前々からアメブロちょっとめんどくせー!!って思ってたので


突然ですが引っ越しします!

引っ越し先は初めてお世話になるF2さんどす♪


http://lotus30.blog.fc2.com/

アメブロさんはあたしにしては珍しく2年も続いた

お世話になって感謝感謝ですm(__)m

しかし記事をアップするのに意味不明なアプリをインストールしなきゃいかんあたりから

ストレスが・・・(;´Д`)


なので心機一転することにしました♪


相変わらず日々思ったことを不定期に書く予定です

内容はアメブロと少し変わっていくと思います

タイトルも心機一転です(笑)


もう少し読んでくれた人の役にたつ内容にしたいなーって


新しいブログもよろしくお願いしますm(__)mm(__)m


謎の真相さんのサイトより
http://asvaghosa.blog.fc2.com/blog-entry-16.html
<転載開始>
私も四、五日前に知ったが、政府が【秘密保全法案】なる法律を国会で可決成立させるべく、今、国民からパブリックコメントを受付中だという…

所が期限は既にこの9月17日までだというのであるー

現時点においてはまだまだ認知されていないというのに…
今拡散されているネットの情報を見ると、“スパイ防止法案”のことだという記述が散見している。
確かに、現安倍政権は、特亜三国並び、在日朝鮮人に対しては毅然とした姿勢で臨もうとしており、それについては異論はないし評価する。

しかし、一方のアメリカ様に対しても日本人の国益第一に考えて対応しているのかというと……

そこで、まずはその法案の叩き台の原文全文を読んでみなくては何とも批評のしようがない。

ところがである…

その原文全文が、どれ程検索しても出てこないのである

原文の全文を公開せずして国民のパブリックコメントを受け付ける期間を設けたということは…
中身のある意見など最初から受け付ける気がない、要するにアリバイ作りをやってるだけだとわかる。

「ちゃんと国民の意見を受け付ける期間と窓口を設けた」と…

要するにこういう卑屈なことをやるというのは、その内容が、国民に全貌を知られてからではまずい、よほど国民のためにならないことをやろうとしているからに他ならない。

それで、更に情報を検索していくと…

出てきた出てきた…やはりそういうことか↓


《…日本で急ピッチで進むサイバーセキュリティ戦略は、米国政府(とりわけペンタゴン)の強い要求にもとづいたものであることは明らかです。
このサイバーセキュリティ戦略と同時並行で進められているのが、秘密保全法の制定です。秘密保全法とは、「国の安全」「外交」「公共の安全及び秩序」の3分野の中から、行政機関が「国の存立にとって重要なもの」と判断した情報を「特別秘密」に指定し、この「特別秘密」を漏洩した者を厳罰に処すことができる、という法律です。政府は、秋の臨時国会での制定を目指しています。

秘密保全法のもとでは、いったん「特別秘密」に指定されたら、それがなぜ秘密にされなくてはならないのか、適正なものかどうか、政府内部のひと握りの人間しか知ることができません。「適正評価制度」で「特別秘密」を取り扱う者が限定され、それ以外は政府の高級官僚といえど「特別秘密」について知ることができなくなるからです。

仮に、そのひと握りの人間が外部からコントロールされたら、日本という国家そのものを牛耳ることが可能になります。

問題は、集団的自衛権行使容認による日米の軍事的一本化(自衛隊の米軍下請け化)によって、日米間で共有される軍事機密が格段に増えるため、その漏洩を防ぐのが秘密保全法の制定を急ぐ理由であるとされていることです。

米国から、「軍事機密なので『特別秘密』扱いにするように」とオーダーされたら、日本政府は、それを断れません。その「特別秘密」の内容が、本当に安全保障上、表にはできない情報なのか、秘密にすることが日本の国益にかなうのかどうか、検証することができず、日本の頭脳であるはずの政府中枢に、政府自らも認知できない「暗部」が広がってゆくことになりかねないのです。

私は…これを「ロボトミー化」と表現しました。米国の要求通りに、憲法を改正して集団的自衛権の行使容認に踏み切り、情報監視を強化するサイバーセキュリティセンターを設立し、秘密保全法を制定してしまえば、国家意志の中枢を米国に完全に牛耳られ、「ロボトミー化」されてしまいます。これは、国家乗っ取り以外の、何ものでもありません》

〇IWJ Independent Web Journal 2013/6/26〔検索〕
http://www.google.co.jp/gwt/x?client=ms-docomo_link-jp&gl=JP&u=http://iwj.co.jp/wj/open/archives/87051&hl=ja-JP&ei=LSM1UtexNciolAXypoG4BA&wsc=tb&ct=pg1&whp=30


特に今特別秘密と言われピンとくるのは、その全貌を日本国民が知ったら怒り狂うと言われるTPPの内容である

まあ、ムシのいい卑劣なものを次から次へと出してくるものである…

転載終了

さらにオカシイ点!

★秘密保全法★は、

「国の安全」 「外交」 「公共の安全と秩序の維持」 に関わる事は「特定秘密」に出来る。

ザックリすぎるこの シバリ。

解釈の仕方では、どんなことでも、何とでもコジつけられちゃうかも。

情報漏洩した者には最高懲役10年だって。

「特別秘密」を漏えいする者だけでなく、それを探ろうとする者も、「特定取得行為」として、処罰されるって。

今以上の情報隠蔽が当たり前に行われ、それにアクセスする者、知ろうとする者は罪に問われる。

マスコミの記者さんもフリージャーナリストもビビって踏み込んだ取材なんて出来なくなるね。
内部告発なんてハードル高すぎでしょ。

よっぽどの勇気が無きゃ恐くてバラせないね、例え沢山の人々の命に関わる事であっても。

しかも、取材したり調査した事を発表しなかった、としても「未遂罪」適用、って怖すぎる。

それに関してTwitter、Facebookでコメントしたら「共謀罪」の恐れ。

「何が特別秘密か知りたいニャ~」とネットで呟いただけでも「検挙」される可能性あり。

情報を漏らすのも「罪」、「探る」のも罪、「情報出せ、公開しろ!」 って声を上げても「特別秘密の取得罪」ってどう考えたってオカシイでしょ。

情報統制が始まる、って事。

何も知れない、何も言えない、って時代がすぐそこまで迫ってるんだよ。

弾圧がより激しくなり、とんでもなく強い同調圧力の中で生きるって事、息を潜めながら。

「人を脅かす発言ばかりのオカルト野郎め!」ってあなた。

法案が通って、数年後に泣いたって遅いんだよ。

今まで以上に情報はコントロールされ、報道は政府や権力者にとって好ましい内容しか流れず、情報は均質化される。

昔、戦争があった時代と同じ。

何としてもこれを阻止しなきゃ、今よりもっともっと酷い時代がやって来る。

★秋の国会でアッサリ通過させようとしている★秘密保全法★

★皆で大きな声を出し、巨大なウネリを作り出そう!★


山本太郎さんのブログより転載でした


女優の藤原紀香さんも自身のブログで秘密保全法について警鐘を鳴らしている


あたしはぶっちゃけ今日知った!!Σ(゜Д゜)

これ、表面上は国内のスパイに国家機密が漏洩しないための規制って言ってるけど

絶対100%ネット規制が狙いだ!!

今や国民はマスコミよりもネットで情報入手してるし、規制がない分ネット上のニュースは真実を書ける


それが政府にとってめっちゃ都合が悪いわけだ

例によってアメリカからごり押しされたんだろう

知ってる人少ないけどね

GoogleもTwitterもfecebookも個人情報を掴むためのツールだから!

アメリカ政府が企業に開発させたスパイツールだよ(--;)

アメリカはそうやって個人を管理してるんだよ

テレビや新聞などのマスコミはすでに政府の僕だから、そこから真実のしの字も報道されやしない

これでネットまで規制それたら国民は何が起きてるのかまったくわからなくなる


そんな法律が必要だろうか?

いらないと思ってる人が大半だろう

でもただ思ってるだけじゃ何も変わらない

国民の意志をハッキリと政府に伝えなきゃいけない

今からでもメールなりFAXなり電話で自分の意志を伝えよう!

塵も積もれば富士山ぐらいになる!!\(>_<)/

より多くの人にこのアホらしい法案を知ってもらうために拡散希望(・o・Ξ・o・)ヘ

皆さん身近の人に知らせて下さい!

ちょっと感動したので貼ってみました!

熟年離婚を考えてる人にこそ読んで欲しい




When I got home that night as my wife served dinner, I held her hand and said, I’ve got something to tell you. She sat down and ate quietly. Again I observed the hurt in her eyes.

仕事から帰宅すると、妻は食事の支度をととのえていた。
僕は彼女の手をにぎり「話があるんだ」と切り出した。
妻は何も言わず席についた。その目は苦痛に満ちていた。


Suddenly I didn’t know how to open my mouth. But I had to let her know what I was thinking. I want a divorce. I raised the topic calmly. She didn’t seem to be annoyed by my words, instead she asked me softly, why?

ふと、僕はどう切り出したらいいのか分からなくなった。
でも言わなければならない。「離婚したいんだ」と。
僕は冷静に、その言葉を口にした。
妻は大したリアクションも見せず、ただ静かに聞き返した。「どうして?」


I avoided her question. This made her angry. She threw away the chopsticks and shouted at me, you are not a man! That night, we didn’t talk to each other. She was weeping. I knew she wanted to find out what had happened to our marriage. But I could hardly give her a satisfactory answer; she had lost my heart to Jane. I didn’t love her anymore. I just pitied her!

その問いに敢えて答えないでいたら、妻はとうとう怒りをあらわにした。
彼女は箸を投げ散らかし叫んだ。「あんたなんか、男じゃない!!」

その夜、その口論のあと
僕らはとうとう一言も言葉を交わさなかった。
妻のすすり泣く声がかすかに聞こえた。
わかっている。どうして僕らがこうなってしまったのか、妻はその理由を知りたがっているのだ。
でも僕は、彼女を納得させられるような説明をとうてい与えられるはずはなかった。
それもそのはず。僕は「ジェーン」という他の女性を愛してしまったのだ。
妻のことは、、、もう愛していなかった。
ただ哀れんでいただけだったのだ!

With a deep sense of guilt, I drafted a divorce agreement which stated that she could own our house, our car, and 30% stake of my company. She glanced at it and then tore it into pieces. The woman who had spent ten years of her life with me had become a stranger. I felt sorry for her wasted time, resources and energy but I could not take back what I had said for I loved Jane so dearly. Finally she cried loudly in front of me, which was what I had expected to see. To me her cry was actually a kind of release. The idea of divorce which had obsessed me for several weeks seemed to be firmer and clearer now.

深い罪悪難に苛まれながら、僕は離婚の「承諾書」を書き上げた。
その中には、家は妻に譲ること、車も妻に譲ること、僕の会社の30%の株も譲渡することを記した。
彼女はそれをチラと見ただけで、ビリビリと破り捨てた。
僕がこの10年という月日を共に過ごした、この女は
僕にとってもはや「見知らぬだれか」に成り下がっていた。
彼女が今まで僕のために浪費した、時間、労力、エネルギーに対しては、、、本当に申し訳ないと思っている。
でも
自分が「ジェーン」を愛しているという気持ちに、これ以上目を背けることは出来なかった。

承諾書を破り捨てたあと、妻はとうとう大声をあげて泣き始めた。
ヘンな言い方だが、僕はその彼女の泣く姿を見て少しホッとしたのだ。
これで離婚は確定だ。
この数週間、呪いのように頭の中につきまとっていた「離婚」という二文字は、
これでとうとう現実化したのだ。

The next day, I came back home very late and found her writing something at the table. I didn’t have supper but went straight to sleep and fell asleep very fast because I was tired after an eventful day with Jane. When I woke up, she was still there at the table writing. I just did not care so I turned over and was asleep again.

その翌日、僕は仕事からかなり遅くに帰宅した。
家に戻ると、妻はテーブルに向かって何かを一生懸命に書いていた。
夕食はまだだったが食欲など到底なく、僕はただベッドに崩れるように倒れ込み寝入ってしまった。
深夜に一度目が覚めたが、その時も妻はまだテーブルで何かを書いているようだった。
僕はもはや大した興味もなく、ふたたび眠りについた。


In the morning she presented her divorce conditions: she didn’t want anything from me, but needed a month’s notice before the divorce. She requested that in that one month we both struggle to live as normal a life as possible. Her reasons were simple: our son had his exams in a month’s time and she didn’t want to disrupt him with our broken marriage.

朝になって、妻は僕に「離婚の条件」とつきつけてきた。
彼女は家も車も株も、何も欲しくないと言った。
でもその代わりに「1ヶ月間の準備期間」が欲しいと言ってきた。
そして彼女の条件は、その1ヶ月のあいだ出来るだけ「今までどおり」の生活をすること。
その理由は明確だった。
僕らの息子が、1ヶ月後にとても大切な試験を控えているため
できるだけ彼を動揺させたくないというのが、彼女の言い分だった。

This was agreeable to me. But she had something more, she asked me to recall how I had carried her into out bridal room on our wedding day. She requested that every day for the month’s duration I carry her out of our bedroom to the front door ever morning. I thought she was going crazy. Just to make our last days together bearable I accepted her odd request.

それに関しては、僕は即座に納得した。
だが、それ以外にもうひとつ妻は条件をつけてきた。
「私たちが結婚した日、あなたが私を抱き上げて寝室に入った日のことを思い出してほしい」と。
そして、これからの一ヶ月のあいだ、あの時と同じようにして
毎朝、彼女が仕事へ行くときに
彼女を腕に抱き上げて 寝室から玄関口まで運んでほしいと言うのだ。

僕は「とうとうおかしくなったな・・・」と思った。
でもこれ以上妻といざこざを起こしたくなかった僕は、黙って彼女の条件を受け入れた。

I told Jane about my wife’s divorce conditions. . She laughed loudly and thought it was absurd. No matter what tricks she applies, she has to face the divorce, she said scornfully.

僕は「ジェーン」にこのことを話した。
ジェーンはお腹を抱えて笑い、「ばかじゃないの」と言った。
今さら何をどうジタバタしたって離婚はまぬがれないのにと
ジェーンは嘲るように笑った。

My wife and I hadn’t had any body contact since my divorce intention was explicitly expressed. So when I carried her out on the first day, we both appeared clumsy. Our son clapped behind us, daddy is holding mommy in his arms. His words brought me a sense of pain. From the bedroom to the sitting room, then to the door, I walked over ten meters with her in my arms. She closed her eyes and said softly; don’t tell our son about the divorce. I nodded, feeling somewhat upset. I put her down outside the door. She went to wait for the bus to work. I drove alone to the office.

僕が「離婚」を切り出して以来
僕ら夫婦はまったくスキンシップをとっていなかった。
なので
彼女を抱き上げて玄関口まで連れていった1日目
僕らは二人ともなんともヘンな感じで、ぎこちなかった。

それでもそんな僕らの後ろを、息子はそれは嬉しそうに手をパチパチ叩いてついてきた。
「ダディーがマミーを抱っこして『いってらっしゃい』するよ!」
その言葉を聞くなり、僕の胸はきりきりと痛んだ。
寝室からリビングへ、そして玄関口へと
僕は妻を腕に抱いたまま10メートルは歩いただろうか。
妻は目を閉じたまま、そっと「どうかあの子には離婚のことは言わないで」と耳元でささやいた。
僕は黙ってうなずいた。でもなぜか、そうしながら
心はひどく動揺していた。

妻をドアの外に静かにおろすと、彼女はそのままいつものバス停へ向かって歩いていった。
僕もいつもどおり車に乗り込み仕事へ向かった。

On the second day, both of us acted much more easily. She leaned on my chest. I could smell the fragrance of her blouse. I realized that I hadn’t looked at this woman carefully for a long time. I realized she was not young any more. There were fine wrinkles on her face, her hair was graying! Our marriage had taken its toll on her. For a minute I wondered what I had done to her.

2日目の朝
初日よりは少しは慣れた感があった。
抱き上げられながら、妻は僕の胸に自然ともたれかかっていた。
僕はふと、彼女のブラウスから薫るほのかな香りに気づいた。
そして思った。
こうして彼女をこんな近くできちんと見たのは、最後いつだっただろうかと。。。

妻がもはや若かりし頃の妻ではないことに、僕は今さらながら驚愕していた。
その顔には細かなシワが刻まれ
髪の毛には、なんと白いものが入り交じっている!
結婚してからの年数が、これだけの変化を彼女に。。。
その一瞬、僕は自問した。「僕は彼女に何てことをしてしまったのだろう」と。

On the fourth day, when I lifted her up, I felt a sense of intimacy returning. This was the woman who had given ten years of her life to me. On the fifth and sixth day, I realized that our sense of intimacy was growing again. I didn’t tell Jane about this. It became easier to carry her as the month slipped by. Perhaps the everyday workout made me stronger.

4日目の朝
彼女を抱き上げたとき、ふと
かつて僕らの間にあった、あの愛情に満ちた「つながり感」が戻ってくるのを感じた。
この人は
この女性は
僕に10年という年月を捧げてくれた人だった。

5日目、そして6日目の朝
その感覚はさらに強くなった。
このことを、僕は「ジェーン」には言わなかった。

日にちが経つにつれ
妻を抱き上げることが日に日にラクになってゆくのを感じた。
なにせ毎朝していることなので、腕の筋力もそりゃ強くなるだろうと
僕は単純にそう考えていた。

She was choosing what to wear one morning. She tried on quite a few dresses but could not find a suitable one. Then she sighed, all my dresses have grown bigger. I suddenly realized that she had grown so thin, that was the reason why I could carry her more easily.

ある朝、妻はその日着てゆく服を選んでいた。
鏡のまえで何着も何着も試着して
それでも体にピッタリくる一着が、なかなか見つからないようだった。
そして彼女は「はあ~っ」とため息をついた。
「どれもこれも、何だか大きくなっちゃって。。。」

その言葉を耳にして、僕はてハッ!とした。妻はいつの間にやせ細っていたのだ!
妻を抱き上げやすくなったのは、僕の腕力がついたからではなく
彼女が今まで以上に軽くなっていたからだったのだ!

Suddenly it hit me… she had buried so much pain and bitterness in her heart. Subconsciously I reached out and touched her head.

愕然とした。
それほどまで、やせ細ってしまうまで
彼女は痛みと苦痛を胸のなかに。。。

僕は思わず手を伸ばして、妻の髪に触れていた。

Our son came in at the moment and said, Dad, it’s time to carry mom out. To him, seeing his father carrying his mother out had become an essential part of his life. My wife gestured to our son to come closer and hugged him tightly. I turned my face away because I was afraid I might change my mind at this last minute. I then held her in my arms, walking from the bedroom, through the sitting room, to the hallway. Her hand surrounded my neck softly and naturally. I held her body tightly; it was just like our wedding day.

そこに息子がやってきた。
「ダディー、マミーを抱っこして『いってらっしゃい』する時間だよ!」

息子には、父親が母親を毎朝抱き上げるこの光景を目にすることが
すでに大切な日常の一場面となっているようだった。

妻は、そんな息子にむかって「おいで」と優しく手招きしたかと思うと
彼を力いっぱいぎゅっと抱きしめた。
僕は思わず目をそらした。
そうしないと、最後の最後で、気が変わってしまいそうだったからだ!

僕はだまって、いつものように妻を腕に抱き上げ
寝室から、リビング、そして玄関口へと
彼女を運んだ。
妻はただそっと、僕の首に腕を回していた。
そんな彼女を、気づいたら強くグッと抱きしめていた。
そうまるで、結婚したあの日の僕のように。。。

彼女の、それはそれは軽くなった体を腕のなかに感じながら
僕は例えようのない悲しみを覚えていた。

But her much lighter weight made me sad. On the last day, when I held her in my arms I could hardly move a step. Our son had gone to school. I held her tightly and said, I hadn’t noticed that our life lacked intimacy. I drove to office…. jumped out of the car swiftly without locking the door. I was afraid any delay would make me change my mind…I walked upstairs. Jane opened the door and I said to her, Sorry, Jane, I do not want the divorce anymore.

そして最後の朝、

妻を抱き上げたとき
僕は、一歩たりとも歩みを進めることができなかった。
その日息子はすでに学校へ行ってしまっていた。

僕は妻をしっかりと腕に抱き、そして言った。
「今まで気づかなかったよ。僕たちの結婚生活に、こうしてお互いのぬくもりを感じる時間がどれほど欠けていたか・・・」

そして僕はいつもどおり仕事へ向かった。
何かにせき立てられるように、とにかくここで、最後の最後で
自分の決心が揺らいでしまうのが怖くて
それを振り切るかのように、車を停めると鍵もかけずに飛び出し
オフィスのある上の階まで駆け上がっていった。
気が変わってしまう前に、オフィスへ行かなければ。早く「ジェーン」のもとへ!

ドアを開けるとそこに「ジェーン」がいた。
彼女を見た瞬間、
僕は思わず口にしていた。

「ジェーン、すまない。 僕は離婚はできない。」

She looked at me, astonished, and then touched my forehead. Do you have a fever? She said. I moved her hand off my head. Sorry, Jane, I said, I won’t divorce. My marriage life was boring probably because she and I didn’t value the details of our lives, not because we didn’t love each other anymore. Now I realize that since I carried her into my home on our wedding day I am supposed to hold her until death do us apart. Jane seemed to suddenly wake up. She gave me a loud slap and then slammed the door and burst into tears. I walked downstairs and drove away. At the floral shop on the way, I ordered a bouquet of flowers for my wife. The salesgirl asked me what to write on the card. I smiled and wrote, I’ll carry you out every morning until death do us apart.

「ジェーン」は「はあ?」という目で僕を見つめ
そして額に手をあてた。「あなた、熱でもあるの?」

僕はジェーンの手を額からはずし、再度言った。
「すまない、ジェーン。僕は離婚はできないんだ。」

「妻との結婚生活が『退屈』に感じられたのは、彼女を愛していなかったからではなく
僕が毎日の小さな幸せを、他愛のない、だけどかけがえのない小さな日常を
大切にしてこなかったからなんだ。
今頃になって気づいたよ。あの日、あの結婚した日
僕が彼女を腕に抱いて家の中へ初めての一歩を踏み入れたあの日のように
僕は死が二人を分つまで、彼女をしっかり腕に抱いているべきだったんだ!」

「ジェーン」はようやく事の次第を理解したようだった。
そして僕のほっぺたを思いっきりひっぱたくと、扉をバタン!と閉め
ワーッ!と泣き叫びながら飛び出して行った。

僕はそのまま黙って階下に降りた。
見ると、花屋が目にとまった。
僕はそこで、妻のためのブーケをアレンジしてもらった。
店員が「カードには何とお書きになりますか?」と聞いてきた。
僕はふと微笑んで、言った。
「そうだね、こう書いてくれ。」

『毎朝君を腕に抱いて見送るよ。死が二人を分つ、その日まで...』

That evening I arrived home, flowers in my hands, a smile on my face, I run up stairs, only to find my wife in the bed -dead. My wife had been fighting CANCER for months and I was so busy with Jane to even notice. She knew that she would die soon and she wanted to save me from the whatever negative reaction from our son, in case we push through with the divorce.— At least, in the eyes of our son—- I’m a loving husband….

その日の夕方、僕は
妻への花束を抱え、顔に笑顔をたたえて
家についた。

はやる気持ちで階段を駆け上がる!
早く早く!妻のもとへ!

・・・・


元記事:シアトル日記:妻の祈り URL:hanayu0413.chesuto.jp/e817476.html



最近ずっと広告シリーズで肉食の害について記事をのせてるけど

徹底的に肉を食べないようにするのって結構難しいことだと思う


タバコやお酒なら健康のためっていう大義名分の元いくらでも好きにやれるけど

肉食絶ちはねー・・・・

まず説明がめんどくさい(-_-;)

大抵家族や友達や恋人やその他の人に反対される!

嗜好品と違って、食事は命に直結してるからね…


さらに、外食する時もっとめんどくさい(´д`|||)

社会人なら社内での付き合いや接待もあるから


焼き肉に誘われた日にゃマジで焦るわΣ( ̄皿 ̄;;


それに、肉絶ちしてみるとわかるが、外食するとビックリするぐらい

いろーーんなところで肉が使われてるんだ!って気付く


サンドイッチ頼めばハムが入ってる、ピラフ頼めばベーコンが乗ってるし

チーズ焼きカレー頼んだらなぜか角煮が入ってたΣ(゜Д゜)エ?


かといって、いちいち説明してもウザいだろーし


自分が肉食べないからって人に強制することはできないしね



なかなか…厳しい道程である(/´△`\)


でも

一番厳しいのは自分の欲望との戦い!!


どれ程頭で肉食はよくないと、どれ程の知識や理屈を並べてみても、


お腹空いてる時に肉見ちゃうと


「・・・・うまそう・・ジュル」とかなっちゃうんですよ!!


情けない…あたし…・・・(;´Д`)

欲望と日々戦っております!


何でそこまでするのー?時々食べればいーしゃん!って友達にも言われるが

なんかねー…もうダメなんだよね

しようがない場面で食べることもあるけど(野菜炒めに入ってる肉とか)


罪悪感でお腹&胸がいっぱいになるんだなー


一度真実を知ってしまうと、もう知らない頃には戻れない

目を瞑って知らん顔がもうできないんだわ

自分の心は騙せないから

親戚にも養豚場を営んでる人がいるんだけど


やっぱり子豚は可愛いし、自分の手で育て上げた豚を

自分の手で殺す時、毎回大泣きするって言ってた


その感覚がやっぱりまともだと思う


まだまだ多勢に無勢だけど


いつか「ライオンじゃありまいし、日々動物を食べるのってやっぱりおかしいよね」って

みんなが気付く日がくると思うから


















このシリーズしばし続きます(笑)

本日はお馴染みの牛乳について

今までもちょいちょい書いてきたけど、今日は徹底的にいきます!

「牛乳は本当に健康食品?」

もともと日本人は農耕民族で、牛乳を飲む習慣
はありませんでした。
ではなぜ牛乳が日本にこんなの普及したので
しょうか。

第二次世界大戦終了後、アメリカは
日本を産業拠点地とするために、日本の食産業に
目をつけました。
日本に洋食を導入しようということです。牛
乳はその一環として、日本に入ってきました。

ところが牛乳産業を押し進めていった結果、膨
大な量の牛乳を余らせることになってしまい、
困った政府は需要と供給のバランスを義務つけ
るために全国の小中学校の給食に、牛乳を配給する
ことを決めました。
それと共に、牛乳は重要なカルシウム源と認識
させ、カルシウム不足を恐れさせる教育を徹底させ、
「牛乳を飲めば健康になる」→「牛乳を飲まな
いとカルシウム不足になり病気になる」と思い込ま
せたのです。


しかし、牛乳には人間の食品としては、
いくつかの問題があることがわかってきました。
そのうちのひとつが、牛乳に含まれるカルシウ
ム「カゼインタンパク」は、
人間の消化吸収には適していないことです。
そもそも牛乳というのは牛の赤ちゃん専用のも
のです。
牛は生まれてから短期間で急成長し、あのような
丈夫な骨格を作っていきます。
なので、人間には合わないと言われています。

また、牛乳のカルシウムを消化吸収する段階
が、人によってはうまく働かない場合もあります。
「牛乳=カルシウム補給」と皆さん思われてい
ると思いますが、
カルシウムは多く取りすぎるとかえってカルシ
ウム過剰により体にいくつもの弊害が起こってきま
す。

その1つが骨粗しょう症です。
牛乳を飲むと、牛乳に含まれる悪いカルシウム
が人体に必要な良質のカルシウムを連れ出して体外
に流出させてしまいます。
そのため、飲めば飲むほどカルシウムが不足して虫歯や複雑骨折が多く見ら
れるようになります。
「骨粗しょう症の予防には牛乳」という認識は
実は間違いではないかと言われるようになったのです。

実際、牛乳を大量に飲んでいる北欧の人たちほ
ど、骨粗しょう症に悩まされている人が多いそうで

アメリカでは、牛乳はいまや不健康食品として
「健康のために」というコマーシャルは禁止されて
います。
もともと牛乳は不飽和脂肪酸が多くカロリーが
高いので、飲み過ぎると肥満促進飲料となってしま
います。



牛乳を飲みましょうとこれだけ推進されている
にも関わらず骨がもろく肥満ぎみの子供たちが増え
ていますよね。
最近の子供は日光に当たる時間もかなり少なく
なっています。
適度なカルシウムを摂って、日光に当たること
で骨は強くなるのに、やたら牛乳を飲んで、日に当
たらないため、
栄養のためにと思って飲んでいることが、健康
に繋がらないという悪循環になっているそうです。

また牛乳に含まれる乳糖を分解するラクターゼ
という乳糖分解酵素が日本人には少なく、
それがお腹がゴロゴロなったりする原因なった
り、腸内腐敗を引き起こします。
牛乳を飲むとお腹をすぐ壊すので牛乳が飲めな
くて肩身の狭い思いをされた方もおられると思いま
すが、
実はそれが日本人として普通の反応だったのです。

さらに、牛乳を多く摂りすぎると動脈硬化→高
血圧→不整脈→心臓病を起こす原因ともなります。


また、牛乳はアトピー性皮膚炎やアレルギーを
引き起こす原因にもなります。
牛乳のタンパク質は分子が小さく直接血中に吸
収されるため、血液が汚染されたり、
上記にも書いた牛乳に含まれるカゼインがアレ
ルギー反応を起こしやすい物質であることが上げら
れます。
乳幼児の頃から、牛乳を与えられて育つと、

アレルギーの起きる確立は更に高まるそうです。

他にも牛乳の欠点・弊害がいくつか紹介されて
いました。
・人間の脳の発達に必要なビタミンBとリンが
非常に少ない。
・自然な免疫力が母乳にはあるが牛乳にはない。

・粉ミルクには30品目以上の食品添加物が含
まれており、さまざまな副作用の併発のもととなっている

・牛乳のタンパク質と脂肪が血液粘度を増し、
高脂血症のもととなる。
・牛乳の脂肪は飽和脂肪酸が多量に含まれ動脈
硬化のもととなり、脂肪の量の多さが乳ガン、大腸
ガンなどのもととなる。
・牛乳やヨーグルトを多量に摂取するとは視力
低下や白内障を起こしやすい。
・粉乳となったものはかなり酸化している。

例えばどーーしでも母乳が出ない時は、やむを得ないので粉ミルクをあげるしかないけど

2才半ぐらいになったら、もうあげるのはやめるべき!

哺乳類が赤ちゃんにお乳をあげるのは、力がない赤ちゃんが、敵から逃げられるように、

一刻も早く成長してくれないと困るっていう切羽詰まった理由からだ


だからお乳は急成長できるぐらい栄養豊富

しかし、それはあくまで赤ちゃん専用

もう急成長を必要としてない人間がその成分を大量にとれば

自然と体はそれを排除しようとする

需要と供給が合ってないんだから当然の結果だ

いらないものを大量に押し売りされるほど迷惑なことはないわ!

牛肉にしろ、牛乳にしろ、それを大量に摂取しなければいけないほど

現代人は栄養不足じゃない

むしろ栄養過多(でもビタミンとミネラルは足りてない)で病気が増えてる

何が栄養があるから食べるんじゃなく、何が足りないから補うために食べるが正しい食事だと思う