広島に原爆投下「エノラ・ゲイ」元機長が死去
広島に原爆を投下した米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」のポール・ティベッツ元機長が1日朝(日本時間同日夜)、米オハイオ州コロンバスの自宅で死去した。
92歳だった。
AP通信など米メディアが報じた。
イリノイ州生まれ。1944年に原爆投下部隊の指揮官となった。
エノラ・ゲイの機長として、太平洋のテニアン島から出撃し、45年8月6日、広島に世界初の原爆を投下した。
戦後は、原爆投下を正当化する立場を繰り返し表明し、論議を呼んだ。
2006年8月に読売新聞が行ったインタビューでも「広島、長崎への原爆投下は戦争終結のために必要だった」、「今も全く後悔はない」などと語っていた。
エノラ・ゲイは母親の名から命名していた。
AP通信によると、同氏は死後に抗議運動が展開されることへの懸念から、葬式を行ったり墓石を造ったりしないよう、友人に頼んでいたという。
1966年に空軍を退役後、民間用小型航空機の運航会社を経営していた。
■原爆投下を誇りに思えるなら原爆の形した墓石でも作ってもらえっての。
ポールに、テレビドラマ『裸足のゲン』見せてやりたかったわ、原爆の爆風で家が倒壊して、姉さん、お父さん、弟、が家の下敷きになったんだよ、お姉さんは即死、弟とお父さんは身動きがとれないわけ、必死にお母さんとゲンが助けようとしたんだけど火の手が上がってきたわけ、お父さんは ゲン に『母さんを連れて逃げろ』て言ったんだよ、最後 お父さんは迫り来る炎の中 弟の手を握り一緒に歌をうたったんだよ、その気持ちがポールにはわからないんかい!
よくも、ヌケヌケと「今も全く後悔はない」なんて言えたもんだよ、しかも長生きだし。
いつかあの世でポールに会ったら説教してやるぜ。


92歳だった。
AP通信など米メディアが報じた。
イリノイ州生まれ。1944年に原爆投下部隊の指揮官となった。
エノラ・ゲイの機長として、太平洋のテニアン島から出撃し、45年8月6日、広島に世界初の原爆を投下した。
戦後は、原爆投下を正当化する立場を繰り返し表明し、論議を呼んだ。
2006年8月に読売新聞が行ったインタビューでも「広島、長崎への原爆投下は戦争終結のために必要だった」、「今も全く後悔はない」などと語っていた。
エノラ・ゲイは母親の名から命名していた。
AP通信によると、同氏は死後に抗議運動が展開されることへの懸念から、葬式を行ったり墓石を造ったりしないよう、友人に頼んでいたという。
1966年に空軍を退役後、民間用小型航空機の運航会社を経営していた。
■原爆投下を誇りに思えるなら原爆の形した墓石でも作ってもらえっての。
ポールに、テレビドラマ『裸足のゲン』見せてやりたかったわ、原爆の爆風で家が倒壊して、姉さん、お父さん、弟、が家の下敷きになったんだよ、お姉さんは即死、弟とお父さんは身動きがとれないわけ、必死にお母さんとゲンが助けようとしたんだけど火の手が上がってきたわけ、お父さんは ゲン に『母さんを連れて逃げろ』て言ったんだよ、最後 お父さんは迫り来る炎の中 弟の手を握り一緒に歌をうたったんだよ、その気持ちがポールにはわからないんかい!
よくも、ヌケヌケと「今も全く後悔はない」なんて言えたもんだよ、しかも長生きだし。
いつかあの世でポールに会ったら説教してやるぜ。

