重いけど観てほしい

この地震を刻み付けなければならない




あまりにも残酷な言葉だと思う
それでも観なきゃいけないのかもしれない

3月11日
アタシは室内プールがある建物のホールに
部員たちといた
テレビを観ながら
笑って
ふざけて
顧問いつ来るのかなぁ
なんて思ってた

そして地震が起こった

最初は
揺れた…?
なんて部員たちと言い合って
そして段々大きくなったけど
『東海地震が来るかもしれない』
なんて言われてる地域だから
そこまで大事だと考えてなかった
ただ事じゃないと気付いたのは
建物内で停電が起きたから
テレビ番組が一気に緊急速報に変わる
震源が東北と知って怖くなった
宮城に住んでる親戚は愚か
家族とも連絡がつかない
携帯を何回も何回も見た
でもメールも電話もない

何十回目かに叔母と電話できた
泣きそうだった
だってそれは生きてるってこと
無事だってことを家族に伝えてほしい
そんな短い伝言で電話を切った
もちろん部活は中止
それから数十分後に母と連絡がついた
学校の友達にも中学からの友達にも
メールを送りたいのに送れない
回線が混んでつながらない
電話ができたのは奇跡だった

渋滞に巻き込まれながら帰宅した
どうしても親戚と連絡が取れなかった

なんでどうしてこんなことに…

誰もがそう思ったと思う
更に原発事故
確かにアレは事故だ
そのことは変わらないだろう

でももっと被害を
押さえられたんじゃないのか…?

そう考えずにはいられない
なりふり構ってる場合じゃない
みっともなくたって
ダサくたって
惨めだって
復興する為に
助けなければならない

物理的に最もダメージを受けたのは
国かもしれない
精神的に最もダメージを受けたのは
被災者の人たちなんだ
最低限の物だけ持って
もっと酷い人は身一つで逃げて…
その時に捨てなきゃならない物は多かった
思い入れのある物はもちろん
ペットだってそう
津波にのまれて
瓦礫に埋まって
寒さで
飢えで
行方がわからない子だって
今もいっぱいいる
そして最愛の人たちと
永遠の別れをしてしまった人も
何万といる
泣いて泣いて泣いて
涙なんか枯れてしまっても
それでも前向いて
生きていかなくちゃならない

どうしてあの時置いてきたんだろう
どうしてあの時一緒に逃げることが出来なかったんだろう
離れたくなかったのに
自分も連れていってほしい

時が止まる

でも何時までも
止まったままではいられない
少しずつでいいから
進めていかなきゃならない

日本人ってこんなにも強いんだ
何かを築き上げて
その度に壊されて
それでもまた築き上げて
そうやって立ち向かってきた

泣きたい時は泣けばいい
でもここぞという時は
泣かないで胸を張る

まだまだ復興には程遠い
それでも諦めない
諦めるわけがない
だってそれは
被災者の方たちが
東北の人たちが
日本が強いから

被災地は絶対復興する

アタシはそう信じてる