信じても裏切られる事が続けば何も信じず自分だけを信じ続けたほうが良いという結論になるのも仕方ありません。

それは諦めでありある種の絶望です。

その後自分さえ信じられないなら自殺という道を歩み、自分だけを信じ続けるなら孤独な犯罪者という道となってしまいます。

慈は決して裏切りません。自分が人を裏切る事を何より忌み嫌うはずですから、人の裏切りは許すはずですが。

慈にさえ牙を向けるのは、それだけ深く傷付いているという事です。噛み付かれてもいいから一生懸命受け止めてあげようというのが慈の

本質のはずです。命までは奪わないだろうと信じているからです。殺す気で向かってきたとしても、本当は殺したくないという気持ちの方を

信じようとするんです。

ひぐらしのレナの姿は慈そのものですね。慈の反転は非常に恐ろしいですね。全てを疑い自分に対する裏切りを絶対に許さないのですから。

罪滅ぼし編はまさに反転したレナの姿そのものですね。オルタレナという奴でしょうか。

身の丈に合わない願望や希望は身を滅ぼすだけ。それはいずれ絶望へと変わってしまうから。

このあまりに悲しい思い込みを僕は何としても打ち砕かなくてはいけない。

身の丈に合わなくたってそれについて楽しそうに語る人の姿を見れば、どうにかしてあげたいと思うのが人ってもんだろ。

諦めてほしくないと思うのが人ってもんだろ。

まして日々一生懸命頑張っている人の身の丈に合わない願望や希望を聞いて、馬鹿にする人がいるというのか。馬鹿にする奴は本当の馬鹿だ。

わがままも文句も言わず日々一生懸命頑張っている人がぽつりともらした本音、それに心打たれない人がいるはずがない。

助けてくれる人がたくさん集まってくる。代わりに橋をつくってくれる。壁の向こうにたどりつけるように階段を作ってもくれる。

それを申し訳なく思う必要は無い。当然のお返しなのだから。

だから、身の丈に合わない願望や希望を抱いたっていいんだ。それは決して絶望へと変わったりはしない。諦める必要は無いんだ。