、ただ部屋の中で飼ってくれるわけではなかった。夏休みだというのもあって、昼間はその子たちが子猫と遊び、夜はボクが遊んだ。

ボクはその子猫にチーヤという名前を勝手につけた。
チーヤは痩せこけていて、いかにも不健康そうだった。目やにが酷かった。
小学生の兄弟は缶詰をあげたり水をあげたりしてくれてた。

ボクはチーヤを飼いたいと思っていた。オカンは反対したけど、ボクは飼いたいと思っていた。ただ、小学生の兄弟が、毎日かかさず遊んでくれてるのもあって、なんとなく横取りするような感じがしたので、なかなか踏み切れない。オカンも反対してるし。

5階の窓から下をのぞくとチーヤはいつも寝そべっていた。いつもチーヤのことが気になって、窓から下をのぞき込んだりした。

そんな日々がしばらく続いたある日のことである。いつものように窓から下をのぞき込むと、そこにチーヤの姿はなかった。どこかに散歩にでも行ったのかなと思って、しばらくしてから、もう一度のぞき込むと、やはりそこにはチーヤはいない。いったいどうしたんだろう。オカンも心配していた。

一晩明けてもやはりチーヤの姿はどこにも見当たらない。仕事に行かねばならないので、オカンにチーヤのことを気に留めてもらうことにし出掛けた。

その日の夜。仕事中、オカンからボクのケータイに電話があった。すぐにチーヤのことだろうと思い、胸が締め付けられた。ドキドキしながら通話ボタンを押した。

つづく



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悩み事ある人いっぱいいると思うけど、もちろん、ボクもいろいろ悩んでます。大概、しょーもない悩みばかり。他人からしたらどーでもいいことばかり。ま、そんなもんですね、悩みってやつの本性なんて。

で、その悩みってやつ、持っててもなんの得もないんですね。悩みって悩んでも解決しないんです。解決できることはもうすでに悩みだなんていわない。解決できなくて、ぐちゅぐちゅやるのが悩みですから。

悩みって悩めば悩むほど、解決とは真逆の方向へ行ってしまう性質があると思う。つまり、悪化しちゃう。
次から次へといろんな問題が勃発して、雪だるま式に膨れ上がって悩まない日がなくなり、挙げ句の果てには精神的な病に陥ることも冗談なくありえる話。

他人からみたらしょーもない悩みに振り回されてノイローゼになるなんてバカバカしい。そう思ってても悩んじゃうのが人間なんですよね。

ただ、その逆をやることだってできるんですよ人間は。
悩まないなんて無理だけど、いい気分をつくることだってできるんです。悩んでもメリットなんてないけど、いい気分でいるとメリットがある。そもそも、みんな誰しもが、いい気分になりたいのに、イヤなことがあるから悩んでるんですよ。

いいことも悪いことも他人任せなんだね。なんかいいことないかなあって、自分からじゃなくて誰かがいいこと運んでもらおうって思ってる。イヤなことがあれば誰かのせいにしてしまう。
でも本当は自分の抱く気分の問題なんじゃないかなあ。

ボクはどうしたら今が楽しくなるか考えて実行することにしてます。
昨日とかさっきとか明日とかそういうのはなくて、今、なにがベストなのかを考えます。そうやって自分でいい気分を作っちゃう。イヤなこともあるけど、それ考えても仕方ないから、とりあえずその辺に置いといて、じゃあ何が楽しいかを考えます。そうしてると、だんだんよくなるんだな、これが。

気分が大事!悩んでも、怒っても、解決なんてしないよ。だったらいい気分でいたほうがいい。
自分に降りかかる出来事を他人のせいにしないで、自分次第なんだってわかれば、もう人生自由自在でしょ。いい気分がいい!たったそれだけのこと。
といっても、いいことばかりじゃないのが人生なんだな。うん。でもそれ普通のことだし。あたりまえだから、気にしちゃダメだね。



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ボクはナマケモノである。動物の方じゃなくて。

みんなはどうか知らないが、ボクは仕事に対して集中力がない。5分ともたない。チョロチョロっと仕事してはツイッターのチェック、また、チョロチョロっと仕事してはトイレへいく。またチョロチョロやって、ああ疲れたー、といって自販機で缶コーヒーなぞを買ってゴクゴクやっている。つまり、ボクはまったく勤勉ではないのである。

しかし、これは決して自慢ではないが、ボクは会社での評価が悪い、というわけではない。むしろ、良い方だと自分では思っている(何度もいうが自慢ではない)
まわりを見渡せば、明かに一生懸命頑張っているひとがいる。
ボクなんかより、嫌なことでも素直に取り組んで、残業もいっぱいやって、本当に感心してしまうひとがいる。
それなのに、彼らの評価は低かったりする。
いったい何故なんだろう。一生懸命やっているのに(もちろん評価がすべてじゃありません)

真面目なことが素晴らしいことなのだろうか。努力することが素晴らしいことなのだろうか。
いや、きっとちがう。と、そう思うのである。
そんなにがんばらなくてもいいんじゃないか。とも思ってしまう。

ひとに迷惑をかけない。自己中にならない。やるときゃやる。これさえわかっていればいいような気がするのだ。
どんだけ真面目でも、努力しても、結果的に迷惑なひともいるし、自己中なひともいるわけだから。

とはいえ、ボクはナマケモノです、なんて胸はっていえるようなことでもない。
ただ、いいたいのは、ただ単に、真面目で努力家だからって、それが素晴らしいなんて、そんなつまらない教育にだまされないぞ、そんなの嘘っぱちだぞ、っていいたい。

明るい未来のために、いま我慢して努力することがいいこと、ってそれ悪い洗脳じゃないか。
そんなことしてないで、いま楽しもう!いま輝こう!って思うのである。





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