それは仕方のない事なのかもしれませんが、しかしながら、その限られた枠内の中でもどうにか制限の無い時と同じように食事を楽しむ術は

ないものかと考えてしまいます。それはとても大事な事だと思います。

これは、行動制限についても言える事だと思います。

罪を犯した人は、そうでない人に比べて行動や自由が大幅に制限されなくてはいけない、しかしながら、その範囲内で楽しめるよう手助けする

事も必要なはずです。

どれだけの大罪であろうと、生を許すのなら、更生や心ある償いのためにも、楽しむ事を諦めさせてはいけないんです。

罪を犯す理由は、信頼できる話し相手や相談相手がいないからです。その理由は人と共に楽しむ事を諦めているからのはずです。

「何はできなくても、人と共にある事を決して諦めない、これがとても大事な事です。」

これでようやく説明できますね。なぜ、全てが救われるべきか、それは意識で諦めたとしても、本能は決して諦めないからです。

まして、僕を馬鹿にしないという事は、

「人と共にある事を決して諦めたくないという強い思いの持ち主であるという何よりの証です。」

また、アニメやフィクションだけしか好きになれないという事も何よりの証です。

「逆に言えば、人と共にある事を諦めさせてしまうのは正義とはいえないんです。」

「あなたがそれを諦めてしまう、そんな善や正義を無理に信じ続ける必要はありません。僕ならば、必ず、また、そのような善や正義を無理なく信じられるようになる事をお約束させていただきますが。」