小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」2016年 09月15日(木)ヨリ 転載】


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【源流12】


 大河内敬一は、大学進学にあたって、インドで職業に就くには建築技術を身につけることが必要だと考え、工業大学の建築学科へ進んだ。また、インドの公用語となっている英語の習得に力を注いだ。さらに、同じ公用語であるヒンディー語を学ぼうと、語学学校の集中講座にも通った。

 本物の決意には、緻密な計画と行動が伴っている。それがない決意というのは、夢物語を口にしているにすぎない。

 大学卒業を間近に控えた一九七五年(昭和五十年)一月、インド政府の奨学金を受けてインドの大学院に留学するための試験を受けた。しかし、合格にはいたらず、補欠に終わった。

 卒業後は大学の研究室で教授の手伝いや勉強をしながら、インド留学の道を思案した。“自分の使命を果たさせてください!”と懸命に唱題にも励んだ。

 この年の八月二十五日、山本伸一が出席して、鳳雛会の結成九周年を記念する式典が箱根研修所(後の神奈川研修道場)で開催された。大河内はアトラクションに出演し、汗まみれでアフリカンダンスを披露した。その直後、母親から研修所に電話が入った。

 「インド大使館から連絡があり、すぐに連絡するように」とのことであった。彼は、研修所の電話を借りて、連絡を取った。

 「あなたの留学が決定しました。準備が整い次第、インドへ出発してください」

 耳を疑った。合格者の一人が留学を辞退したことから、インド行きが決まったのだ。彼は、すぐに、研修所にいた伸一に報告した。

 伸一は、彼の前途を祝して念珠を贈った。

 大河内が東京に戻り、在日インド大使館で留学の手続きなどを済ませ、慌ただしく日本を発ったのは九月二日のことであった。

 彼は、インド北部のウッタル・プラデーシュ州にある名門・ルールキー大学の大学院の修士課程で学ぶことになった。

 懸命な努力、真剣な祈り――そこに困難の壁を打ち破る要諦がある。


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