森 鷗外。名前の響きからして厳めしい。字面も厳めしい。写真を見ても厳めしい。特に髭が。それに「文豪」というのがぴったりのお人で、またその「文豪」が厳めしい。それでずっと敬遠していました。学校の教科書で、たしか舞姫を読んだきりでした。 

今回、岩波から60数年ぶりに新しく出たので読んでみました。これが驚くほど読みやすくて、つまり小難しくなくて、森 鷗外ってこんな親しみやすい文章を書く人だったんだ、と認識を改めました。

金井湛(しずか)君という主人公に託して、鴎外の6才から21才に至るまでの、性にまつわる種々が綴られています。自身をふり返ってみても、あるあるというやつで、いちいちいたく共感を覚えました。

ただひとつ、驚いたことがあります。
それは硬派ということについてです。

金井君は13才で、「生徒は十六七なのがごく若いので、多くは二十代である。」という東京英語学校に入り、寄宿舎生活を開始します。二人部屋です。当時の学生は軟派と硬派に分かれていて、軟派というのは学問よりも女に関心がある学生、これは現代でもその通りの意味だと思います。が、硬派というのは女には目もくれず学問一筋、勉学に打ち込む学生、ということなのかと思えば、そうではなく、学問よりも男に関心がある、要は男色趣味、今の言葉でいえばゲイ、の学生のことを指すようで、驚きました。

軟派よりも少ないとはいえ、硬派もそれなりの数がいて、しかも別段、硬派であることを隠しているようにもありません。というかむしろ逆に、軟派を軟弱と見下して、硬派であることを誇示している感すらあります。

金井君も13才のときに、硬派の学生に自室に乗り込まれ、危うくお尻を犯されそうになります。実は、11才のときにも金井君は、私塾の帰りにしばしばお菓子をもらいに立ち寄る男の部屋で、手籠めにされそうになるものの、うまく難を逃れているのですが、何というか、軽いとでもいえばいいのか、鴎外がある種のユーモアをもってそれらの顛末を語っていることに、大いなる戸惑いを覚えました。

現代の一般的な性意識からすれば、少年のときにオカマを掘られるなどということは、極めて深刻な事態で、取り返しがつかない程の大きなダメージを受ける性被害ではないかと思うのですが、時代が変われば性意識も変わるということなのでしょうか。

大人になるまでに少なからぬ少年が、あるいは「嘗めなければならない辛酸の一つ」として、ユーモアをもって男色を語る。江戸の名残とはいえ衆道、よくわかりません。