※マネージャー増田氏とのストーリー、2012年の過去記事、7本連続で再アップしますウインク


7/4でマネージャーの増田氏と出会ってめでたくクラッカー丸7年になりました。ディス・タイム(今回)からは数回に分けて、このブログblogでもお馴染みのパースン(人)、増田順彦(ますだよしひこ)氏とのヒストリー(歴史)についてライト(書く)したいと思います。


増田氏は1972年生まれの40歳、私より18イヤーズ・ヤンガー・ザン・ミー(18歳年下)。20歳でこの世界に入り、大物タレントの運転手からマネージャーとなり、その後は番組制作会社でプロデューサーをしていたという、芸能界一筋のパースンです。


4年半前にインディペンデント(独立)、今は事務所会社のプレジデント(社長落款)であり、私のマネージャー&プロデューサー&衣装コーディネータークロゼットを務めてくれ、私のビジネスにおけるエブリシング(すべて)を彼に任せています。

ルー大柴オフィシャルブログ『TOGETHER』

ミーティング(出会い)は7イヤーズ(7年)ビフォー(前)。その頃の私大柴さんはオールモスト(ほとんど)ジョブ(仕事)はなく↓、舞台で脇役をやり、何とか生活をしていて、「あの人はナウ(今)」状態でしたショック!


34歳でバラエティータレントしてサクセス(成功)したエクスぺアレンス(経験)が邪魔をし、ヘッド(頭)でばかり考える事が多く、再起するにはどうしたらグッドナイス(良い)なのか、皆目ゲスさぁ~?(見当)がつかなかったのですだめ


そんな時、私のマネージャーに就任した増田氏から、「ルーさん、何がしたいんですかはてなマーク俳優をやりたいのですかはてなマークタレントをやりたいのですかはてなマーク今のままでは中途半端ですよ。もう一度売れたいのですかはてなマークこのままで良いのですかはてなマーク」このままで良いのなら(売上的に)マネージャーは必要ないと思います」との苦言をセイされましたガーン


それまでそんな事を言われた事のなかった私はハッハッとし、しばらく考えてから、「ワンモア手(もう一度)ブレイクupしたいビックリマーク」、とアンサー(答える)しました。


すると彼は、「わかりました。この10年ルーさんのやり方でリザルト(結果)が出ていません。ナウ(今)とセイム(同じ)な事をやっていてはダメNGです。考え方&やり方を徹底的にチェンジはなしチェンジ(変える)しましょう。まずは仕事のチョイス(選択)を私に任せてください」。


正直半信半疑でしたが、コンフィデンス(自信)を持った彼の態度を見て、デスティニー(運命)をフィール(感じる)、「彼に託してみようたのむ」とハート(こころ)に決めました。


to be continued...