おはようございます。


先日、普段からよく通る道を何気なく歩いていたら、突然そこにあったはずの「何か」(多分家だった気がします)が忽然と無くなっていて、更地になっていました。


昨日までそこに何があったのか、一生懸命思い出そうとしてみましたが、まったく思い出せずにいます。



でも例えば、もしこの場所に「大好きな恋人の家」があったらどうでしょう?


私が決まった時間に家の前を通るのを知っていてくれて、2階のベランダからニコニコ手を振ってくれる向井理バリの愛しの恋人がいたら…


私が「今は更地になってしまったこの場所に何があったのか?」を忘れてしまうことはないでしょう。



何が言いたいか…というと、何か行動をしているときに「何をやったか」が大切なのではなくて


「どういう気持ちで取り組んだか」が大切


というお話をしたいのです。


ただ何の「気」もなしに歩いただけなのか、歩くたびにどきどきワクワク「心を動かして」歩いたのか。


気持ちの入っていない行動は、何回やってもまったく意味を持たず、逆に心を込めてやった行動は、たとえ1回きりでも、うまくできなかったとしても、きちんと自分の中に「何か」が残ります。毎日毎日繰り返せば、その「何か」はどんどん豊かになっていきます。


毎日、何気なくやっている行動の一つ一つに「気持ち」を込めてみたらどうでしょう?


例えば、もしお掃除をするたびに「部屋と一緒に私の心もスッキリ整頓されるのね」とか「いつも使っている部屋にに感謝の気持ちを込めてお手入れしよう」などと思いながらお掃除をしたら、きっとお掃除はただの作業ではなく、自分の心の整理をする時間や生きていることへの感謝の気持ちを確認する大切な時間になることでしょう。


もし、歯を磨くたびに「今日も一日働いてくれてありがとう」「明日もよろしくね」という気持ちを込めたら、きっと自分の歯を愛おしく思う心が育つことでしょう。


こうやって日々の動作の中に「心」を込めることで自分の心や体、周りにあるすべてのものに対して「愛着」が育つのだと思います。


ヨガは「DoではなくてBeだよ」とよくいわれます。


ヨガのポーズをただやる(Do)ではなくて、どんな気持ちでポーズの中に自分が存在したいのか(Be)を大切にしましょう、という意味です。


私は太っている、垂れている、または心が弱い、怒りっぽい…など自分の体や心に不満を持っている方いるかもしれません。


同じように、夫が話を聞いてくれない、上司が起こったばっかりだ…など自分の周りの人に対しても不満がある方がいるかもしれません。


でも、それもみんな個性ですし、Aさんから見れば長所でもBさんから見れば欠点だ、ということもたくさんあります。


自分自身や周りの人の出来に対してあれこれ言う前に、まず、自分自身がきちんと生きていること、自分の周りに人がいることに感謝して、愛着が育つまで心を込めてお手入れをする、というところからやってみたいなぁ、と「突然なくなってしまった何か」を見て思いました。


大切だ、と心で思っていても、日々「大切に扱う行動」せずに放置してしまったら、もしその「大切なもの」が突然なくなってしまったときに「後悔」するに違いありません。


毎日通り過ぎるだけなのか、そこに心を込めるのかの差は天と地ほどあると思います。