僕はかなり特殊な人間ですが、しかし、所詮は人の身である事に変わりはありません。また、今の社会に適合するためには、普通の人以上の

頑張りを要するというのも紛れも無い事実のはずです。その事を決して忘れないようにしたいと強くそう思います。これに関しては、かつて知り合った人以上の人はいないとは思いますが、まだまだ、扉は閉ざされているようですので、どうにか1人で頑張り続けようと思います。

 

忙しさと余裕の度合いによっては、無理なく信じられる範囲がかなり狭まってしまう事もあります。そうなると、心だけでは信頼関係を築く事は

ほぼ不可能となってしまいます。それを体や知恵で補うための形なんじゃないかとそう思います。

でも、あくまで、メインは心と心で結びつけるよう日々一生懸命頑張り続ける事ではないかとそう思います。

それを諦めさせてしまうような形は諦めてしまった個にとっては正しいとは言い難いんです。

 

奇跡は誰もが望んでいいものです。それは熱意によって可能となるものです。熱意の源たる慈光希望への強い思いや、それらとの自由な触れ合い等を否定するような形の押し付けは決してあってはいけないんです。

 

日々たくさんの気付きがあるという事が人間的幸福というものだと思います。そのためにも熱意は必要なはずです。

熱意に乏しければ、日々の気付きの数は段々と減っていってしまいます。それもよくない事です。

「人間として生きるとはたくさんの気付きと、それに基づく一生懸命な頑張りが日常に溢れているという事ではないかと。」