昨日の記事 の続きになりますが
五木寛之さんの「養生の実技」で
「病気は末期発見されることこそ望ましい」という言葉があります
これは、早期発見だったからこそ癌から生還したという人々にとっては聞き捨てならない言葉でしょう
「早期発見こそ治療の王道である、という声は巷にみちみちている。早く見つかったために手術に成功して完治した、などという話は枚挙にいとまがない。健康診断も受けないというのは、非常識で恥ずかしいことだと皆がいう。
しかし、私の考えでは、病気は治らない。治(おさ)めるだけだ。完治という言葉がすでにマヤカシである。手術が大成功してガンが消えたら、身体はもとに復するか。そんなことは子供にでもわかるだろう。身体にメスをいれたという経験は、決して身体の歴史から消し去ることは出来ないのである。アフガニスタンやイラクの治安が回復(治まった)したとしても、その傷跡は消えることなく残る。
(中略)
検査を受けずに暮らすということは、手後れを覚悟することである。もし、そうなったら、あきらめるしかない。それは命を粗末に扱うことではない。その逆である。命を大切にしたいからこそ、できる限り、切ったり、焼いたり、薬品で叩いたりすることをやめる。おのれの天寿を受け入れて、世を去ることを認めるという代償を払う決心が、つくかつかないか。そこが難しい。」
病気でも、腰痛でも、ガンでも、罹る人は罹るし、同じ家系でも罹らない人は罹らない。
ガン家系とか、アレルギー体質という言葉が、顔や体型の造作以上に先祖から受けた影響を反映するものであるか否か、という問題だともいえると思います
「背骨が曲がっていると良く言われるんです」
と、おっしゃる患者さんがたくさんいらっしゃいます
人間の身体は骨格標本通りではないので、何十年も使っていれば真っ直ぐなほうが珍しいのです
背骨の数も、歯の本数も、全員が教科書通りではありません
それでも、特に不調も感じず、支障なく暮らしていくことができるのです
ところが、ひとたびレントゲンや検診で、解剖の教科書から外れているところを指摘されると、不調の原因を見つけたように思い込んでしまうことがあります
背骨が曲がっていようと、歯の数が少なかろうと、そうと知らずに人生を全うすることは可能です
逆に、曲がった背骨に合わせて、人間の身体は全体のバランスを取っているのです
確かに、骨盤の歪みが他の不調の原因になっているということもあります
骨盤の歪みを解消して○○を治す。という場合の骨盤の歪みは、生活習慣によるものに限るのです
鍼灸の学生時代に、貴重な経験をしました
臨床実習で、施術者と、アシスタントがチームで実際の患者さんを診るというものでした
私がアシスタントについたのは、先天性の股関節脱臼の患者さんでした
ご本人はまだ、若い方だったので、スポーツもこなし、普段の生活にはなんの不便も感じていらっしゃいません。しかも、一見すると、歩き方がゆっくりだという以外に、足の運びも変わったところがあるようには見えませんでした
施術者となった同級生は、検査によって、股関節の変異を見つけて、骨盤周りの施術プランを立てました
プランを受け取った指導教官は、まず
「あなたは、この患者さんに毎日ついて一生面倒を見るつもりなのか」とおっしゃいました
変異、つまり位置が正常と違う股関節を元に、この患者さんの身体の動きは作られている。今もし、股関節を正常な位置に戻すことができたとしても、全体のバランスは大きく崩れる。そして、それを補うためには全身の筋肉を強化して、新しいバランスに備えなければならない。それを解消するための、全身の筋肉トレーニングプランは作ったのか?そして、それを毎日指導し続けるつもりなのか?
例え、ガン家系に生まれたとしても、背骨が曲がっていたとしても、健康を維持するための目標は、標準解剖図のような身体に近づけることではありません
その身体をいかに治めながら生きていくのか
それが、養生するということなのだと思います
いくらカリスマの整体師さんに一回の施術で、長年の腰痛を解消してもらったとしても、腰痛を作った原因の姿勢や歩き方といった生活習慣を変えなければ、必ず再発します
早期発見で治ったはずのガンも同じです
再発、といいますが、おそらくそのガンは治っていなかったのです
成人なら誰の身体にも毎日できているガン細胞
それでも、ガンを発症する方と、そうでない方がいる以上
ガンですら治める方法があるということです
最後にもう一度
養生の実技から
自分の健康を自分で守るということは、ある意味で魂の問題だと私は考えているのだ。
身体のコンディションをたもつということは、いうまでもなく心のコンディションをたもつということである。身体は機械ではない。身体は心の状態を写し、心は身体のありようを正直に反映する。心身一如とはそういうことだろう。