今日は3.11ですね。

あれから11年



あの時は

山形に住んでいて

ちょうど遅い休憩が終わって

仕事に戻ろうと思った時に

3.11が起こった……



子供はまだ2才



「仙台の方、凄い津波が来たらしいよ」

と職場で聞かされ

血の気が引いたのを覚えてる。



突然の大きな地震で

旦那は自衛隊から帰って来れず

(結局放射能もあり、1年戻って来なかったぐすん)



その言葉以降

停電で情報が何も無く



仕事が終わって

子供を迎えに行ったものの

停電で夜は明かりもないので

夕方には布団に入って

2人で早々に寝た事を思い出した。



地元の福島は

放射能まみれで

みんなから「福島に行くな!!」

「福島行かないで!!」

「福島行けないよね」

等などなど沢山聞いた。



私の中では愛着のある地元だし

みんな住んでるし……

みたいな感覚があったから



周りの人から聞いた言葉で

何処かショックを受けつつも

小さい子供も居るので

どうしていいか分からなくて居た日々でした。



あれから11年が経ち

あの時の自分が

津波の現場に居た訳では無いけど

沢山傷ついていた事を感じた。



11年経って

そんな自分を

やっと抱きしめられた……


涙が沢山溢れてきた……



子育てで日々忙しかったし

震災直後は

旦那は居ないし

親戚も周りに居なかったので


職場の人達と協力し合いながら

小さな子供を

何とか育てていくのが精一杯で



自分の気持ちとちゃんと

向き合ってなかった。



津波の映像とか見ると

私はここまで酷い目にはあってないから……と



本当は

津波が来た事も

沢山の人が亡くなった事も

放射能で大好きな福島が汚染された事も

福島を酷く言う言葉にも

慣れない土地に震災後にぽつんと居るような寂しさも

1人でする子育ても

福島に行けない寂しさも……



目には見えない所で

沢山傷ついて居たのか分かった。



あ〜辛かったなぁ。。。



11年たって

まさか

そんな自分と向き合う事になるとは

思ってなかったけど。






それぞれの道に

沢山の花が咲きますように