心が "美しい"と動かされるとき
それは神聖なる存在のあしあとを感じた証拠です。
あー、記憶だらけだなー。
そう思うわたしの日々の中にも、
「美しい」
って思える瞬間は多々訪れます。
そっか、そういう時はディヴィニティと繋がれている時なのかもしれない。
そう思うと、ちょっと勇気が出る。
(「かもしれない」は余計なのでクリーニングします)
クリーニングできていない!
クリーニング忘れてる!
と思う時ばかりだけど、それでも「I love you」って言った分はきちんと消えている。
そう思うことが増えてきました。
それと同じく、ふとした瞬間に、「ああ、綺麗だな」「幸せだな」「愛されてるな」と思うことも増えてきました。
クリーニングは、正直。
ちゃんと自分に返ってくる。
感情は、ウニヒピリの声。
「美しい」って思いは、「クリーニングできてるよ」「浄化できてるよ」のサイン。
だからそういう時も、ウニヒピリと一緒にクリーニングしよう。
「綺麗だね、うれしいね。見せてくれてありがとう。愛してるよ」
今日はなんだか責められているような気分になって、孤独になって、苦しい気分になったりしました。
そんな時でも、
たとえそれが気分だけじゃなくて、本当に孤独な時でも、
私は美しいものに想いを巡らせることができる。
微笑みを浮かべることができる。
クリーニングも続けられる。
それはとても自由で、心強いことだと思います。
今日もいろんなことを見せてくれてありがとう。
その全てを愛をもって手放します。
愛しています。
ありがとう。
