先日ヒーリングありがとうございました。
スートラ写経の感覚が変わりまくりです。
スートラ5.7についての質問です。
概意の部分、最新の資料23ページの後半部分について。
〓 威音王仏は神智無量(じんちむりょう)にして一切を導き、天人龍神(すなわち餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界に属するような、自ら低次元なる欲求を求めてどこまでも堕ちていく人々)まで高次元へと導く力をもっておられます。〓
とありますが、天人龍神の中に地獄界がないのは何故なのですか?
地獄に欲求を求めて落ちいくということはあまり無いことなのですか?
威音王仏の人智無量の導きに、地獄界からの高次元の導きは少いということでしょうか?
宜しくお願い致します。
◼️HTより
実にレベルの高いご質問です。
Y様は、本スートラを使ったトレーニングにより、人間関係や仕事の能力、業績まで良い変化があると伺っております。
30ページもある資料をちゃんと読んで理解しようとしていなければ、このようなレベルの高い疑問はもてません。
たとえはナーディーを流れているプラーナはひとつではないの記事がヒントになります。
一瞬の思考や感情や言動にしても、総合的に見れば霊格は何々だと言えますが、成分を見れば複数の霊格の成分が含まれているのです。
総合的に観れば地獄界の状態にある人がいましても、その人の中には餓鬼界~仏界の成分が含まれているのです。
空(くう)と色(しき)の概念からすれば、地獄界の色を示していても、霊格の高い状態や成分や因縁果報や未来が空として存在しているということになります。
極論すると、ピュアで混じりっけのない地獄界は
・生命空間を無限小へ
・自他害の苦しみへの愛着
・主体性や能動性の放棄
といった意味になります。
そうしますと、地獄界は導く対象ではなくて、捨てる対象となります。
【捨てる】ことの主体者、主語は自分です。
「私は地獄界を捨てる」ということ。
地獄界を捨てていくのは、地獄界以外の、能動性や主体性をもった霊格ですから、餓鬼界でも修羅界でもよいのです。
威音王仏には複数の意味があり
・太古の宇宙、別の惑星に実在した知的生命体たち。
・高次元意識体、あるいは高次元意識体たちの総称
・高次元なる第11チャクラ、あるいはそれらの総称。威音王仏ネコも、威音王仏人間も、威音王仏薬師如来も存在するってこと。
・自分の生命の根源体の中に存在する霊格の高い部分の総称。
・自分という無限なる小宇宙(大宇宙)のなかに存在するものの、自力で湧現(ゆげん)することの困難な、高次元なエネルギーの総称。
・自他の中に存在する霊格の高い生命状態を発動させようとするときに使えるアクセスゲート。
となります。
導きを発動するのは威音王仏ですが、その導きを選択して掴み取り続ける主体者は自分です。
このとき、能動性や主体性をもった霊格が必要となるので、餓鬼界以上の霊格が、導きの対象となるのです。
よって、
・地獄界は捨てるもの
・餓鬼界以上は導く対象
・自他に空として存在する餓鬼界以上の成分に働きかけて、地獄界を捨てていき、少しずつでも霊格の高い成分を、自他の関係のなかで増やしていくのがスートラ5.7
となるのです。