2020 11月 6日

1年の基準が変わった。

お正月でもない。  誕生日でもない。

私にとっては パパの命日の 5月6日が 1年の基準になった。

パパがいなくなって 丁度 1年半。

まわりの人は 多分 私を見て 前と変わらず 元気そうにやっているなと 思うだろう。

職場の人たちと 冗談を言って笑うし、ご飯も いっぱい食べる。

旦那の話も 普通にする。

つい最近は 鬼滅の刃も 観に行った。

知らない人は 私を 未亡人だと思わないんじゃないだろうか。

 

私も はたから見たら 一見 元気そうに見えるけど いつも パパのことが 頭から

離れない。

朝起きて すぐパパのことを考えている。

車の中で 一人の時も。

人と話しているときと 寝ているとき以外は いつも考えている。

元気な時のことも 思い出すけど パパの淋しそうに笑った顔や 先生から説明を聞いているときの 後姿を 特に 思い出す。

会社を 休職して 家に一人でいるとき、 余命宣告されたとき パパはどんな気持ち

だったんだろうと 想像する。

怖かっただろう  つらかっただろう

元気になって 仕事に復帰したかっただろう

もっと 長生きしたかっただろう

私は もっと パパの気持ちに 寄り添ってやらなくてはいけなかったと 後悔する。

まさか ....まさか こんなに 急に 容態が悪くなるなんて 思ってなかった。

 

もう一度 パパの声が 聞きたいなあ....

また 話がしたいなあ....

一緒に テレビ見たり 家族そろって 夕ご飯食べたいなあ....

パパの 笑った顔 見たいなあ....

 

最近 秋晴れのいい天気が続いている。

こんな気持ちのいい日は どっか 行きたくなる。

ロッテを連れて ドライブとか。

そんな ささやかな幸せも 奪われてしまった。

パパに このきれいな空と いい天気を 味合わせてあげたかった。

 

あっという間に 1年以上経ってしまったけれど ほんの1年半前は 間違いなく ここに

一緒にいたのに 今いないのが 信じられない気がする。

パパの 靴や服 ....何一つ 処分できない。

動画見るのも まだちょっと つらい。

少ししかつけていなかった 日誌も まだ見る気になれない。

いつかは ゆっくり見たいと思うけど もうちょっと 時間がかかりそう。

 

 

私が 花をもらったのは 結婚で会社を退職するときと 結婚式のブーケくらい。

人生で 花をもらうなんて そうめったにない。 

何か特別な日。

でも いつでも どんな時でも 花はきれいだから もらうと やっぱり 嬉しい。

花には いろんな 思い出があります。

桜 

パパが 癌になってからは 今年も 桜を見ることができた 良かったー。

来年もこの桜 見られるだろうか?

あと 何回見ることができるんだろうか?

桜が咲くたびに そんなことを 思っていました。

2019年 春 パパの体調は あんまり 良くなかったけれど 今年もなんとか 桜の季節を

乗り越えることができて良かったと 桜を見ながら 思いました。

本当に あの頃は 1年・・・・ワンシーズンが 綱渡りのようでした。

 

彼岸花

随分 昔のことですが 丁度 彼岸花がたくさん咲いている時に パパの実家に行きました。

”お袋 喜ぶから もっていってやろう”  と言って そこらへんに咲いている 彼岸花を

持っていきました。

田舎育ちの私にとっては 子供のころ 〝へんびの花”  なんて言って珍しくもない花だったので 彼岸花なんて もらって 嬉しいのかなあ なんて思いましたが お義母さんは 喜んで花瓶に生けていました。

それが 意外ときれいだったので 私も彼岸花が咲くと 家に飾るようになりました。

 

コスモス

結婚して間がない頃 パパが 仕事帰りに コスモスを1輪取ってきてくれたことがありました。

私は結婚を機に 会社を退職して アパートにいました。

お腹には 娘もいました。

コスモスの花を見ると その頃のことを 思い出します。

パパが亡くなる半年ほど前 近くの コスモス畑に行きました。

ロッテを連れて パパと私と 娘と3人で。

息子は 部活か 塾で 一緒には行けませんでした。

こんなことになるなら 4人で行けたら 良かったなと思います。

 

黄色い花

名前は知らないけれど 最近 堤防や道端でよく見る 春に咲く コスモスに似た 黄色い花。

この花も 新婚の頃 パパが “会社の駐車時に きれいな花 咲いとったんやー”  と

凄いもの見つけたように 1輪持ってきてくれたことがありました。

〝この花 最近勢力を増してきた 外来種だよな~”  なんて思いながら 飾ったことを思い出します。

以前 私とパパは 同じ会社に勤めていました。

20年ほど前 パパは転職しましたが 私は8年ほど前からその会社に アルバイトとして

再就職しました。

当時は この黄色い花はなかったように思いますが 今は 駐車場の周りに いっぱい咲きます。

ここで見つけて 取ってきてくれたんだなあ と いつもこの花を見て 思っていました。

 

菜の花

テレビで菜の花畑を見たのか 忘れたけれど 司馬遼太郎の一番好きな花が 菜の花だと教えてくれました。

私はあまり詳しくなかったけれど その時〝あー なんとなく らしいなー”  と思いました。

パパが亡くなる前日 会社の若い人 数人がお見舞いに来てくれました。

パパが好きだった 司馬遼太郎と 藤沢周平の本を持ってきてくれました。

関が原を もう一回読み直そうかなと思っているとか 最近の会社の様子とかも

話していました。

パパは 会社でこういう話をしていたんだなと思って聞いていました。

きっと 司馬遼太郎を 熱く語っていたんだと思います。

もらった本は 棺に一緒に入れました。

 

バラの花

私の 一番好きな花は バラ。

いつも行っていたドッグランに 小さなバラ園があります。

パパと息子が2人で 行ったとき 苗の販売をしていたので 1鉢買ってきてくれました。

500円の 赤に白の斑入りの 匂いのいいバラでした。

その年の夏は すごく暑かったので いつの間にか 消えてなくなりました。

 

桐の花

私がまだ 3歳くらいの時だったと思います。

両親と ばあちゃんと 少し離れたところにある畑に たぶん お茶の葉を摘みに行ったんだと思います。

うちでは その畑のことを 原産地と呼んでいました。

遠くのほうに 桐の花が咲いていたので 私は父に 欲しいといったのですが

桐の花は 木の高いところに咲いているので 取れないと言われたのを覚えています。

桐の花は 巫女さんが持つ 鈴のような 青い花。

どうやってとったのか 拾ってきたのか わかりませんが しばらくたってから 父が

一枝持ってきてくれました。

父は 私が小学校2年生くらいの時 胃潰瘍の手術をしました。

失敗したらしく 翌日 麻酔なしで もう一回お腹を開いて やり直したそうです。

良くお風呂上りに 〝俺は 切腹しとるでなー”  と言って 手術跡を見せていました。

その父も その時の輸血で C型肝炎に感染して 2003年 肝硬変で亡くなって もういません。

72歳でした。

今ではC型肝炎も 飲み薬で治るようですが 父が感染したころは その病気もわかっておらず インターフェロンも 出始めたりしましたが 少し間に合いませんでした。

 

私は 今までもらった花の中で 父が取ってきてくれた桐の花が 一番嬉しかった。

もらった時のうれしさ 50年以上たつけど なんとなく 覚えています。

 

 

泣きそうな声で 息子が ”お父さん お父さん”  と呼びかけたときに パパが息子に

言いました。

   ”こんなこと 娑婆の世界には よくあることや 

      こういうことを 1つ1つ 乗り越えていくのが 生きていくって いうことや”  と。

 

私は その時は 何を言っているんだ 他人事みたいに と 思いました。

そんな 教科書に書いてあるみたいな きれいごと言って。

たてまえどおり 割り切って 考えられない。

そんな風に 思えるほど 強くもないし と。

 

私には 人を うらやむ気持ちが あります。

本当なら 無事 定年を迎えて 70歳 80歳と 夫婦そろって 楽しい老後生活を

送るはずだったのに。

どうして 私は それが できないんだろう

同じ病気でも 治って 元気にしている人を見ると いいなあと うらやましく思ってしまいます。

バーベキューをしている家族を 見かけると 私だって 前はそういうことを したことも

あったのに

私 1人残して いってしまって。

”私を 1人にしんといてよー”  と言ったのに。

何で こんなことになってしまったんだろう

どうして 私だけ

どうして 家族で1番若いパパが 1番先に 死ななくてはいけないんだろう

パパの笑った顔を 思い出すと やりきれない気持ちになります。

 

そういう時は パパの言ったことを 思い出します。

今になって その言葉の 意味がわかるようになりました。

 

私やパパよりも もっと 若いのに 同じように旦那さんを 亡くした人もいます。

旦那さんは パパの親しい友人でした。

旦那さんが亡くなった 今も その子は 同居しているので 私には わからない苦労も

あると思います。

 

パパの大学時代の 親友は 16歳で 母親を 亡くしています。

弟は 中学生。 お父さんと 3人で 交代して 家事をしたそうです。

パパは病院のベッドの上で ”あいつも 苦労しているからなあ”  と言っていました。

 

高校に 入ったばっかりの 子供を亡くした人もいます。

20代の子供を 突然亡くした人や 母親を すい臓がんで亡くした人や

 

本当に 娑婆の世界には よくあることでした。

パパが亡くなって あらためて 気が付いたように思います。

 

どうしても つらくなったときや 人をうらやましいなと 思ったときは パパの言ったことを

思い出します。

私だけじゃない。

親や 子供や 旦那さんや 奥さんを亡くした人は この世に いっぱいいる。

みんな それぞれ 痛みを抱えて 生きているんだ。

娑婆の世界には よくあることなんだ。

それでも 残された 私たちは 生きていかなくてはいけない。

悲しい出来事や つらいことや いやなこと 1つ1つ乗り越えていくことが 生きていくということなんだ と しみじみ感じています。

 

あの時 なに 他人事みたいなこと言ってるんだろうと思った パパの言葉が

今の わたしの 支えになっています。

この言葉を 自分に 言い聞かせて 私は 今 なんとか やっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年 8月 31日

 

今日 久しぶりに パパの入院していた病院の近くに 行った。

免許を取って 間がない息子が 学校へ レポートを出しに行くのに 車で行ってみたいけど

怖いし 道も教えてほしいから 隣に乗って ついてきてほしいというので ロッテの散歩もかねて 一緒に 行くことにした。

病院と 学校は 同じ 敷地内にあります。

 

そうそう この道 何回か パパと一緒に 病院へ 行った道。

休みの日は この道を通って お見舞いに行った。

駐車場に 車を止めて 荷物をもって エレベーターに乗って パパのいる病室に行った。

待合室で 順番を待っているときのことや 清算を済ませるときのこと

正面玄関から 病室までの道順

病棟の窓から見た 大学の構内

こんな感じだったなあ こんな景色だったなあ と思い出す。

 

パパの入院していた病院・・・ あんまり 見たくないなという思いと

もう1回 しっかり見て あの頃を 思い出したいという思いと 複雑な気分

帰りに 近くの コンビニで 飲み物とサンドイッチを買った。

このコンビニは 病院に泊まり込んだとき 夜 よく コーヒーを買いに来ていた。

 

懐かしいというような 穏やかな気分でもない。

かといって つらくて 涙が出る訳でもない。

 

パパが この病院に 転院したのが 今から丁度 2年前。

9ケ月ほど 通院して   ここで息を引き取ったのが 1年3ヶ月前。

まだ 1年ちょっとしか経っていないのに ずいぶん前のことのように感じる。

なのに まだ 元気に働いて 笑っていたのが 昨日のことのように思える。

不思議。

 

ほんの少し前は 子供の前で いつまでも メソメソしているわけにもいかないので

通勤の 車の中で よく 泣いていた。

会社では 腫れ物に触るみたいに 気を使わせたくなかったから

ご寿命だから仕方がないなんて 全然 思えないけど ”しょうがない”と言っていた。

 

1年半近くたって 私は最近 ようやく少し 落ち着いてきたかなと 自分で感じる。

今迄と 同じように パパのことが 頭から離れることはないけど 泣くことがなくなってきた。

 

会社に 同じように 旦那さんを亡くした 友人がいて 私は いつまでこんな思いが

続くんだろうと言ったら 

その子は 時間が 解決してくれる と言っていた。

 

すべて 時間が解決してくれる。

と いうより 時間しか 解決できないんだな と思った。

 

同じ立場の人と 話すのも 慰めになると思う。

脳出血を 患った 母が 言っていた。

病気になったら 同じ病気の人と話すのが 一番。

やっぱり 同じ経験をして 立場が同じじゃないと わからないことがある と。

 

パパの記憶や つらい思い出でも 薄れていくのは 少し 淋しい気もする。

また これから冬になって 夜が長くなると どういう心境になるかわからない。

凄く感傷的になった時は ちょっと長い出張に 行っていることにしようかな。

そう思えば 何のことはない。

少し 入院が長引いていることにすれば 今迄と 何も変わらない。

そんなこと考えながら  すこしずつ 時間に 癒してもらおうと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

パパが 元気なころは ”もう うるさいなあ” とおもうこともあった。

毎晩 ビールを飲んで 時々 お風呂にも入らず グダグダ寝てしまうのも嫌だった。

また そのビールの缶を 毎朝 洗って 捨てるのも めんどくさかった。

でも パパがいなくなって 困ることが いっぱいある。

寂しいとか 心細いというのは 別として 現実的なことだけを言うと

 

① 娘の 就職の相談に のってもらいたかった。

  パパが 亡くなる 少し前から 娘の 就職活動が始まった。

  なかなか 就職が決まらず 自分でも何がしたいのか わからなくなっていた時期が

  あった。

  こんな時 パパがいてくれたらと 思った。

  何とか 就職が決まり 大阪に行くことになったけど 大阪に 不案内な娘と私は 今度は

  アパート選びに 迷った。

  地理的なこと 周りの環境など

  パパは 3年ほど 大阪勤務だったので 生きていてくれたら いいアドバイスしてくれただ

  ろうに。

  働いていれば 色々 行き詰まることもある。

  今は 私が相談相手になっているけど パパなら なんて言っただろうと思う。

 

②子供の学費

  娘は 大学4年  息子は 大学に入学したばかりだった。

  娘の後期の 授業料は 生協の保険で 納めることができた。

  息子は 学費免除の申請をして とりあえず 1年間は 免除してもらえた。

  パパがいなくなっても なんとか 卒業させてやりたいと思っている。

 

③車

  車のことは さっぱり わからない。

  タイヤの 交換時期    もう スタンドで見てもらうしかない。

  冬用と 夏用の交換は 最後の春 パパに見ていてもらい 私と息子の2人で変えた。

  体が えらかったのもあるだろうけど きっと 私たちに 教えておこうと思っていたと思う。

  私も パパがいなくなっても 変えられるようにしておかなくては と 心の中で思っていた。

  バッテリーの交換 ウォッシャー液の入れ方もわからない。

  これも スタンドで やってもらうしかない。

  車の 調子が悪くても 私にはわからないので ディーラーで 定期点検のセットを

  5万円払って 頼んだ。

  この先 買いかえる時が来ても どの車が いいとか 悪いとか よくわからない。

  

④家

  電化製品の 買い換え時期も 悩む。

  パパが亡くなってすぐ 氷ができなくなっていたので 迷ったけど 冷蔵庫を 買いかえた。

  家の 柵が だいぶガタガタに なっている。

  今までは 少しずつ なおしていたけれど そろそろ とりかえなくては。

  下駄箱の 扉が 1枚はずれてしまった。

  これも なんとか 私が 直すしかない。 できるだろうか?

 

⑤電気温水器

  つい最近 エコキュートの 訪問販売で バカ高いやつを 契約してしまった。

  もう 交換時期ではあったけど さすがに まずいと考え直して すぐ クーリングオフした。

  ところが 偶然にも その日の夜 とうとう 電気温水器が 壊れた。

  今 何とか お湯は出るけど 結局 他のところで 交換することにした。

  (これは 半分の 値段で済みそう)

  クーリングオフしたから良かったものの パパなら 訪問販売でなんか 

  買わなかったと思う。

  もう この家も 21年たつ。 あちこち 色々 ガタがきている。

 

⑥仕事のグチ

  私だって 働いていると そりゃー 腹の立つこともある。

  今までは パパにグチをこぼして スッキリしていたけど これから 誰に 言えばいいの?

  幸い 友人が ”私が聞く”  と言ってくれるので 甘えようと思っている。

  仕事で困ったり 悩んだりすることもある。

  パパは 長く働いているので 私よりは 知識も 経験もある。

  技術的なこととか 改善のこととか それなりに 会社で 教育も受けているので

  教えてもらうことも 多かった。

  これからは 一人で 乗り越えていくしかない。

 

⑦生活費  

  今は 遺族年金を もらっている。

  当面の 生活ができるくらいは パパが命を削って 残してくれた。

  でも 今迄みたいに ボーナスは もうない。

  私も 非正規なので お給料は しれている。

  もちろん ボーナスなんてない。

  私も この先 元気でいられるか いつまで生きるか わからない。

  老後のことを 考えると 不安になる。

 

今迄は 町内会のこと 子供の学校のこと 家事 お付き合い事は 私。

パパは 働いて 私たちを 食べさせてくれた。

それぞれ 役割分担があったけれど これからは 私 1人でやっていかなくてはならない。

息子の就職も まだ これから  いずれは 子供たちの結婚ということもある。

大事な決断をするときや 大きなお金がいるときは やっぱり パパにいてもらいたかった。

私は これからも いっぱい 失敗することがあると思う。

でも 何とか 1人で 乗り切っていくしかないな。