アリエッティ | 慧青い愛阿の文化的日記

アリエッティ

いいこと言うなあ、NHK細田君。
と、ふと思った。
東京FMでやっている鈴木敏夫のジブリ汗まみれ内でのことである。
細田君は、一人でジブリを取材した。宮崎駿と新人監督マロの400日を追ったドキュメンタリーを作る為にである。
その彼が、出した一つの結論。
それが、その番組出演のときに出された答えである。
彼は言う。
マロさんのことは、誰も理解できていない。
まさにその通りだ。
アリエッティは、実はそれしか言っていない。
それは宮崎吾朗よりも深く痛々しい。
宮崎駿が泣いた意味を興奮と呼ぶのは間違いと、細田君は言う。
では何か?
闇だよな。
あの作品に闇を見たからだ。
僕らがあの映画を見るとき、視点はアリエッティにある。
しかし本当に主人公足り得たのは、アリエッティではなくショウ君ではなかったか?
そしてその部分は、そっくり語られない。
片鱗は出てくるがほぼそっくり語ることがない。
アリエッティもあまり語ることがなく終わるのだ。
それは終わらざるを得なかった。
彼の心情から、終わらざるを得ない状況があったに違いないし、それはそうするのが一番懸命な策だと思う。
辛いんだ。
つらいことを敢えてかたらず、物語の中心にあるのは、実はそこだったりする。
宮崎駿に出来ることは、その獣性を引き出すこと、マロに出来ることは、その獣性すら押し込めること。
ほの暗い世界にいるという表現。
あれは、意図のない意図的な作品じゃないか?
なんだかそんな気がする。
頑張りましょう。お互いにね。