今年の夏休みは北関東へ!

香月が数年前からずっっっっと行きたかった場所ビックリマークビックリマーク

今日はその念願叶った場所でもある

キラキラ富岡製糸場キラキラ

のおはなしデレデレ

みなさまこんにちは!

三重県津市でエステティックサロンLotus Landを営みながら、日本の良さを実感しながら旅をするのが好きな香月ですウインクラブラブ

 



 

渋沢栄一と尾高惇忠の生家を訪れたのも、その後にこの富岡製糸場に来ると決めていたから恋の矢

ここで少しだけ富岡製糸場の説明をしておきます。

 

 



もともと幕末の動乱で鎖国を解き、維新後の明治5年に完成するこの富岡製糸場は、当時生糸の主流だったヨーロッパでの蚕の伝染病や清(中国)でのアヘン戦争の影響で世界で良質な生糸が摂れなくなり、外貨獲得の為の国策として思い切った当時の政府が外国人を雇い、多額の報酬と共に知識・技術・機械を手に入れスタートしたプロジェクトでした。

 

 

ヨーロッパから100年は遅れている。と言われた当時の日本で、世界でも最新の機械を入れて、さらに女性が仕事に出るという概念があまりなかった時代に、女性の工女を雇う。というとても画期的なことでした。

そして見慣れない外国人がいるということで、『生き血を吸われる…』という噂まで流れたんだそうポーンDASH!

今では考えられないけど、ジャングルの奥地の部族が働く…なんてイメージをしたら、怖さは分かるかもあせる

 

 

そこで、尾高惇忠ですサーチ

フランス人のブリュナさんをメインに動き出した富岡製糸場ですが、日本の代表は栄一の従兄弟であり師でもあるこの惇忠が、初代の場長さんとして歴任されるんですが、工女が集まらないのを嘆き、自分の娘(勇)に頼み、最初の工女となってもらうのを機に、ようやくたくさんの志願者が集まってきたそうですひらめき電球

 

 

そうして始まった富岡製糸場は、全国から工女を受け入れ、模範となるここで学んだ子達が、各地自分の地元に戻り指導員として活躍されたそうです。

そうです。全国にも製糸場があったかと思うんですが、その模範となったのがこの富岡製糸場であり、150年前の建築がほぼそのまま残っていることと、昭和62年の閉鎖まで使用していた機械がそのまま残っていること、そこから2017年の世界遺産登録まで、年間1億円ほどかかる維持費を投じても、そのまま残してくれていたことが、こうして現在でもタイムスリップして150年前の動乱の中、確実にここに活気があって、作られた生糸が世界中に輸出されていった場所であるということ。

 

 

世界遺産の正式名『富岡製糸場と絹産業遺産群』というそうで、他にも養蚕を行っていた3箇所の建物と一緒に登録されていて、それ以前に富岡製糸場は国宝にもなっていますアップ

 

 

説明だけでうーーーんと長くなってしまいましたが、3度目の正直でようやく行く機会となったので、香月の興奮はひとしおです笑い泣きDASH!

 

 

150年前、着物がメインでぎりぎりチョンマゲがあった時代にこんな大きな建物ができたら、それはそれはびっくりしません?!

今見ても本当に圧巻な建物ですが、法隆寺も然りでこういった建物を大事に保存することさえも、昔の人を尊び歴史を大事にしてきているからこそ。だと思うんです。

まだまだ書きたいところですが、写真を見ていただく方がいいので、香月の興奮と共にたくさん載せておきますラブ






歴史の勉強は必須です!!


イヤホンをお借りして…




ガイドツアーに参加です飛び出すハート




真剣な眼差し

目


昭和62年まで実際に使われていた機械




建設当時と同じ。

木骨。紛れもなく木でできていて、レンガは日本の瓦職人が苦心して造られたそうです。


繭玉を保管していた倉庫部分。


世界遺産の建物の前ですちゅー飛び出すハート


どの角度で見てもかっこいい!




アーチの真ん中に『明治5年』と書かれています


当時のまま。


百日紅とのコラボがいいかんじ♡


念願かなって喜ぶの図ちゅー飛び出すハート