こんにちは。
昨日のお昼に食べた、パク森のチキンカレー。
おいしゅうございました。
でももう少し辛くても良かったかな~。
ちなみにバターが多めなので、冷めない内に食べるのがオススメ。
冷めちゃったらバターが固まってちょっとしんどいかもね。
◆本日、1月30日の一日一言は・・・
期待通りやって当たり前。
期待を超えたところに感動と感謝が生まれる。
<この一言で伝えたいメッセージ>
お客様の期待を超え続ける。
これが生き残るただ一つの道。
◆心がザワザワしています その1.
昨日は表参道でのセミナーまで少し時間があったので、渋谷で映画でも・・・ってことで、観てきました。
「永遠のゼロ」
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http://www.eienno-zero.jp/index.html
念のため、コンビニでハンカチを購入。
なかなか役に立ちました。
ちなみに映画本編が終わり、エンドロールが流れている中、隣りのカップル(かどうかは知らないが)の男性が、今まさに鼻水をすすっている女性に、
「登場人物、泣きすぎじゃね?」
っていう、
「ちょ・・・お前、どんだけ空気読めね~んだよ」
って思わず突っ込みたくなるようなこと言っていたけれど、女性からはガン無視されてたね。
あの後、あの二人はどうなったのかな・・・?
まぁ、それはいいとして。
僕は小説がとても苦手だし、実は映画もそれほど得意ではない。
それでもこの映画は、単に感動したとか涙が・・・てことではなく、色々考えさせられたというか何というか・・・
「心がザワザワ」
したのです。
僕はこのブログでも幾度となく、
「誰かのために生きる」
とか、
「誰かのために死ぬ」
っていうことを書いてきた。
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「vol.897 『誰かのために戦う人間は強い』」(2013年11月5日)
http://ameblo.jp/lotas-kuramoto/entry-11668912944.html
「vol.945 『誰かのために生きる』ってことは納得できても」(2013年12月23日)
http://ameblo.jp/lotas-kuramoto/entry-11734107717.html
この映画の中では、
「お国のために死ぬのが自分たちの務め」
とか、
「家族のために生きて帰りたいのです」
といったシーンが何度となく出てくる。
この映画で僕はたった一つのことを強く感じた。
それは非常にありきたりなことかもしれないけれど、
「特攻を決して美化してはいけない」
ということ・・・う~ん・・・ちょっと違うかなぁ。
正しくは、
「特攻を美化することで、特攻を生み出した空気を許してはいけない」
って感じかな。
僕はこれまでも、恐らくこれからも、上述したような、
「誰かのために生きる」
「誰かのために死ぬ」
ってことを書いたり言ったりするだろう。
それに、
「自分のためだけに生きる」
「自分のためだけに死ぬ」
ことを僕は良しとしないだろう。
ただ、この映画を観たことで付け加えることがあるとすれば、それは、
「自分以外の誰か(何か)を、守るべき誰か(何か)を、選ぶ自由はある」
ってことだ。
守りたくても守れなかったのが、あの時代。
本当に守りたいものを選ぶことができなかったが、あの時代。
あの時代とは、完全に決別しなくてはならない。
それが、僕がこの映画を観て感じたことだった。
そして不思議なことに、映画を観終わった後からず~っと、頭の中でグルグルとエンドレスで流れている歌がある。
渋谷から原宿まで歩き、昔よく通ったクロムハーツ原宿店に行く途中も、原宿からセミナー会場がある表参道まで歩いている途中も、ずっと流れていた歌がある。
それは、
「モンゴル800」(通称、「モンパチ」)
の、
「矛盾の上で咲く花」
という歌だ。
この歌はモンパチの中で僕が一番好きな歌。
この歌が、映画を観て1日経った今でもずっと頭の中を流れている。
モンパチは沖縄出身のバンドで、沖縄を歌った歌も多い
一方、永遠のゼロという映画は、沖縄を舞台にした映画ではない。
作中に、
「沖縄」
という単語がほんの数回出てきた程度に過ぎない。
それでもずっとこの歌が流れている。
この歌の歌詞の一部を紹介してみる。
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矛盾の上に咲く花は
根っこの奥から抜きましょう
同じ過ち繰り返さぬように
根っこの奥から抜きましょう
そして新しい種まこう
誰もが忘れてた種まこう
そしたら野良犬も殺されない
自殺するまで追い詰められない
どこの国も優しさで溢れ
戦争の二文字は消えてゆく
そして振り出しに戻し 今
素敵な世の中を作ろうか
素敵な世の中を作ろうか
素敵な世の中を作ろうか
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この歌はもう10年以上前の歌。
それに歌全体の歌詞からすると、恐らくは、自らが生まれ、そして活動の拠点としていた、
「沖縄」
の視点で創られた歌だと思う。
ただ、僕個人としては、上に挙げた歌詞の部分は、沖縄に限らず、今の日本にドンピシャだと思う。
「矛盾の上に咲く花」
は、今の日本中に百花繚乱、もうありとあらゆる場所に、たくさん咲いているんじゃないだろうか。
原発。
東京オリンピック開催。
改憲。
自虐史観。
安保とアジア諸国との外交。
選挙における一票の格差。
マネーゲームと仮想通貨。
国内の所得格差。
その他、大なり小なり、挙げればキリがないほど、たくさんのコトが、
「矛盾」
の上に根を張っているんじゃないだろうか。
これまではそれらの矛盾を、隠したりあるいは誤魔化したりすることで、何とかうやむやにしてこれたのかもしれない。
でもこれからはもう不可能・・・っていうか限界に来ていると思う。
一つひとつの矛盾としっかり向き合い、その矛盾をとき解き、場合によっては完全に破壊するタイミングに来ているんじゃないだろうか。
そして、
「新しい種」
を蒔き、
「素敵な世の中」
を作るタイミングが、まさに今なんじゃないだろうか。
「(戦争が終わった)その時の日本はどんな国になっているんでしょうね」
あの時代、生きたくても生きられなかった人たちが、あの時代、本当に守りたかった人を守れなかった人たちが、想い、そして願った日本の姿は、決して今の日本ではない。
残念なことにそう断言できる。
素敵な世の中を作りましょう。
そういう想いで、心がザワザワしているのです。
そして映画を観た後、更に心がザワザワすることが・・・。
それについてはまた明日のブログで!
◆レバレッジ・メモより
「人を動かす人の習慣」 ~ケビン&ジャッキー・フライバーグ~ (2008年6月10日)
<当時のメモ>
・・・vol.982の続き。
4.責任を持つ
(3)どうすれば、「彼ら」を捨てることができるのか?
⑤自分に求める以上のものを上司に期待しない。人生に対する不満や幻滅の多くは期待が満たされないことから生まれるが、私たちはこと上司に対してはかなり多くを期待しがち。はたしてこれは現実的だろうか。いかに偉大なビジョンを持ち、いかに偉大なことを成し遂げようとしていたとしても、ほとんどのリーダーは所詮私たちと同じ欠点を持つ人間。彼らもまた完璧には程遠くて当然。問題は私たちが組織を見る時、上の階層を見れば見るほど多くを期待してしまいがちだということ。不満を感じずに済むようになるには、期待値を下げるより、むしろ焦点を当てる先を変えることが大切。私たちはもっと自分自身に多くを期待する必要がある。
⑥自分の望み通りに彼らが私たちの面倒を見てくれないからといって怒ったり不満に陥ったりするのを止めるべき。私たちのやる気を起こさせ、教育し、顧客や同僚との関係を良くするのは上司だけの責任であると思うのを止めるべき。彼らに私たちの擁護者であることを期待し、高い視点からビジョンを与えてくれるものだと期待しない方がいい。こういったことには全て自分たちが責任を持たなければならない。
⑦代わり映えのしない日常を吹き飛ばしたいと思うなら、上司が完璧でないことなどに気を煩わせるのではなく、むしろどうやったらあなたが組織の足りない所を補えるかということを気にかけた方がよい。
⑧憤りを捨てる、許す、そして歩き続ける。怒りは感情的にエネルギーを消耗させ、サービスを提供すべき人々に対して何の価値を生み出すこともなく、競争力を高めることには繋がらない。人を許すということは許す側の人間に犠牲を強いるもの。
⑨あなたを傷つけた人間を許すということこそ、あなたにできる最も勇気ある行為。
・・・次回に続く。
◆昨日の感謝
・心をザワつかせてくれた映画、「永遠のゼロ」にありがとう!
・「永遠のゼロ」を観るよう勧めてくれた吉田社長にありがとう!熱く語ろう!
・「永遠のゼロ」に追い討ちをかけるよう、更に心をザワつかせてくれた神田さん、ありがとうございました!
・應和さんと李さんとの出会いに感謝!本当に不思議な出会いでした!まさに、結わえてくれた荻野にもありがとう!
◆1年前はこんなこと書いてたね
僕も元気なじぃちゃんになろっと!
お暇な人はこちらも読んでみて。
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「vol.618 御歳を聞いてビックリ!?」(2013年1月30日)
http://ameblo.jp/lotas-kuramoto/entry-11459198160.html
それでは今日も楽しく仕事しよう!
全てのことにありがとう!今日という一日が幸せな一日でありますように!