記事最後の会話は死亡4日前 飯島愛さんの両親が口開く…
昨年12月24日に都内の自宅マンションで亡くなっているのが見つかった元タレント飯島愛さん(享年36)の両親が娘の死について初めて語った。
23日創刊の幻冬舎の女性ファッション誌
『GINGER(ジンジャー)』
が掲載。
先立たれた無念さとともに、絵本作りなど飯島さんが新展開に向けて動きだしていたことを明かしている。
『愛娘・大久保松恵との36年』
の題がついた特集。
「大久保松恵」とはもちろん飯島さんの本名だ。
死因は肺炎と判明したが、一部で流れた自殺説やエイズ説などに心を痛め、沈黙を貫いてきた両親が重い口を開いた…。
父の和夫さんが飯島さんと最後に会話を交わしたのは、死亡したとされる昨年12月18日の4日前だったという。
趣味の山登りの最中に携帯が鳴った。
『一緒にお墓参りに行きたい』
という娘に…
『きょうは山に来ているから無理だなあ』
と返答。
普段から先祖を敬う気持ちが強かったそうで…
『今から思えばすぐ翌日にでも、いつ行くかと相談すればよかった…』
と後悔の言葉が続いた。
祖父の末松さんから1字を取って「松恵」と命名したという。
『気持ちの優しい子でした』
と両親は振り返る。
中学時代には非行に走った時期もあったが、芸能界入りしてからはニューヨーク旅行をプレゼントしてくれるなど親孝行な娘だったと明かしている。
一昨年3月に芸能界を引退した飯島さんだが、実は
「スカイ・クロラ」
などで知られるアニメ監督の押井守氏(57)の指導を受けて絵本作りを企画していたという…。
母親は…
『ゲイについての物語を出したい。映像化もしたいと何回も話していました』
と語っている。
『性感染症撲滅』
にも真剣に取り組んでいた。
部屋の整理をした和夫さんは…
『メモ書きが山のようにあったんです。読むとエイズや医療関連の勉強のあとのようだった。本当にやってたんだなあ。これは本格的だと感心しました』
と話し、志半ばに逝った娘をしのんだ…。
そして最後に…
『長い間、松恵を愛し、そして支えてくださり、ありがとうございました』
と関係者、ファンへの感謝の言葉で結んでいる。
23日創刊の幻冬舎の女性ファッション誌
『GINGER(ジンジャー)』
が掲載。
先立たれた無念さとともに、絵本作りなど飯島さんが新展開に向けて動きだしていたことを明かしている。
『愛娘・大久保松恵との36年』
の題がついた特集。
「大久保松恵」とはもちろん飯島さんの本名だ。
死因は肺炎と判明したが、一部で流れた自殺説やエイズ説などに心を痛め、沈黙を貫いてきた両親が重い口を開いた…。
父の和夫さんが飯島さんと最後に会話を交わしたのは、死亡したとされる昨年12月18日の4日前だったという。
趣味の山登りの最中に携帯が鳴った。
『一緒にお墓参りに行きたい』
という娘に…
『きょうは山に来ているから無理だなあ』
と返答。
普段から先祖を敬う気持ちが強かったそうで…
『今から思えばすぐ翌日にでも、いつ行くかと相談すればよかった…』
と後悔の言葉が続いた。
祖父の末松さんから1字を取って「松恵」と命名したという。
『気持ちの優しい子でした』
と両親は振り返る。
中学時代には非行に走った時期もあったが、芸能界入りしてからはニューヨーク旅行をプレゼントしてくれるなど親孝行な娘だったと明かしている。
一昨年3月に芸能界を引退した飯島さんだが、実は
「スカイ・クロラ」
などで知られるアニメ監督の押井守氏(57)の指導を受けて絵本作りを企画していたという…。
母親は…
『ゲイについての物語を出したい。映像化もしたいと何回も話していました』
と語っている。
『性感染症撲滅』
にも真剣に取り組んでいた。
部屋の整理をした和夫さんは…
『メモ書きが山のようにあったんです。読むとエイズや医療関連の勉強のあとのようだった。本当にやってたんだなあ。これは本格的だと感心しました』
と話し、志半ばに逝った娘をしのんだ…。
そして最後に…
『長い間、松恵を愛し、そして支えてくださり、ありがとうございました』
と関係者、ファンへの感謝の言葉で結んでいる。