ツイッターからわかること

①情報過多

②情報錯綜

③情報の競争


①はもう見れば一目瞭然だと思われるが、ネットが普及してからというもの情報はかなり多くなっていると思う。それは人が情報として残そうとするからだと思う。歴史を文書として残したように。情報過多時代、誰もがそれを安易に見れるようになったのはまさに今の時代を象徴していると思った。



②は事実も流れるがデマも流れることからそう思ったのである。しかし情報の信頼性とは非常に難しい。一番信頼できるであろうメディアだって公的機関だって嘘をつく可能性はあるからである。情報に触れすぎると何を信じていいのかわからなくなる。

じゃあ何で人はそこまで情報を追いかけるのか?

それはおそらく好奇心であり③につながるネットが情報競争社会ではないからだろうか?

そう、人はだれにも負けたくないのだ。優位に立ちたいという想いがある。だからこそツイッターではそうした信頼に足りる情報を誰よりも速く出そうと競争が始まっているのである。



さて情報がたくさんある中で誰を、どれを信じればよいのかという疑問は残る。僕は誰も信じなくてよいと思う。

というか信じても無駄なのだと思う。

信じたいと思うのは安心したいから、不安になりたくないからだと思う。

というより情報を追いかけることは本当は無駄なんじゃないかな。たくさんある情報を見比べたり、探したり、そんなこと無駄なんだと思う。


じゃあなんでやるのか?それはさっき言ったとおり。そしてまたそれを通したコミュニケーションがあるから。議論があるから。情報を通してつながれるから。後は頭がよくなれるからかな?w




正直情報を追いかけるより、勉強とか読書したほうがいいと思うな俺は。そっちのが役に立つ。


まあでもツイッターの楽しさってそういうとこにあるんじゃないかな。




情報ってのはこの大量の情報過多時代の中でいわゆる自分にとって必要な情報だけ見とけばいい。例えば地震のことでいうと、自分の親戚の生存者の情報だったり、ボランティアのやり方だったり。

決して原発の情報を追いかけたとこで全くもって意味ない気がしてならないし、知識深めたからどうなるんだろう?と思えて仕方がない。


だけどツイッターの楽しさってのはまさにそれで。。。

断片的だけど、そう、自分にとって必要のない情報、興味のなかった情報が手に入るわけ。

そういう情報が流れてくるのが面白いんだよな。

自分では探せない、見つけることができなかった情報が手に入るんだ。興味のなかったことに興味を示すことができるんだ。