僕は昔からガンダムシリーズのアニメが好きだ。
元々中学でスポーツに夢中になるまでは小学校の友達とアニメの話をしたり一緒にプラモデルを作ってよく遊んでいた。
今でも年に数回ほど無性にガンプラを作りたくなるときがあるし、今の僕の部屋にも今まで作ったガンプラが何体か飾ってある。
一年ほど前、2007年に放送された『機動戦士ガンダムOO(ダブルオー)』という作品を放送から10年以上経って初めて観た。
ダブルオーのストーリーを簡単に説明すると、戦争や紛争が絶えない世界に対して、主人公達が所属する「武力による紛争根絶」を掲げた組織が武力介入を行っていくというところから物語は始まる。
主人公達は戦争や紛争を行っている国や地域に赴き、ガンダムによってそれらの戦力を破壊し争いのない世界を作ろうとしたのだ。
数々の戦いを重ねていくなかで世界は統一されていき、最終作の劇場版では地球外生命体「ELS」と人類一丸となって戦うという、ガンダムシリーズの中でも異色のストーリーになっている。
最終的には、人類が進化を遂げた存在である「イノベーター」へと変革を遂げた主人公 刹那・F・セイエイ が、地球外生命体「ELS」と対話し、対話を通して人類とELSが和解したところで物語は終わる。
人と人とは分かり合えるのか?
結論からすると、僕は全ての人間がお互いに分かり合えるというのはアニメの中の話であって綺麗事なのかもしれないと思う。
確かに、昔の僕は人と人とは必ず分かり合えるものだと思っていたし、分かり合えないのは自分や相手に何らかの問題があるからだと考え、他人と衝突したりしたときもその問題が何なのかを自分なりに探していた。
しかし今の僕は、どちらが良い・悪いの問題ではなくこの世界にはどうしても分かり合えない人間は存在するのかもしれないと考えている。
少なくとも、人は誰も他人のために生きているわけではないし、人間にはそれぞれ異なった考えや正義があるので、それらをお互いに受け入れ理解し合うというのは物凄く複雑で困難なことだと思う。
ただ、僕は今でも結果がどうあれ他人と分かり合おうとする姿勢自体はとても大切だと思っている。
今の僕は『全ての人とは分かり合えないのかもしれない』という考えに至ってはいるが、他人とすれ違ってしまったときに最初から分かり合うのを諦めるか分かり合おうとする努力をまずしてみるかとは天地の差があるとも考えている。
また、全ての人と分かり合えるわけではないのかもしれないのならば、尚更分かり合えた人達のことは一生大事にしていくと決めた。
『機動戦士ガンダムOO』の物語は、戦いの中でしか生きられなかった主人公が優しく微笑み、他人と分かり合えたことを喜びながらヒロインと抱き合うシーンで幕を閉じる。
たとえ僕自身にはそんな結末は訪れなくとも、あのシーンを観て感じた気持ちはいつまでも忘れずに生きていきたいと思う。

