中学校に上がる時期になり、

12月に市内の、祖母の家へ引っ越した私は、

誰の知り合いもいない学区の中学校へ上がることに決めました。




幼稚園からの理解ある親友と別れても、


「虐めによる差別」は、もう受けたくはありませんでした。


なので、誰の知り合いもいない学校へ入学する不安はそれほど感じませんでした。




私は浅はかにも、すぐに友達ができると考えていましたが、


現実は、私の夢と希望を、無残にも打ち砕きました。




なかなか友達ができず、不登校になり、学校の中の相談室に通うようになりました。



私は「親友と離れて初めて、親友のありがたさを実感した」のでした。





「本当に心を許せる友達ができたのは、中学2年生のときのことでした。」




それからは、教室へも、徐々に行けるようになり、


疲れたら休み、また元気になると行く、というような感じで


時間は穏やかに流れていきました。





中学3年生になり、私は、受験の夏を迎えました。



「当時、私は高校に行くことに何の意味も見出せないでいました。」



なぜみんなが、こんなにも真剣に、受験勉強に打ち込めるかが不思議で、


そして、その姿がまぶしくも見えました。



私は、努力している同級生たちの姿を見ながらも、


7月まで、受験の準備も何もしないまま、


時間だけが刻々と過ぎていきました。




私は3歳までは何の病気もないごく普通の健康体の女の子でした。




私はこのまま何事もなく、順風満帆に人生を歩んで行けるかのように見えました。






しかし、私は3歳を過ぎると、アトピー性皮膚炎を発症しました。

最初は軽度のものでした。



私がアトピーに苦しむようになったきっかけは、ステロイドの塗布を一気にやめたことでした。

すると、副作用で全身がケロイド状の、膿だらけの体になりました。



当時は、ステロイドの恐怖だけが語られ、副作用については何の言及もされない時代でした。

なので、何の知識もない母は、娘の体を心配し恐れ、ステロイドをやめたのでした。



現在は普通の人と見分けもつかないですが、少女時代はアトピーゆえの差別に苦しみました。

医者からは象の肌と呼ばれ、研究材料として写真に撮られたこともありました。

私はそれくらい重症だったのです。肌も、色素沈着でどんどん浅黒くなっていきました。




3歳以前の写真と発症後の写真を見ると別人とも思えるくらい、私の身体は変わっていきました。

しかし、私は両親と周りの温かい愛に守られ、すくすくと成長しました。




しかし、小学校にあがると、同級生の目は変わり、上級生までもが私のことを汚い言葉で詰ってきたこともありました。高学年になると、女子は好意的に変わりましたが、男子は逆に私のことを言葉の暴力で虐めるようになりました。私はたびたび、学校を休みましたし、いくら担任の先生が辞めさせようとしても、いっとき収りますが、しかしまたぶり返すのでした。




皆さん、初めまして。


私は日暮絵里香です。



私はクリスチャン(キリスト教の信者)です。



みなさん、どうぞよろしくお願い致します。