早いもので11月も終わりますね。もうすぐ師走ですか。一年の過ぎるのが何と早いことか。

 

 

最近はスモールスペースで過ごすことが多いです。お気に入りのキャンドルポットに明かりを灯して。ダウンライトの照明を絞って。夜の海を眺めながら。けっこういいムードなんですよ。静かなもんです。アロマなんか焚いたりして。

 

おじさんが、ひとりで雰囲気だしてどうするのか、という根本問題は依然として残ったままですが、結局はこういうことが好きなのですね。昔から。だから、空しいということはありません。

 

 

 

そりゃあ隣に、贅沢なことは言いませんけど、できればちょっと色っぽくて小ぎれいな、それでいてあくまでも清楚で趣味のいい、まあ、あんまり若いひとでは困りますが、ある程度は若く見える、ほんとは若くても全然OKなんですけど、それで、やさしくて上品な、髪の長さはロングでもミディアムでもボブでもショートでも、似合っていれば特にこだわりはありません。

 

 

でも、今でもそんなひといるのかなあ? 昔のことに大仏パーマというのがありまして、これはいくら似合っててもNGです。というか、似合ってること自体が怖いです。

 

 

なぜNGかというと。これにはトラウマがあります。また昔話かと言われそうですね。

 

 

 

 

若いころ地方出張のつれづれに、当時、全国展開していたクインビーというミニキャバレーに入ったことがあります。さびれた繁華街のはずれにあったその店は、薄暗い入り口の周りを、いくつもの色とりどりの万国旗と提灯で飾り立てていました。提灯の大方は破れ提灯で、ある物は大きくぱっくりと、またある物はうっすらと細く、口をあけていました。おまけに中の電球が不安定に点いたり消えたりをくり返していました。

 

ただでさえ場末臭ただよう外観に、薄気味の悪い破れ提灯の点滅は、この店がかもしだす佇まいに、よりいっそうの深い情趣をそえるものとなっていました。

 

最初からイヤ~な予感はしていたのです。でもその一方で、もしかすると、案外こういった店にこそ、とびっきりの美女が隠れているかも知れない、得てして夜の街とはそうしたものだ、という何の根拠もないビジョンのようなものも見えてきたりして、その上に、セット料金の安さも手伝って、お化け屋敷に入るようなちょっとドキドキわくわくとした気分で入店しました。

 

 

 

 

お化け屋敷でした。

 

 

 

 

ついてくれたホステスさんは、おばさんでした。いや、そのころの私からすれば、おばさんは褒めすぎというもので、婆さんでした。正真正銘どこから見ても立派な婆さんでした。

 

ひらひらピンクのミニドレスに頭は大仏パーマで、体をぴったりとくっつけてきて、さらにそのうちに、ひざの上にどしっと、のし乗ってきて、野太い声で「まッ、お兄さんったら、フトモモなんてピッチピチ」「まッ、お兄さんったら、こっちなんて、コッチコチ」とズボンの上からやたらと私のモノを触りまくろうとするのです。当時まだ若いだけの私は「婆さん、やめい!!!!   あんたごときで固うなるわけなか!!!!!!!! フニャフニャたい!!!!!!」とは言えなくて、か細く「やっ、やめてくだしゃい!! やめてくだしゃいな!!!」と。そんなことで緩める婆さんではありませんでした。どこまでもアグレッシブな婆さんなのです。お化け屋敷というよりも、獰猛な野獣の檻に放り込まれたような、そんなあまりにも理不尽すぎる苦すぎる体験でした。

 

今でも何かの折にふと、この大仏頭が頭の片隅をよぎると、もうそれだけで、そのときの情景がフラッシュバックして、以後現在に至るまで私の人生において一度も遭遇したことのないような、あれはいったい何だったのか的な、ぞわぞわっとした気分と同時に、それとは裏腹に、どこかしら妙にしみじみとした情感にも包まれるのです。

 

 

ボックスシートの上に仁王立ちになった婆さんが、ハジケて踊れば踊るほど、なんでこんな婆さんの相手して、こっちが金払わんといかんのかという金返せ的な感情ももちろん沸騰してきたわけですが、その一方で、このひともこの歳でよくやるよなあ、今まで人生いろいろとあったんだろうなあ、生きていくのもなかなか大変だなあ、といったある種、人生に対する哀感とでもいいましょうか、うらぶれた街のはずれの、うらぶれたキャバレーの、うらぶれたミラーボールのうらぶれた二人掛けのボックスシートに座り、そのシートの上で、明るく楽しげにハジケて踊りまくる大仏婆さんを見上げながら、そして大音量で流れる、当時のハッスルタイムの定番【星降る街角】を、「want you!!」「よいしょ!!」という婆さんの酒焼けした野太い掛け声とともに聞きながら、年輩の女性に、人生の何たるかを、その一端を、垣間見せてもらったような気にもなりました。もっともそれは、単なる若輩の勝手な想像にしかすぎない、という留保つきではありますが。

 

 

ご参考までに

 

 

 

 

 

話が横道にそれてしまいました。

 

どんなひとが隣にいてくれたらいいかなぁ、の続きでしたね。どちらかと言えば私、けっこう無口で、人見知りをするタイプなんですね。ですから話をしても疲れない、そうですね、7ぐらいは放っておいても適当にしゃべってくれて、3ぐらいは話を振ってくれるといった感じでしょうか、それでもって特にこれは大切、柔らかな感じの声の、そして話し方の、そんな誰かがいてくれた方がいいのはいいですけどね。

 

 

 

けっこう注文が多い。

 

 

 

 

 

 

あらためて。

晩秋ですね。晩秋と言えばシャンソンでしょうか。去年の秋はピアソラでしたが。

 

 

 

 

【 ぼくは話そう はたちにならない人たちには わからない時代のことを 】から始まるこの歌を、二十歳のころ、なるほど、歳がいけばそうした思いに駆られるんだろうなあ、と家賃16000円の風呂無しアパートの一室で、想像しながら聴いていました。

 

 

 

ろうそくの火影にゆれる青春の貧しき部屋にアズナブールを

 

蝋燭の 火影にゆれる若き日の 淋しき部屋の アズナブールの

 

若き日の貧しきひとりの卓袱台の芋粥に華 アズナブールだ!!

 

 

 


 

そして四十有余年、やってることは大して変わっていません。

 

 

 

 

晩秋の 風吹くひとりの 素うどんの 身に染む夜だ!!  アズナブールだ!!! 

 

 

 

 

La bohème  //  Charles Aznavour  

 

 

 

bohèmeとは【元来はボヘミア人またはボヘミア出身と考えられていたジプシーを指すが,転じて1830年の七月王政期にパリに集まった,貧しくしかし自由なその日暮しを送る文学青年や若き芸術家たちの呼称(ボエームbohème)となった】だそうです。