『Ramones』元敏腕マネジャーが殺害される
かつてラモーンズのマネジャーを務めたリンダ・スタインが、NYマンハッタンの自宅にて遺体で発見された。
享年62歳。彼女の娘がキッチンで遺体を見つけ、すぐさま警察に通報。殺害の容疑者や動機に関しては、いまだ明らかになっていないという。
一方、検死解剖の結果、死因は頭部と頸部を鈍器で殴られたことによる外傷と判明している。
スタインはかつてダニエル・フィールズとともにラモーンズのマネジャーを務めた人物で、地元USからUKへとバンドを連れ出し、'76年に当地でブレイクさせた功労者でもある。
フィールズはスタインについて
「彼女はとても強かった。でも、愛すべき心の広い人だったよ」
とコメントを寄せている。
スタインは'80年にラモーンズのマネジャー職を辞し、フィールズとのビジネス・パートナーを解消。
その後はセレブ相手に不動産の代理業を行なっていた。
●Ramones
'74年、N.Y.で結成。
'76年にアルバム「ラモーンズの激情」でデビューし、プリミティブな3コード・ロックで、テクニック至上主義に陥っていたシーンに影響を与えた。
3thアルバム
「ロケット・トゥ・ロシア」
ではシングル・ヒットに恵まれ、着実にファン層を拡大した。
'78年、ドラマーのトミーが脱退し、後任としてマーキーが加入。
「イッツ・アライヴ」('79年)、「エンド・オブ・センチュリー」('80年)と精力的にアルバムをリリースし、その人気は頂点に達していた。
その一方で、デビューから一貫して不変のスタイルが“ワンパターン”と批判され、バンドは“ファン離れ”の危機に瀕する。
数度のドラマー・チェンジを経て、'83年に一度脱退したマーキーが復帰。
おりからのハード・コア・ブームの波に乗り、見事にシーンに返り咲いた。'
89年にディー・ディーが脱退。
代わりにC.J.が加入したが、'95年の「アディオス・アミーゴ」を最後に永遠のパンク・ヒーローは22年の活動に幕を閉じた。
■なるほどね。
享年62歳。彼女の娘がキッチンで遺体を見つけ、すぐさま警察に通報。殺害の容疑者や動機に関しては、いまだ明らかになっていないという。
一方、検死解剖の結果、死因は頭部と頸部を鈍器で殴られたことによる外傷と判明している。
スタインはかつてダニエル・フィールズとともにラモーンズのマネジャーを務めた人物で、地元USからUKへとバンドを連れ出し、'76年に当地でブレイクさせた功労者でもある。
フィールズはスタインについて
「彼女はとても強かった。でも、愛すべき心の広い人だったよ」
とコメントを寄せている。
スタインは'80年にラモーンズのマネジャー職を辞し、フィールズとのビジネス・パートナーを解消。
その後はセレブ相手に不動産の代理業を行なっていた。
●Ramones
'74年、N.Y.で結成。
'76年にアルバム「ラモーンズの激情」でデビューし、プリミティブな3コード・ロックで、テクニック至上主義に陥っていたシーンに影響を与えた。
3thアルバム
「ロケット・トゥ・ロシア」
ではシングル・ヒットに恵まれ、着実にファン層を拡大した。
'78年、ドラマーのトミーが脱退し、後任としてマーキーが加入。
「イッツ・アライヴ」('79年)、「エンド・オブ・センチュリー」('80年)と精力的にアルバムをリリースし、その人気は頂点に達していた。
その一方で、デビューから一貫して不変のスタイルが“ワンパターン”と批判され、バンドは“ファン離れ”の危機に瀕する。
数度のドラマー・チェンジを経て、'83年に一度脱退したマーキーが復帰。
おりからのハード・コア・ブームの波に乗り、見事にシーンに返り咲いた。'
89年にディー・ディーが脱退。
代わりにC.J.が加入したが、'95年の「アディオス・アミーゴ」を最後に永遠のパンク・ヒーローは22年の活動に幕を閉じた。
■なるほどね。
