ブログネタ:爽やかな恋愛と、昼ドラ系のドロドロ恋愛、どっちがしたい? 参加中
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好きになった人が、愛した人が、たまたま複雑だった人だと、昼ドラみたいな、
映画のような恋愛になるんじゃないのかな。

でも実際はそんなに少ないし、
でもだからって爽やかか?
って聞かれたら、何か違うよ。

だって、好きになったら、嫉妬するよ。
相手のことをもっと知りたくなって、独占したい。
自分だけのものにして、自分だけを見ていてほしい。

でも、そんなことは人間として生きていたら、不可能に近くて、
喧嘩もすれば、浮気もあるよ。

私は里中李生さんの本を読んでいるから、
彼がその相手にたいして、「本気」じゃなかったら、何度でも許しちゃうな。
最後に自分のところに返って来てくれればいいよ。
それだけで、胸がいっぱいになるよ。

昔は、側室や正室があって、
一人の男を複数の女が共有していたよ。

不倫とか、相手を本気で愛してたら、そうは呼べないよ。

愛はどこまでいっても、高潔で気高く、崇高で神聖、そして、純粋なんだ。

本当の愛はさ、
「自己犠牲の上に成り立つ愛」
だと思うよ。

それ以外はさ、自分勝手で、ひとりよがりの我儘な愛さ。

「相手は今、何を欲しているか。」
求めるのではなくて、与えることが大切なんじゃないかな。

でも、人間は孤独で、ひどく寂しくて、誰かにたよりたくて、寄り添ってもらいたいよ。
だからさ、支えあう関係がいいんじゃないのかな。

陰陽道の「陰」と「陽」のように、
相手が光だったら、自分が影。
逆に、自分が光だったら、相手が影。


あとさ、愛のないセックスが多いけど、
セックスは神聖なものだよ。
神様は、私達に、本当に好きになって、心から愛した最愛の相手と、
愛を確かめる、究極の手段として、セックスを与えてくれたんじゃないのかな。

快楽のためにだけなんて、機械とやっているようなもんじゃないか。
気持ちがいらないんだから。

私は嫌だね。
虚しいだけだもん。

気持ちがあるから、高まるし、感じもする。

愛しているから、何でもできるんだよ。
死ぬことだってさ、自分の命を引き換えにすれば、相手が助かるっていうなら、
喜んでこんな身体と命でよかったら、あげちゃうよ。
安いものさ。
それで愛する人が生きて、助かってくれるんならさ。
死んでもさ、相手が忘れさえしなければ、とどまっていられる。


私はキリストを信じているから、天国があるのをしっているよ。
「コップの水いっぱいでもキリスト者に報いたものは、天国へいける。」
「あなたが信じれば、あなたも、あなたの家族も救われます。」

だったらなお更、人生の伴侶が天国にいけないことがあると思う?
ありえないよ。

だから、どちらが先に死んでも、
天国で会えるよ。

天国っていう待ち合わせ場所が私にはあるからね。