まず、猪木武徳氏の著書戦後世界経済史 自由と平等の視点から 中公新書(2010)を参考にして書いています。





タイトルについて最近考えた事を書いてみたいと思う。



この考え方は社会主義に近い考え方だと思う。



いや平等に所得を分配するのだから社会主義といっていいのかもしれない。





さて社会主義でどういう問題があったかといえば



平等に所得を分配したために、よく働く人と怠けている人が同じ所得になってしまうという問題である。



平等という理想のもとに、どれだけ働いても所得は上昇することなく、また怠けていても所得は減少することはない。





あまりに理想をもとめすぎれば、こういう結果になることがわかったのである。





これは過去の教訓である。









これら上記のことを考えるキッカケとなったのは猪木武徳氏の戦後世界経済史 自由と平等の視点から(2010) むすびにかえて(P365~P375)に自由と平等について興味深いことが書かれていたからである。





上記の著書から引用させてもらいます。

「平等の利益を享受するには努力を必要としない。平等を味わうには、「ただ生きていさえすればよい」(トクヴィル)のである。ところが平等は自由の犠牲において実現することが多い。」(P372)



これはほんの一部引用したにすぎないので、もっと知りたいというかたは本を読んだ方がいいと思う。











さて上記の引用から伝えたいことは自由と平等の均衡の難しさである。



最低生活保障の理念は平等に値する。



この平等は一人一人が働くという犠牲のもとで成立する。





最低生活保障を達成するためにはみんなが働かなくてはならない(財政の確保から見てもわかると思う)



しかし平等というものは過去の教訓からわかるように人を働かせるインセンティブを持たせにくい。





これは労働経済学でいうエージェンシー問題にものすごく似ている。







セーフティネットから人々を労働に向かわしめるものは何か。



ベーシックインカムを成立させたとして働かない人々はどうするのか?いてもいいのか?誰も働かなくならないのか?



社会主義で起きた失敗は起きないのか?



どのように起きさせないことができるか?



自由の犠牲をどうするか?



これらが僕の疑問である。











国民みなが働くからこそ今のセーフティネットは成立している。異なる言い方をすればみんなで協力してセーフティネットを守りましょうということである。





しかしこれに協力しない人はでてくるし、またセーフティネットは不安定であると国民が信用しなくなるという問題もある。







こうして書いていると何を書いているかわからなくなってきた笑









僕は最低限の生活保障は誰もが信頼でき、安心できるシステムでなければならないと思う。



将来への不安からの解放は経済への寄与も大きいと考える。





しかし一方で確実に安心できるものは社会主義で起きた問題に近い問題が起こるのではないかという懸念があるのである。



だからこの問題が起きないようにするシステムも必要なのではないか。



僕は一つの解決方法として参考著書でも言及されているが教育(P369~375を参考にした)があると思う。





僕の考えは最低限の生活保障者への教育システムの確立が一つの解決方法になりうるのではないか?と考える。



これは小中学校の義務教育のように、生活保障者への義務として教育を受けてもらい、労働意欲を出すという方法である。



重要なことはこれを半強制的にやる必要があるかもしれないということである。義務教育もそれに近いと思われる。









自由と平等についてはこれからも考えていきたい。



これはとても重要な事だと思うからだ。



裕福な国で危険な状態にある人々を救わねばならない。





誰もが自分なりの幸せを追求するシステムを考えたい。



その方法にベーシックインカムもありうると思うが、ベーシックインカムについては今のところわからない。



ベーシックインカムで心配なのは貨幣価値である。これは短絡的であり、全く的外れの心配かもしれない。