バカじゃなかろか
と思いながら、ワタシ自身がなかなか手放したくないほど愛着を感じていた思い込みは
苦労大好き
だって、易々、楽々出来ちゃったことって「やった気がしない」んだもの
自分が怠け者に思えるんだもの
結果の価値が下がる気がするんだもの
苦労していると他人が評価してくれるんだもの
そして多分、ドMなんだもの
だから、
苦労を強いてくれる人を人生に配置してまでも
二つのうちの必ず険しい方を選んでまでも
苦労してたかったんです。
でも、それで徒労感とか、必要以上の疲労とか、頭のどこかでは「辛いかも」「しんどいかも」って思いが無いなら、無理に手放さなくても良いんだよね。
やった気がする
自分を怠け者だと思わずにすむ
結果が尊いものに思える
苦労を見ていてくれる人がいる
そして、苦労の末の達成感がチョー気持ちイイ
そう思っていた頃、鋭い友人に
「頑張ってる自分に酔わない事だね」
って言われてムカっとしました。
人間、ホントの事を言われるとものすごく頭にきます。
エゴは現状維持が基本だから、その抵抗でもあるんですよね。
客観視すればバカらしい事でも、当人にとってはメリットがあるから採用している生き方だから。
そして、それを採用している土台となる体験の事は、大抵忘れてしまっているから。
今までやってきたことが
今までの自分自身が
無駄だったと思いたくないから
そこからまだまだ学べる内は
それを手放しても大丈夫なんだと思えない限りは
それが無くなった時に、代わりにアイデンティティの支えとなるものが無い限りは
手放すことなんて出来ない
身体を壊して
心底疲れて
そこで始めて、バカらしさに気づいて。
そうしたら、このままじゃいけないかも
ってやっと思える。
こういう修行僧パターンを常識だと信じ込んで採用している人って、日本には意外に多いのがまた、発見(気付き)を遅らせているのだと思うのですけれどね。
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