こんばんは。


前回 の続きです。


「過去の経験を未来に生かす」というお話をしましたが、ではそのために「今どうしたらあいいのか?」ということを考えてみましょう。


前回の植物の話をそのまま続けると


「枯れてしまったのは水をあげなかったからだ。この事実をしっかり受け止めて、今あるほかの植物は枯らさないように最善を尽くそう」


というのが過去を未来に生かすということでした。


では、今、何をすべきなのでしょうか?過去の検証&反省も終わり、未来のイメージもできている訳ですから、「あとはコツコツやるべきことをやるだけ」です。


お水をあげたり、またはあげなかったり。肥料をあげたり。お世話をする人が倒れては困るので食事をきちんととったり、ストレスがたまらないように適度に遊んだり、休憩したり。遊びやサボること、お休みすることも含めて、その時その時に今やるべきことをきちんとやるだけです。


でも、これはすごく難しい。


例えば「今はただお水をあげればいい」だけなのに、「あの時お水をあげておけば、あんなことにはならなかった」なんて"後悔"してしまったり、「今度はお水のあげすぎで根腐れしたらどうしよう」なんて"心配"してしまったり…。


こんなことをしていると、「お水をあげる」ということに集中していないので、お水をあげる量を間違えたりするかもしれないし、お水をあげることが楽しいことではなくなります。


そうそうると、次にお水をあげるのが嫌になったりします。そのうち、またお水をあげるのを忘れてしまったり

サボってしまったり。結局また、植物を枯らしてしまう、なんてことになりかねないわけです。もうさんざん考えたのだからあとは「今やるべきことをやる」だけでいいのに。


でも、この「今やるべきことをやる」ということは本当に難しいのです。なぜそんなに難しいのでしょうか?

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それは、時間は常に流れていて、私たちの脳は常に動いて、体もいつでも動ける状態にあるからです。


「今」はすぐにどこかへ行ってしまうし、私たちの心もいつでもどこへでも行けるからです。体は心ほど自由ではありませんが、止まっているより動いている方が得意です。


時間も、脳(心)も、体も常に動いているから留めておくことが難しい。だからヨガではこれを練習します。


「今、やるべきことをやる練習」


もっと突き詰めていけば、「今、という地点に存在する練習」。


つまり「今ここにいる練習」をしているのです。


呼吸をしたり、体を動かしたり、瞑想したりしながら、「過去でも未来でもない今」に心と体を留めておく練習をするのです。


ヨガというと何となく体を動かすイメージがありますが、実は「体を留めておく筋肉をつけるために動いている」、すなわち「止まる練習」をしているのです。


今から約2500年前にパタンジャリという人がヨガに関する最初の書物「ヨガ・スートラ(ヨガの経典という意味)」というものを書いたのですが、この中でパタンジャリは


「ヨガ=心の作用の死滅のことである」


という風に定義づけしています。


これだけ読むと「なんのこっちゃ???」と思うかもしれませんが、日々の出来事に落とし込んで考えていけば、意外とすんなり理解できるかもしれませんね。



「今ここにいること」

「今やるべきことをきちんとやる」


ということが積み重なると「信頼できる過去ができていき、未来が開けていきます。


「今」という字と「心」という字を合わせると、「念」という字になります。


今をしっかり生きた証を記したもの=記念。

怨みが今も心に残っている=怨念。


どっちが幸せそうでしょうか??


過去と未来の間にほんの一瞬だけ「今」という時間があります。このほんの一瞬に「幸せ&キレイのヒントがたくさん隠れているのではないかと私は思っています。


子どもと過ごすときは子どもと過ごすことを楽しみ、一人でいるときにはひとりの時間を楽しみ仕事をしているときは仕事を楽しみ…。こういう女性は潔くて美しいと思います。


※ちなみにこの「今ここにいる練習」は、実は出産や産後のケアにもとても役に立ちます。興味のある方はこちらもぜひご覧ください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


※よろしければこちらもご覧ください。ヨガにまつわるお話を少しずつご紹介しています。