今日は5月13日。35年前の1988年の今日、チェットベイカーが亡くなりました。

58歳でした。

午前3時10分過ぎ、アムステルダム中央駅にほど近い「ホテル・プリンス・ヘンドリック」3階のC20号室の窓から、ホテル前の歩道に転落して。


事故ということで一応の決着は見たものの、それが本当に事故だったのか、あるいは自殺だったのか他殺だったのか、様々な憶測を呼び、真相は謎に包まれたままだったようです。


 

今夜は追悼の意味も込めて。


私がチェットベイカーを初めて知ったのは、1988年の秋でした。ですから、亡くなったそのすぐ後ということになりますね。

 

何か悩み事があったのだろうと思います。それが仕事のことだったのか、女性のことだったのか何だったのか、どんなことで悩んでいたのか、まったく思い出せません。でも、わざわざあてもなく県境を越えて車を走らせたくらいですから、何かあったのでしょう。そのときのBlueな気分だけは何となく覚えています。岬の先端に建つ白い灯台のそばに車を止めて、ぼんやりと海を眺めていました。


そろそろ帰ろうか、いつまでもここにいたって仕方がない、と思いながら、たまたまスイッチを入れたラジオから流れてきたのが、チェットベイカーのAlmost Blue と、それに続く My Funny Valentine でした。「メモリーズ」という新譜の紹介でした。

Almost Blue が始まった瞬間、海の青さと空の青さとチェットベイカーが胸の中に飛び込んできました。かすかに聞き覚えのある名前でしたが、書き止めるものも無く、忘れないように、チェットベイカーチェットベイカーと唱えながら家まで帰ったことを覚えています。


いつのブログだったか、求めて得たものよりも偶然めぐり会ったものの方が、振り返ってみると、人生において遥かに深い意味があったような気がする、といったふうなことを書きました。まさにチェットベイカーとの出会いがそれで、撃ち抜かれたという感じです。


まず、「メモリーズ」が、それから年を明けて「フォア」というCDが発売されました。DVDが発売されるのはその後、何年も経ってからです。

これらは、1987年6月14日の東京公演、会場は昭和女子大学人見記念講堂、ここでのコンサートの模様を収録したものです。このときチェットベイカーはヘロインを絶って来日したそうです。それにしても、薬物の常習者でそれにまつわるトラブルや逮捕歴でも、つとに知られている人物なのに、よく入国できたものだなあと不思議な気がしないでもありません。

 

 

ともかくも、典型的な破滅型天才ジャズメン・チェットベイカーにとって、この日の、この東京公演のためだけに、ただそのためだけに、これまでの途方もない人生の蕩尽と、放浪の旅が必要であったのだと言われれば、そう納得せざるを得ない、秘蹟とでもいうべきパフォーマンスだと私は思うのです。

この東京公演こそは、長い苦渋の旅路の果てに、遂にただひとり、天才チェットベイカーのみがその高みに到達した、聖性蕭然たる地平が広がる最晩年のパフォーマンスで、全ジャズ領域における名演中の名演、傑作中の傑作だと思っています。



と、随分と力を入れてしまいました。

 

つまりこれが、撃ち抜かれたということなのです。







            すごい世の中になったものです

 この東京公演の模様を自宅にいながらにして誰でも観られるようになったのですから


            Almost Blue  //  Chet Baker