Hoppy | おじぃちゃんの事件簿

Hoppy

今日はね、朝日のコラム、フロントランナーから『Hoppy』の話をコピペでお届けしまっしゅ☆




派手なピンクや黄色のトラックが暑い都心を走り回る。

車体に躍っているのは『Hoppy』の文字。







中高年には懐かしい炭酸飲料・ホッピーを運ぶ車『ホピトラ』だ。

4トン車から15トン車まで33台ある。


ホッピーは、今やイタリア料理店やダーツバーなどで、若者の新しい飲み物として人気を集めている。




『私だってダサい、オヤジの飲み物だと思っていました』


1910年創業の飲料メーカーの一人娘。

祖父が東京・赤坂でラムネの製造を始め、第2次大戦後、ビールの代用品として売り出したのがホッピーだ。

ホップと麦芽が原料で、製法はビールと同じだが、アルコール度数が酒類となる1%より低い0.8%。酒税がかからないため安く、高度成長期のサラリーマンは焼酎割りを楽しんだ。



家業を継ぐ気はなかった。


『跡継ぎになれる人を選ぶという不純な動機』で結婚したため、半年で破局した。

ところが95年、会社が地ビールの免許を取ると急に経営に興味を持ち、97年、父で社長の石渡光一さん(71)の反対を押し切って入社した。

古くさいイメージを変えたい。

まず着手したのは新商品開発だった。







て、ワッキーーー!




広告会社で3年間アルバイトした経験から、企画力や販売戦略には自信があった。

1000万円かけ、瓶やラベルのデザインにも凝ったが、ホッピーをあらかじめ焼酎で割った新商品は大手メーカーの厚い壁に阻まれて、売れなかった…。



起死回生のきっかけは、99年に立ち上げた会社のホームページだった。
ネット販売を開始。

跡とり娘の修業日記を公開して話題になり、テレビにも出演した。

低カロリー、低糖質、プリン体ゼロの飲み物だという熱心な売り込みが、世の健康志向にはまった。

焼酎人気や昭和を懐かしむ風潮といった追い風も吹き、02年の取締役就任以来、売り上げを3倍近い23億円に伸ばした。

父光一さんは『小さい頃はおとなしかった。強い星のもとに生まれた子だ』 と振り返る。



 自称『空飛ぶ看板娘』『ホッピーミーナ(美奈)』。

元気いっぱいのホッピーミーナはヒールの高さ5センチの靴で、得意先から得意先へ走る、走る。

モットーは『温故創新』。
お金をかけず、いかに商品を売り込むか。

ホームページにはミーナの写真があふれ、ホッピーを飲める店の紹介などもある。


週5日、ニッポン放送系の夜のラジオ番組『看板娘ホッピー・ミーナのホッピーハッピーバー』では、歯切れよいトークを披露。

相方のアナウンサー垣花正さん(35)も

『一応シナリオはあるのですが、それを外さずに適切なエピソードを入れ、NGを出さない』と舌を巻く。


社員と飲みに行く機会も多い。若い社員には『まじかよ』『おもしれ~な』と男言葉で、のけぞって大笑い。

頼りになる姉貴といった感じだ。


今春初めて、新卒者7人を採用した。

50代が多かった社員の平均年齢をぐっと下げた。

2010年には創業100年を迎える。

『私が育てた社員と、第3の創業期を作っていきたい』

文・吉野園子



■ ホッピーは、麦芽とホップで作られた炭酸清涼飲料水(ビアテイスト)、アルコール飲料ではないんだって。

製造工程はビールと全く同じで、完成したときにはアルコール度数が0.8%となってるんだって。


ホッピーミーナのモットーは『温故創新』

おじぃちゃんのモットーは…。












『チンコ創新』 では★