疫学者の三砂ちづるさんが「認知症になるということは自分が受けとめられたかった時までもどることではないか」と言っていました


「自分としては頑張ってきたと言っているのですが、満たされていない。自分が受けとめてほしかったところまで、戻っていく。だから、赤ちゃんまで戻る必要がその人の人生にあるのだと思う」



その話をしていたらナースのキナリさんが「だとすると、脳が萎縮する意味もわかるね」と。


認知症になって、旦那さんが浮気をした時の話しばかり繰り越す女性は本当に多い
それを見聞きすると「受けとめてほしかった時」というのは、やはり納得できる気がします



あるいは、「父は大変に厳しい人なんだけれど私のことだけは褒めるの」と繰り越す女性。もちろんそのお父様はとっくに亡くなっています。そして、実はこの女性は子供だった当時も褒められていたわけではなく、今でも既に亡くなってしまったお父様に褒めてもらいたいと切実に思っている



個々の家庭のあり様は、外からはどうすることもできないけれど、人は人生のその時々に、受けとめられてこそ、安心して日々を過ごすことができるものだと感じます



子供の時は無条件で受け入れてくれる親や、大人という存在



そして、大人たちは今度は自分が親になったり子供達と接し育む中で、思い通りに動か(育た)ない子供達を通して「世の中とは決して思い通りにはいかないものだ」ということを骨身にしみて学び、その経験から自分の親を許したり、他人への接し方を工夫したりする



その循環が上手くいっていない場所に、身を置かなくてはならなくなると、初めは心の不調、最終的には心のあり様を身体が反映して脳が萎縮し、受けとめて欲しいことを全身で表現するようになる



これが認知症だとしたら、子供への接し方、親への接し方、そして、自分自身の身のおき方、大いに考えなければなりませんね





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