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月兎のブログ

白泉社で連載中の漫画「スキップ・ビート」の非公式・無許可の二次創作ブログです。
カップリングは蓮×キョーコ
二次創作に関して不快感を抱かれる方、別カップリングを推している方には不向きと思われますので、速やかに移動されることをお勧めします。

 雪花が所在なげに座っていると、蓮が戻ってきた。
 見上げれば蓮は鍋ごと持っている。
「……誰もいなくて、ね」
 目を丸くしている雪花にバツが悪そうに呟いた。
 雪花の部屋には書き物に使う卓がある。それを布団に座る雪花の下に持って行くと、その上に鍋を置いた。
 雪花が中身を見て目を丸くしている。
「あぶ玉………」
 鍋の中には油揚げと卵が湯気を立てている。
 ふっと雪花の表情が曇った。
「油揚、嫌いだったかい」
 申し訳なさそうに云われて慌てて雪花は首を振った。
「油揚も卵も好きです」
「良かった」
 屈託なく笑われて雪花は胸に靄がかかる。
 箸と匙、椀を手渡される。
 そうされると雪花に断れる術はない。
 椀を手に揚げを箸で摘まみ上げると、まじまじとそれを見やる。
「あの……敦賀さま………」
「なに」
 雪花が云い淀むのも無理はない。揚げはかなり大きく裂かれていた。
「ああ。包丁が見当たらなくて」
 台所番が研いで水を切った後、片付けてしまったのだろう。
 それで蓮は揚げを手で引き裂いたのだ。
 いびつな大きさと切り口はそういう訳かと雪花は椀に移した揚げを口に運ぶ。
 囓れば口の中に出汁の味が広がる筈だった。
「これ………」
 絶句する雪花に蓮は何事かと思う。
「敦賀さま、お出汁取られましたか」
「出汁って」
 蓮はきょとんと聞き返す。
「鰹節か昆布で………取られてないですね」
「あ、うん」
 こっくりと頷く。
 出汁もそうだが………と雪花はもう一口頬張る。
「敦賀さま。味見しましたか」
「え。味見……って………」
 雪花に問われる度に大きな体を小さくして畏まる蓮にふっと笑いがこみ上げる。
「醤油を入れれば良いんだよね」
 蓮は卓ににじり寄るとじっと鍋の中を見る。
 つまりは味見はしていない。
(これを出された女の方は黙って食べたのかしら)
「もしかして不味いの、か」
 もしかしなくても不味いのだが、雪花は頷くべきか考え込む。
 すると蓮の手が鍋に伸びたので、慌てて雪花は手にしていた箸を差し出す。蓮は椀ごとそれを受け取り、中の揚げに齧り付いた。
「しょっぱい………」
 そうっと覗うと蓮は顔を顰めている。
「暗かったのですよね。お鍋の中が見えないからお醤油、入れすぎたんだと思います」
「でも、なんだか、しょっぱいんだけど味が付いてないっていうか」
「敦賀さま、揚げは油抜きしましたか」
 そっと指摘すると蓮は首を傾げた。
「湯を廻しかけて揚げに付いている余分な油を落とすんです。そうすると揚げの中に味が染みるんですよ」
 へぇっと蓮は感心する。
「あと、醤油だけじゃ味が平坦ですから、鰹節で出汁を取るんです」
 出汁と聞いても合点が行かない様だった。雪花は丁寧に説明する。
「お湯を沸かして引いた鰹節を入れるんです。直ぐにお出汁が出ますから、笊で鰹節を漉します。味をつけるのはその後です。醤油は少しずつ入れて下さい。小皿に少し汁を取って味見します」
 蓮は頷きながら聞いている。
「揚げを煮てから最後に卵を入れるといいですよ」と付け足す。どうも揚げも卵も一緒に入れたらしく、卵には火が入りすぎていた。
「お前にも作れるからって云われたんだけど、出汁なんて云われなかったよ」
 しみじみと語られて雪花は酢を飲んだ様な顔をした。「今までどなたも何も仰らなかったのですか」
 云ってから余計な事をと慌てて口を閉ざした。
「どなたもって云われても、作ったの初めてだし。ガキの頃、腹が減った俺に作ってくれた人が、揚げと卵があれば出来るからお前にも作れるって云われたんだ」
 どうやら作り方を教えた人は大雑把に教えたらしい。
 確かに作り方は間違っていないし、あぶ玉が出てくる状況を考えれば味は二の次なのかも知れないが、どういう状況で男がこれを女に出すのか彼に教えた人は云わなかったのだろうか。
 頭を抱えたくなるが、蓮の「作ったのは今日が初めて」だと言葉にほろ苦さの中にも嬉しさが混じる。
「太夫、これは食べない方がいいよ」
 そう告げる蓮の手から雪花は椀を取り上げる。
「冷めてしまう前に頂きますね」
 ぱくぱくと口に運ぶ雪花を黙って蓮は見ていたが、
「俺にもくれないか」と鍋を覗き込んだ。
「はい」と応えたものの、箸も椀も一つしか無い。
 先程は味見程度に考えていたから箸を差し出したが、食べるというなら話は別だ。
 すると蓮は無言で雪花の手から箸を抜き取ると、椀を持つ左手に自分の手を添えて、雪花の食べかけを囓りだした。
「はい、太夫」
 鍋の中から揚げを取り出して椀に入れ雪花に差し出す。 蓮と椀とを見比べて困ったように受け取った。
 今度は雪花が空になった椀に揚げを入れ、蓮へと差し出す。
 そうやって交互に二人はあぶ玉を食べ終えた。
 ご丁寧に蓮は卵まで半分にして雪花の口に放り込んだ。
 食べ終える頃には雪花はなんだか可笑しくなって、クスクスと笑っていた。
「ごちそうさまでした」
 頭を下げる雪花に、
「確かに珍味だったなぁ」と蓮は呟く。
 その口調が可笑しくて二人は一緒に笑った。
「今度、作られるときはお出汁を取って味見をして下さいね」
「ないよ」
 軽口の延長で雪花は云ったが返ってきたのは硬い声だった。
 驚いて蓮の顔を見る。
「誰にも、作る事はないよ」
 その眼差しが余りに真剣で雪花はどういう意味かも質せなくなる。
 呆然と自分を見る雪花の眼差しから逃げるように、蓮は鍋を手に立ち上がった。
 背を向けられて知らず蓮の袖を掴んだ。
「流しに置いたら戻ってくるよ」
 そう云うと蓮は雪花の手を解いた。
 雪花に背を向けた蓮は、苦虫を噛み潰したような顔そしていた。
 雪花の、今度作るときは、という言葉に「他の女に作るときは」と聞こえて来て腹が立ったなどと云える訳が無い。縋られた指先を振り解くしかなかった。
 雪花には他に告げなければならない事が残っていた。

 鍋と椀を流し場に置き水に浸けると蓮は部屋へと戻った。
 蓮が下へと降りている間に雪花は卓を部屋の隅へと片付けていた。
「太夫に云っておかなくちゃいけない事があるんだ」
 雪花の手を取り、蓮は座る。
「もう、ここには来れなくなった」
 雪花の息を飲む音が響く。
「ご縁談が決まったのですから、当然です」
「俺の外聞などどうでもいいのだけれど、結納もあるし何やかやと口煩いのが居てね」
 雪花はそっと首を横に振る。
「前にも云いましたが、ご縁談が決まったお相手が吉原に通っているとなるとお相手が気になさいます。お相手の事を一番に考えて下さいませ」
「こんな事になっているのに………」
「なりません。私は十分に敦賀さまに良くして頂いております。これ以上は楼の皆にも敦賀さまのお家にも良い事はありません。私の事でしたら、もう同じ失態を二階番は致しませんでしょう。どうかこれ以上のお情けは過分にございます。私は今のままで十分です」
 雪花はそっと頭を下げ、蓮の手の甲に額をつける。
「敦賀さまがおいでにならないとなると小毬ちゃんが泣きますね」
「そうだね。泣かれるのは辛いかな」
 では雪花は泣かないでおこうと決めた。
「太夫の、身請けの時は見送りに来るから」
 弾かれたように顔を上げ、いけないと首を振る雪花にこれだけはと蓮は頑として譲らなかった。
「もう休んだ方がいい。俺は隣の座敷にいるから怖がらなくていいよ」
 頷いて雪花は布団に横になる。
 ちらりと見えた座敷には緋鸚右衛門が運ばせたのだろう、薄い布団が一組、延べられていた。
「おやすみなさい」と形ばかりの挨拶を交わして、雪花と蓮は隣り合わせの部屋で夜明けを迎えた。


 早朝。蓮が起き上がった頃合いを見計らって、雪花は真新しい椀と房楊枝を差し出した。
「まだ皆、寝ておりますから」
 それだけを告げて蓮に椀を渡す。
 蓮は受け取って歯を磨き口を濯ぎ、添えられた懐紙で口元を拭う。
 使い終わったそれらを雪花は受け取り、そっと真新しい手ぬぐいとぬか袋を差し出した。
「旦那さんは起きているでしょうが、お客様はまだお休みでしょう。今ならお風呂もきっと空いていると思います」
「ありがとう」
「布団はこのままで。二階廻しが片付けますから」
「分かった」
「旦那さんが朝餉の準備をさせているでしょうから、ご一緒にちゃんと食べていって下さいね」
 食の細い蓮を最後まで気にしている雪花に蓮が「はいはい」と頷いた。
「じゃあ太夫。元気で」
「敦賀さまも」
 あっけないほどいつもと同じように二人は別れた。