老いと死は誰にも平等に訪れます。高齢者ケアの現場を垣間見る度、「これは、やがて自分も経験することだ」と考えずにはいられません。もし、自分が認知症になったら…こんな境遇におかれるのかもしれません



昨日、グループホームの介護士さんから電話がありました。お話するのは約五ヶ月ぶりでした



利用者のTさんの施術依頼でした。グループホームですから、Tさんは認知症の患者さんです


五ヶ月前に、私はTさんにお会いしました。その時も施術の依頼を受けて伺ったのでした。しかし、Tさんには認知症だけとは思えない症状がでていました。その事を施設の方に伝えると、施設の方は俄かに「きちんとした医師に診断を下してもらい、医師の指導の元に理学療法士の指導を受けた方が良い」と判断なさったようでした。私もその手続きは必須だと考えましたし、むしろなぜもっと早くに診察を受けていないのか疑問に思いました。



それに対する施設の方の説明は、

1.利用者さんの診察は全て患家(利用者さんの家族)の許可が必要なこと

2.主治医は内科(脳神経や整形は専門外)で、異常なしとの診断であること


でした。
鍼灸マッサージの施術をする上では、必ず改善目標があります。一般的にも患者さんが鍼灸院に行かれる際には、痛みが取れる、動作が楽になる、などの成果を期待します



認知症の方の場合は、患家の方や、施設の方がケアプランに基づいてこの目標をたてます。Tさんの場合、五ヶ月前の目標は「転倒防止」でした




その後、Tさんは整形外科の診察を受けました。整形外科では、専門外ということで、神経内科を紹介。神経内科では(内科で)処方されていた薬の副作用で原疾患(認知症の脳の萎縮)が進んでおり、身体の硬直も激しい。これ以上出来ることは何もない、と言われたそうです



硬直が激しいということは、かなり日常動作も難しくなっているはずです。私は「現在は転倒防止という目標は既に高すぎるハードルになってしまったかもしれませんね」と言いました



すると施設の方の答えは耳を疑うようなものでした


「Tさんはもう、転倒できませんから」
「?」
「もう自力で立ち上がることができないんです」

五ヶ月前のTさんは、元気に転倒しては、額を切ったりしていたのに




もし、内科のグループホームドクターが、異変に気づいてくれたら



もし、もっと早くに整形外科にかかってリハビリを始めて頂けていたら



もし、神経内科でもリハビリの手配を(脳神経外科のように)とってくれたら


もし、ご家族にもっと迅速に連絡がとれていたら


失われた五ヶ月があまりにも残念で、今更栓ない「もし、」ばかりを考えてしまいました



しかし、実際一番怖い「もし、」は、私がもしTさんで、これら全ての可能性をうっすらと感づいていながら表現する術のないまま身体がどんどん動かなくなるのを見ているしかないとしたら?






きっと今、ご家族が五ヶ月前のTさんの段階にいらっしゃる方も、その前、後の段階にいらっしゃる方もあるはずです



認知症はグループホームに入所させて終り、と、内科も整形外科も神経内科の先生も考えているのでしょうか?進行するだけでできることは何もない、と?身体能力は、使いつづけるか保持する努力をしなければ、驚くほど短時間で失われていきます。しかも一度失われた能力を再び獲得できる可能性は高齢者では非常に低くなります。やがて寝たきりになったら、こんどは床擦れのケアを始めるのがお決まりの一連のプロセスなのでしょうか?



もっと早くに、せめて五ヶ月前からケアできていたら、Tさんは今も元気に転倒していたかもしれない、と考えるのは楽観的すぎるでしょうか?そんなケアは人手も、予算も患家の理解も得られないのが当たり前なんでしょうか





認知症になったら、一般的にはこんな価値観の世界が待っているようですね。想像するのも怖いけど







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