社会的リーダーや経営者も三日坊主が多い?!
『無関心』は人生を排除する。『ユーモア』は人生に参加する。そのことをデヴィッド・R・ホーキンズ博士に学びを得てから、第一反抗期の甥っ子が、よく私の部屋に遊びに来るようになりました。
『10月になったら、一緒にトランポリンしようね』だいぶ先やん. . .とツッコミ入れ、翌朝その夢が叶いました。ママの電話にも、『月曜日になったらまた会おうね。バイバイ』というんですが、ジョークなのか、ママを閉め出す3歳児。
ユーモアを忘れてはいけない。思い出すと、軽くなる。悩みが生じたら、深刻にならないことですね。
私は牧師様のブログをフォローしてますが、まさかの牧師様も三日坊主. . .大愚和尚(たいぐおしょう)は、超三日坊主で超先延ばし癖があります。私も三日坊主、光の速さで飽きたりします。先延ばし癖もありますね。
社会的リーダーや経営者には多いとか。
私は月星座が牡羊座で、太陽星座である水瓶座の博愛精神と月星座の牡羊座の熱狂性が結びつくと、社会的リーダーになれるそうですが、そんな素質持ってるとはなかなか思えないですね。
3日間、聖者たちの書物を読み漁って没頭していたので、朝と夜のルーティンがおろそかになってました。日曜日から再開してます。
それでも毎日聖書は読んでます。毎日読めるのは、アプリを活用してるからだと思います。毎日新しい章を自動配信してくれます。
朝は、皆さんすぐに布団から起きれますか。自分をよく見せようとするのは疲れます。無理に笑顔をつくることは、自分の暗闇を抑えて踏みつけてることになります。水瓶座の私は、人には言わない沢山の暗闇があります。
自分を偽るほど、本音が解らなくなります。気づかないうちに疲労は溜まります。頑張り過ぎると、身体のサインに気づけなくなる。仕事や何か作業に集中してるときは、身体のことは放置されます。
何時間も没頭すると、足に痺れがあるとか腰が痛いわと気づくけれど、ケアを怠ると20代の若い頃と違って、股関節も固くなる。
朝目覚めて、「辛い」と呟いたとき、身体が辛いのだと、身体の声に気づきました。その次に、私は自我と同一視しているところまで気づきました。私が睡眠を削っているときも眠っているときも、24時間働いてくれているこの身体に感謝しました。すると、憂うつな気分はどこかへ行きました。
昨夜、英訳と邦訳の聖句の夢を見ました。聖書に書かかれてあるかはわかりませんが、牛を例えた話が出てきて、牛一頭を育てるにも時間と労力を要するのだと、私はつぶやきながら涙が溢れてました。涙でちょっと目が覚めました。
酪農家さんは、能登の震災で断水してから牛に十分な餌や水分を与えることがでずにいたそうですね。餌は通常の4分の1に減らしていたとか。
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《わたしの朝の日課》
・神様に一日の感謝と宣言、Om(オーム)の聖音を三唱、慈悲の瞑想
・【ヨガ】観音開き、門のポーズ、アーサナ 3回、カパラバティ呼吸法 30回3セット
・スクワット15回、ふくらはぎストレッチ20回(2日おきにゴムバンドで腕の筋トレ)
・朝食前に主の祈りを唱える
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カパラバティは鼻から勢いよく吐くと同時にお腹も動かすので、身体が活性化されますね。コレは毎日取り入れたい。夏日になってきたので、顔洗ったらすぐに30分歩くようにしないと、バテてしまいそうです。
でも、水瓶座さんは飽きっぽい。どこかで変化がないとマンネリになります。アーサナの一連の流れがスムーズになってきたので、ヨガのポーズは別のメニューに変えることを考えてます。
ピラティスでたまに腹筋鍛えたりしてますが、毎日少しずつのほうが体力維持できるので、筋トレもまたメニューを変えていきます。
Daily Yogaアプリはイイです。ピラティスもあります。
ヨガは20代の頃から断続的でもやってました。ベビーステップで、今まで少しずつできることから取り入れたモノをメニューに組んでます。
このおかげで、体調に変化があっても、無気力や無関心が涌いてきても、日課を達成できると満足感がありますね。
でも、筋トレやヨガは無理しないことです。無理をすると楽しくなくなってしまいますから。
ただ、調子の良くないときほど、慈悲の瞑想を行うことがよいと、アルボムッレ・スマナサーラ長老は話されてました。
私は、価値観を共有できるような人や理解者にはなかなか出会わないこともあり、『無関心』をよく使ってきました。
しかし、『無関心』は、自分への攻撃のようなモノで、自分にも向けられ、他者に関心を持たなくなります。
『ユーモア』は人生に参加します。
朝はセロトニンが下がりやすい時間帯でもあるので、なんかやる気起きないわと、布団から出たくないわと、なる人が多いのではないでしょうか。
しばらく精神が安定していましたが、今回、『無気力』が涌いたことに自我に囚われる恐怖がありました。
一部分ではあるけれど、これは神様に明け渡すチャンスだと思い、祈りました。
それは私だけの問題ではないので、主語を『私たち』に変えて苦しみが喜びに変わるよう祈りました。
自我=エゴは、個人的なものではないからです。集合的無意識について、ユングの書籍を読めばより理解が深まるだろうと思います。
昨日は、『無気力』と『無関心』を取り除いてもらうように祈ったあと、私の前回のブログに評価ボタンを押してくださった古都グラファーのリグヒトさんのブログを訪問しました。
色々と写真術について紹介されており、主に鎌倉で活動されているようです。
私は観光スポットに行くと、若いカップルや年配の御夫婦やら、集団のマダムたちに撮影を頼まれることが結構あるんですね。
水瓶座は人と距離を置きたいのに、ちょっと話すと気さくに返すところがあって、声をかけやすいのかもしれません。
ときには人と楽しい一時を過ごしたいし、なにより冒険したい。
リグヒトさんたちに会いに鎌倉へ遊びに行く計画を立てるのも面白そうだ!と心が動きました。
朝、ネガティブな感情が涌いたら、明け渡す。寝床に入ったら、神様の御手の中で安らいでいる感覚を感じながら眠りに就く。
私が朝の日課を行う一つの動機は、楽しむための準備だと思ってやってます。甥っ子と遊ぶのにも、持久力が要りますから。いくつかその動機を掘り下げて考えてみたら、家族のために私が健康であることや、自己観察、心の浄化のためでもあると、再確認できました。
慈悲の瞑想は英語でも唱えたりします。学習の動機においても同じで、複数あれば根気強く続けられるとのことです。
嫉妬や怒りの執着を手放す
今日の聖句. . .✞📖
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イザヤ書 26章 新共同訳
[7] 神に従う者の行く道は平らです。あなたは神に従う者の道をまっすぐにされる。
[13] わたしたちの神なる主よあなた以外の支配者が我らを支配しています。しかしわたしたちはあなたの御名だけを唱えます。
[14] 死者が再び生きることはなく死霊が再び立ち上がることはありません。それゆえ、あなたは逆らう者を罰し、滅ぼし彼らの記憶をすべて無に帰されました。
[19] あなたの死者が命を得わたしのしかばねが立ち上がりますように。塵の中に住まう者よ、目を覚ませ、喜び歌え。あなたの送られる露は光の露。あなたは死霊の地にそれを降らせられます。
[20] さあ、わが民よ、部屋に入れ。戸を堅く閉ざせ。しばらくの間、隠れよ激しい憤りが過ぎ去るまで。
[21] 見よ、主はその御座を出て地に住む者に、それぞれの罪を問われる。
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![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240611/12/lotus8-flipapage/95/05/j/o0928108015450160514.jpg?caw=800)
(デヴィッド・R・ホーキンズ博士の意識のマップ)
神は裁いたりしません。自我と同一視している私たちが自分をジャッジし、他人を裁いたりしています。ネガティブな感情が涌くとき、神様が私たちを罰していると、思い込んでいます。
『あなた以外の支配者』というのが、自我、諸々の悪のことですね。欲望に走ったり、『無関心』や『無気力』も恐れの領域なので、成長がないですね。偽スピリチュアル、偽教師もそうです。生命をサポートしないモノは悪だといわれてます。
目覚めていないうちは、夢を見ている。自我の幻想の世界にいるうちは、死人のようなもの。
[20]節では、『戸を固く閉ざせ』とありますが、人がとやかく言おうが、鍛錬を積み重ねている賢者は沈黙に徹し、怒りが涌いても内に吸収し、静めることができるんですね。
ベトナムの禅僧、ティク・ナット・ハン師の書籍『怒り 心の炎をを静める知恵』にも、怒りの本質と取り扱いについて説かれてますね。
私は食事瞑想もろくにできてないし、怒りを静める方法を詳しいことを紹介することはできません。師がそう言われているからです。
認知行動療法のやり方はカウンセラーたちが勧めてますが、怒りはそもそも外部にあるものではないのに、怒りの感情ををテニスボールの球に移し換えて放り投げる、というのは、なんとも腑に落ちません。
私の父は、仕事の愚痴を吐きませんでした。しばらく帰宅が遅いときは、そのまま家に帰らず、どこかで頭を冷やしてきてたそうです。かなり忍耐強い人で、母とのケンカでは沈黙に徹っしてましたが、心の在り方が嫉妬や恨み、憎しみに変わってました。
私は争い事を好まないので、職場でグチグチ言い合う人は面倒だと思って、口を挟まないほうですね。でも、私も父と同じように苦しみました。
マインドフルネスの感情によって、怒りの苦しみを認め、受け入れ、解放する、という正しい対処法を知り、心の在り方を見直さなければ、ネガティブな感情に支配され続ける。
マインドフルネスで理解と思いやりの種を育てていきたいものですね。
デヴィッド・R・ホーキンズ博士によって、この世界の真偽が証されてますから、それをガイドにして、より高次のモノに触れ続けるのがいいです。
最後に、[19]節の『死者が命を得わたしのしかばねが立ち上がりますように』とは、どういうことなのか。
ヨガでシャヴァーサナ=屍(しかばね)、のポーズがあるんですが、究極のポーズだといわれてます。
屍(しかばね)=死を一度迎えることで、様々な執着を手放す、という意味合いもあり、シンプルなポーズでありながらも、あるべきものをあるべき場所へ戻すための内観作業になるわけです。
シャヴァーサナは、身体の色んな部分のコリ、歪み、呼吸の邪魔をするものを取り除いたあと、身体の力を抜く一番最後のポーズ。呼吸だけが残りますね。
そして、ものすごく無防備な状態。神様の前では子どものように無防備になれる。私は子どもの頃、よく家の裏の蓮華畑に転がって雲の流れゆく様を眺めてました。
子どもは、安心して家に帰れる場所があって、いつもお母さんが台所に立って迎え入れてくれる。そんな家庭であれば、子どもはまた外で頑張れるものです。
神様のもとでしばらく休んだら、また遠くまで冒険しよう。
ヨガ教室では、講師の指導のもと、ゆっくり身体を休めてますが、自宅での練習は、なかなかゆっくりそこまではできていませんね。
音声ガイド付きの動画を参考に、一度練習してみました。導いてくれる人がいることは有り難いです。動画の終わりもちゃんと余韻が残るよう配慮されてます。
《音声ガイド付き》
Om Shan Tee. . .
(オーム・シャンティー. . .)
平和でありますように. . . 🥨❤️🩹