You're My Only.....(12) | 月兎のブログ

月兎のブログ

白泉社で連載中の漫画「スキップ・ビート」の非公式・無許可の二次創作ブログです。
カップリングは蓮×キョーコ
二次創作に関して不快感を抱かれる方、別カップリングを推している方には不向きと思われますので、速やかに移動されることをお勧めします。

 五月の佳き日、京子は白無垢姿の自分を見下ろした。
 宝月楼を出てからの二月余り。それはもう慌ただしい日々だった。
 宝屋について番頭に通されたのは主人の奥座敷。
 入れば宝屋主人と虎乃丞、それに一人の老夫人が座っていた。
 虎乃丞の内儀だと紹介された彼女は、京子を一目見るなりいたく気に入りつれて帰るの一点張りだった。
 内儀に押し切られ本来の予定では一月ほど宝屋にいるはずが、その日の内に虎乃丞の屋敷に連れてこられた。
(あまり思い出したくないわ)
 それからの日々の目まぐるしさと云ったら、宝月楼で見世出しを待っている時よりも大変だった。

「虎様が剣術指南役」
 裏返った声がはしたないと気に掛ける余裕も無かった。
 連れてこられた屋敷は見事なもので、その時になってようやっと京子は虎乃丞の素性を知らされたのだ。
(それってつまり、つまり、虎様のお家は───)
 思い当たる名前が一つしかなく、京子は気が遠くなりそうだった。
 ただ虎乃丞も内儀も家柄などに頓着しなかった。
「京子さんの跡が良いのは頂いた文を見て分かっているし、器用なのも知っていますからね」と、花嫁修業らしい物は一切ない。
「うちには男の子しか居なくて」といきなり出来た娘のように思っている節があった。
 芝居だなんだと連れ回し、呉服やに連れてこられて足元に沢山の反物が並べられた。
 気付かぬうちに、何枚の着物が作られたのだろうか。
 引きづり回される、という言葉がここ二月の自分にはよく似合うと京子は思う。
 おかげで寂しい思いもしなかったのだから、内儀は彼女なりに気を遣ってくれたのだろう。

 そうして今日。
 とうとうその日が来たのだ。
 朝に風呂に入れられ、日の高い内から化粧と髪を結われた。
 白無垢は八朔で袖を通したが本当に花嫁になるとなると、やはり違う。
 その姿で夕刻まで待った。
 武家の輿入れは夕刻だという。
 しきたり通り迎えに来た嫁ぎ先の家来衆の中に知った顔を見た気がした。
 あまりじろじろと花嫁が見るのもはしたないから、と気のせいだと思うことにした。

 顔が見えないように被せられた綿帽子は相手から京子の顔を見えなくしているが、京子にも相手が誰なのか分からなかった。
 神酒を注がれ三三九度を交わせば、宴になる。
 金屏風の前に座る二人を肴に客は盛り上がっていた。
 京子はひたすら緊張していた。花嫁に話しかける無粋者がいないのがせめてもだ。
「ありがとうございます」
 不意に隣に座る新郎の声が耳に入った。緊張が緩んで周りの音を拾ったのだろうが、
(この声───)
 京子は愕然とする。この声はよく知っていた。
 今までとは別の驚きで動けなくなった。

 披露宴も恙無く終わり、京子は一足先に座敷を辞した。そのまま風呂に入れられる。髪を洗い、化粧を落として出てくると白い夜着を着せられ、髪を梳られる。
 手を引かれて閨へと連れて行かれ、布団の横に座らされた。一人だけで待つのは否が応でも緊張が増す。
 やがて障子が開けられて、人が部屋に入って来た事が分かった。
 なんと声をかけるべきか。ただ一つ、気がかりな事があったために京子は声を出す事もできなかった。
 夫となった人は入り口で立っている。
 息が詰まりそうな沈黙を破ったのは夫の方だった。
「貴女に云っておきたい事がある」
 京子は思わず目を閉じた。
(断り切れない縁談でね)
 思い出の中と同じ声で彼は京子に告げた。
「俺はある人を探している。彼女の行方が分かるまでは、誰とも添うつもりはなかった。貴女との婚姻は断り切れなかったものだ」
 やはり、と京子は黙って聞く。
「貴女と添うつもりは無い。ただ安心して欲しい。三年、辛いだろうが耐えて欲しい。そうすれば貴女を木津つける事なく離縁できるだろう」
 そう云うと踵を返す。
「その方が見つかったなら妻にお迎えになるのですね」
 ゴクリと唾を飲み込み京子は聞く。
「いや。彼女も縁談が決まったと云っていた。俺はただ、彼女が幸せであるかを知りたいんだ」
「幸せではなかったときはどうなさいますか」
 重ねた問いに返事は来なかった。
 答えず立ち去ろうとする夫を京子は呼び止める。
「お待ち下さい敦賀さま」
 京子は堪らず蓮を呼ぶと、胸元から紙を取り出した。
「これを……。武家のしきたりはよく分かりません。なので町人の習いを真似ますが、これにどうぞ名をお書き下さい」
 差し出したのは三行半。これに名を書いて貰えば、女はいつでも離縁できる。
「お探しの方がお幸せでなければ、この家に迎え入れて差し上げて下さい。その時はどうか側女にせずに正室としてお迎えして差し上げて下さい」
 胸が痛む。蓮が探しているのは自分ではなかったのだ。
「これに名を書いていただければ、敦賀さまにご迷惑をおかけする事はありません」
 蓮が探し人の幸せを祈る様に、京子も蓮が幸せであればいいと思うのだ。離縁されて戻されたら、虎之丞は悲しむかも知れないが、町人と武士の縁組みなど上手く行く訳がないのだ。肩代わりして貰った年季と身請けの金は一生かかっても働いて返していこう。
 そう京子は決めていた。
「どうか、私を残したままにするのだけはおやめ下さい」 
 睦まじい蓮と誰かの姿を見るのだけは嫌だった。
「なにを………」
 初夜に望んで祝言を挙げた訳ではないと告げる男も男だが、それを聞いて三行半を書けと迫る女も女であろう。
 そこでふと蓮は妻が「敦賀」と呼ぶのに遅まきながら気がついた。
 大股で歩み寄り、膝を付くと顎を持ち上げた。
「太夫──」
 桜の咲く中、声をかける事もできずに見送った娘がいた。
 あ、と小さく戦慄く声が蓮の耳を打つ。
 何がどうなっているのか必死で考えて、ようやっと思い至る。
「嵌められた」
 呻き声が漏れる。京子が目を見開いて蓮を見上げた。
 裏で糸を引いていたのは緋鸚右衛門だ。
 緋鸚右衛門が虎之丞を嗾け、父が後を押たに違いないのだ。
「まさか太夫が俺の相手とはね」
 道理でいつまで経っても相手の名前を教えない訳だ。
「あ、あの、敦賀さま」
 京子一人が慌てる。
「うん。あのね、太夫」
 蜜の様に甘い笑みを蓮は浮かべる。
「太夫は幸せかい」
 蓮は京子を抱き寄せる。いきなり腕の中に囲い込まれて京子は慌てる。
「敦賀さま、あの、なんでしょうか」
「答えてくれないか。太夫は今、幸せなかい」
 耳元で囁かれ、そっと顔を上げさせられる。
 真剣な瞳に見つめられて京子は微かに頷いた。
 途端に蓮が嬉しそうに笑む。
「良かった。君が幸せで本当に良かった」
「あの、敦賀さま……」
「思惑に乗るのも悪くないよね」
「敦賀さまが探していた方というのは………」
「まだ分からないかい」
 流石にここまでされて分からない程、鈍くは無い。
「いえ、分かります」
「良かった。所で太夫は俺と夫婦になるのは嫌かい」
 真っ直ぐに尋ねられて真っ赤になる。
「思惑に……乗ってみるのも悪くないと思います」
 頷くに頷けず、しかし嫌な訳ではない。京子は先程の蓮が呟いたままを口に乗せる。
 途端に蓮が弾けた様に笑った。京子も釣られて笑いだす。閨に明るい笑い声が響いた。
「敦賀さまで良かった」
 その呟きが聞こえたのだろう。
 蓮がそっと頤を持ち上げて、顔を近づけた。
「あ、ああの、敦賀さま」
「黙って」
 慌てる京子に命じる。
 唇が触れるかという時に───。

 きょろきょろきゅるるるるる

 どこかで聞いた事のある音が響いた。

 蓮は思わず京子を見下ろし、爆笑した。
「敦賀さま。そんなに笑わないで下さい」
 京子が真っ赤になって訴えるが、笑い声は暫く続いた。
「何か貰いに行こうか」
 やっと笑いを納めて蓮は告げる。
 立ち上がり京子に手を差し伸べた。
 京子も大人しく蓮の手を取り、二人は連れ立って台所へと向かう。
 残っている誰かに軽く何か作って貰えばいいかと蓮は考えていたが、台所は火を落とされていた。
 祝言の夜に夜更かしをする使用人など馬鹿を見るだけだと早々に床についたのだろう。
 仕方が無いので火を熾し、蝋燭に火を点す。
 二人して見回すと、さてどうしたものかと思案する。
「何か残っているかと思ったけど、ないな」
「そうですね……。あ、お豆腐がありますよ」
 木桶の中に水が張られ中で白い豆腐が浮いている。
「ここには油揚がある」
 二人は顔を見合わせる。
「あぶ玉………」
 どちらからともなく呟くと蓮が鍋を取り出した。
 規模は違えど料理を作るところだ。町人も武士も郭も物の配置に変わりは無い。京子は蓮が湯を沸かすのを横目に、鰹節を引く。てきぱきと段取りよく動く京子に云われるままに蓮は出汁を取ったり醤油を出したりした。
 油抜きされ刻まれた油揚を出汁を取った汁にいれ、煮たところで割りほぐした卵を廻し入れて蓋をする。
 直ぐに竃から下ろし、ふきんを敷いた上に置く。卵に火が入る頃には使い終わった笊などが洗われている。
 蓮は感嘆の声を上げる。
「とても俺が作ったものと同じとは思えない」
 出汁を取って良い匂いをさせているそれは、前に自分が作った物と同じとは思えなかった。
 ここでいい、と蓮が云うので上がり口に座り込み、蓮は京子が装ったあぶ玉を口にする。
「おいしい」
 出汁と味見でここまで違ってくるのか、と驚く蓮に京子は笑い声をあげない様に堪えるのが辛い。
「こんなに違うとは思わなかった」
 感心しきりの蓮に京子は微笑む。
 ふと気になっていた事を思い出した。
「あの、敦賀さま。前に作って頂いたときに、もう作らないって仰ってましたよね。あれって何故か聞いても宜しいですか」
 京子が遠慮がちに尋ねると、蓮が棒を飲んだ様に固まった。
「それ、は………」
 云い淀む蓮を京子は誤解した。
「あの。お出汁を取るのが面倒でしたら省いてもいいですよ。油抜きと味見だけ気をつければ」
「惚れた女に作ってやれと云われたんだよ」
 大丈夫と続けようとした京子を遮って蓮が口早に云う。
 聞き取れなかった京子が問い返した。
「だから。俺に教えた人が、惚れた女に作ってやれと云ったんだよ」
 横を向いてぶっきらぼうに告げると、今度は京子が固まる。
 あの時、蓮は初めて作ったと云い、もう作らないと云った。それは──。
「作ってやりたいと思ったのは太夫だけだったし、身請けされて嫁に行くんじゃ、二度と作る事もないと思ったんだよ」
 夜目にも分かる程、朱く染まった京子に蓮は「冷めるよ」とだけ云い、椀の中の揚げを口に運ぶ。
 自分の分をあらかた片付けた蓮が京子を見れば、まだ固まっている。
 そんなに驚く事かと思う。
 蓮は盆をずらし京子の横に座る。
 椀と箸を取り上げて、蓮は京子に食べさせる。
「はい」と口元に持って行けば、京子は大人しく口を開けた。
「あの、敦賀さま。一人で食べられますから」
 京子の抗議は聞こえない事にした。
 食べ終え揃って使った鍋や器を片付け、閨へと戻る。
 黙っていた京子が「あの……」と云いかけた。
「私が房楊枝を渡したのも敦賀さまだけです」
 いきなり何を云いだしたかと蓮は首を傾げる。
「ですから。敦賀さまのあぶ玉と一緒です」
 叫ぶ様に云った後、どんな顔をすれば良いか分からなくて俯く。
「あぶ玉と一緒って……」といいかけて、流石に察した。
 遊女が部屋で房楊枝を渡すのは部屋に泊まった馴染みにだけ。
 雪花には馴染みとは名ばかりで、誰も部屋に泊まった事は無かった。
 誰一人その心に住まわせなかった雪花がただ一度だけ、身の回りの世話をした相手。
「そうか……」
「そうです」
「長かったね」
 蓮は京子を抱き寄せる。
「遊女でいたら、ずっと敦賀さまのお側にいれると思っていました。身請けの話は嬉しかったけれど、もう会えないと思うと辛かった。敦賀さまが縁談が決まったと仰ったときに、どうにもならないと諦めました」
「俺もだよ。宝月楼に行けば太夫に会えたから、ずっとあのままだと思っていた。いつか年季が明ければ太夫はきっと、世話になっていた小料理屋に戻ると思った。それまで待てるとどこかで暢気に考えていたんだ」
 挙げ句に蓮の気持ちはだだ漏れで、業を煮やした周りから一芝居打たれ、外堀を埋められた。
「今頃、酒盛りだろうなぁ」
 思わず零すと腕の中の京子が蓮を見上げた。
「肴にされているよね」
 確かに、と京子は思う。
「聞いても良いかい。太夫はいつから俺を好いていてくれたの」
 尋ねられて京子の視線が泳ぐ。
「えっと。あの、最初は意地悪でしたでしょう。他の子達には優しそうなのに、私だけには言葉も冷たくて。きっと嫌われてるんだって、思ったんですけど。あの、こぉんの話を呆れないで敦賀さまは聞いて下さいましたよね。道中の足運びも助けて下さったし。たまに私にだけ笑いかけて下さる顔が、その、とっても優しくて。そんなに意地悪な人じゃ無いのかなって思う様になって。あの、それで───」
 いつの間にか蓮が来るのが楽しみになっていたという。
「いつからか分からないんです。いつの間にかっていうか」
 考え考え呟くと、京子は蓮に問う。
「あの、敦賀さまはいつから私を好いていて下さったのですか」
 京子に話させた以上、自分も告げなくてはならないだろう。蓮は天井に向かって息を吐いた。
 蓮は布団まで京子の手を取り進むと、座ってと促した。
「立ち話じゃ終わらないんだ。座って、京子ちゃん」
 不意に呼ばれた名前に驚く。
 しかしそれ以上に、どこか懐かしい響きを聞き取って京子は首を傾げる。
 蓮は布団の上に座り、足の間に横抱きにした京子を座らせた。
「敦賀さま」
 慌てた様な京子の顔を覗き込む。
「話を聞いてくれるかい」
 からかう素振りもない真剣な瞳に京子は頷いた。
 京子を腕の中に閉じ込めて蓮は囁く。
「長い、長い話なんだ」

 聞き終えた時、京子は怒るだろうか。
 騙したと云って泣くだろうか。
 それとも───。


 蓮は語り出す。

「俺には最初から君しかいなかったんだ───」


 語り終えた蓮の唇にそっと京子の指先が触れる。
 蓮の唇にそっと京子の手が添えられた後、首に腕が回される。
 抱きしめられる。
 それが答えだった。