ノングサプーラにあるゴルフクラブから車で約45分、戦時中に旧日本が占領したことによりこの地名が付けられたと言われている、バタム島イチの繁華街『ナゴヤ』へ行ってきた。
知人の友達のインドネシア人Jは観光ガイドが本業なため英語がとても達者だった。
観光客を送り迎えしたり、街を案内するために使用するという車はバタム島には似つかわしい、新品同様のピカピカなトヨタの四区だった。
中古と言えど、日本円で約160万円もしたという。
インドネシア人の平均月収からしたらあり得ない高級品なのだが、彼はこれを20年ローンで購入したと言っていた。
車に20年ローンって!!インドネシアで車を購入することは、日本で家を購入するみたいなことなのだな…と染々。
彼は英語が話せるため、インドネシア人の平均月収よりはるかに上の収入を得ているらしく、彼にはどことなく余裕の表情が見受けられた。
ナゴヤまでの移動中、私は彼に「どうしてそんなに英語が話せるの?」と尋ねた。
彼は「普通は義務教育中に学校で習うだろうよ」と、逆に日本で四大まで出たのに何故君は英語が話せないのか?と不思議がった。
ああ、日本人って恥ずかしいなぁ。
十分な学習期間が与えられて、塾だの何だの行くことが当たり前な時代なのに、何故英語が話せないのか?小学校・中学・高校・大学と全ての時期に必修科目で英語があったというのに、世界に通用するような英語はこれっぽっちも身に付いていない。
特に私は学業を疎かにし過ぎてきたのかもしれないが、「とりあえず日本語喋れりゃいいでしょ。」なんつー気持ちでいたら、これからは本当に日本は沈没してしまうかもしれない。
海外に出てつくずく感じることは、大抵の人が母国語と英語、最低2ヵ国語は話すことが出来るということ。
そうでないと仕事にならないことが多すぎるからだろう。
皆必死になって覚えるのだと言う。
日本は先進国の中でも特にインターナショナルに欠けている国で母国に固着しすぎる面がある。
それでまかり通った時代は私の両親などがそうである団塊の世代、叔父や叔母のように戦争を体験している世代の努力によって復興を遂げた先進国『日本』の時代まで。
団塊の世代の申し子(ベビーブーマーの子供)は、日本のバブル期やそれの崩壊、超就職難など苦難な時代を体験しているだけあって能力のある者が多くいるものの、彼等に次ぐ私達の世代はゆる~くぬる~く生きて来れたものだから『危機感』というものに鈍感で、何かと逃げ腰になる傾向にある。
「まぁいっか~」「どうにかなるさ~」
たまにはこんな気持ちも必要だが、これが幼い頃からの教育に強く反映されているとしたらかなり恐ろしい。
インドネシアのバタム島やビンタン島の人々は観光に携わる仕事につかなければ家族全員が十分な生活を営むことが出来ない。
だから金銭的な無理をしてでもキャディーの養成学校(二年で二万円だそう)へ通い、英語などを学ばなければならない。
バリ島の観光ガイドをしていると言うインドネシア人のSも日本語学校へ二年通い、今では日常会話ならばほぼ完璧に日本語が話せるのだという。
費用はキャディー養成学校と同じく二万円。皆ローンを組んで学校へ通い、出世払いするのだそう。
しかも、どの家庭でもちょっと金銭的努力すれば行くことができるというレベルではなく、多少なり裕福な家庭でないと義務教育後、そこまでの学校は通えないらしい。
今やインドネシアでも高卒は当たり前のことらしく、それ以上の教育を受けた優秀な者だけが有名なホテルや観光に携わる全うな仕事につけるというのだ。
「日本人は学校で英語を習っているくせに、話せない人がほとんどなんだよ。」
インドネシア人のJにそのことを話すと、彼は大きな目を更に見開いて驚いていた。
「でもさ、日本は安全で良い国だというじゃないか。どうなんだ?」
日本=安全 といったイメージは、まだ世界に通用するのだと思う反面、現実はそうでもないことを思うと日本人の私は少し複雑な気持ちになる。
「たぶんね、日本よりもバタムの方が安全だよ。人を殺めたり、凶悪な事件も多々ある。一番よくないことは自殺者が世界一多いことだよ。」
私が拳銃を構えるポーズや腹切りの仕草をすると、Jはまたまた目を大きく見開いて、
「日本はそんな国なのか。バタムでは小さな事件(窃盗とか)は頻繁にあるけれど、人を殺めるような事件は年に1~2回くらいしかないんじゃないかな。バタムは平和なんだな。」
人が手を付けていないようなジャングルの中のダート道を抜けると、徐々に舗装された道路が見られるようになってきた。
バイクのオイルをペットボトルに詰めて路上で売りさばく少年が居るような貧しい土地があったかと思えば、途端にチャイニーズが多く住む高級住宅街や開発途中のショッピングモール、日本の企業(パナソニックなど)の工事が立ち並ぶ街並みへ様変わりしたり、フェリーターミナルから陸地へ奥へ進めば進むほど都会的になる街並みが不思議で仕方がなかった。
「危ないと言えば、日本にはマフィアが居るんだろ?バタムには居ないけどさ(笑)」
ここでも聞かれるとは思わなかった、ジャパニーズマフィア=ヤクザ。
世界的に日本のヤクザは有名らしい。ちょっとした雑学だ(笑)
Jとの会話が尽きない中、お目当ての街、『ナゴヤ』へ到着。
一番大きなショッピングモール『ナゴヤヒル』がドン!と佇む、それだけなのだけど、これからは観光客向けに新しいショップがどんどんオープンする予定なのだとか。
シンガポールのショッピングセンター『ジャイアント』のような佇まいのナゴヤヒルは、特にコレといった興味をそそられるようなショップも無かったのだけど、インドネシアさながらの価格設定に度肝を抜かれた。
シンガポールで購入すれば600円はくだらないバスタオルがナゴヤでは破格の8円!だったり、サンダルなども10円ほどのものが目白押し!
移動時間が2時間もかからない場所なのに、国境を越えればこんなにも物価が違うことに驚きを隠せなかった。
もうひとつは、明らかな高級ブランドのコピー商品が堂々と売られていること。
大物であればシンガポールへ入国する際に税関で止められるだろうが(汗)、ひどいコピーから韓国などでよく見られるスーパーS級のコピー商品まで幅広く販売されていた。
インドネシアではフェリーターミナルでも「オリジナルだよ~(本物だよ~)」と販売されている、『ポロ・ラルフローレン』擬きの洋服(笑)。
あまりにもオリジナルだと言うから製造元を聞いてみると、「メイド・イン・ジャカルタ!」と自信満々に答える店員。だいぶ怪しい~(笑)
ナゴヤヒルでは楽しそうにショッピングをしたり、ファーストフード店でたむろする(日本みたいだった・笑)中高生が居たりととても賑やかで、先ほどのようにバイクのオイルを売りにくるような少年はまるで見られなかった。
ナゴヤヒルからさほど遠くない場所にもうひとつフェリーターミナルが出来るらしく、その界隈のシーフードBBQのレストランで夕食をとったのだが、そのレストランの隣にあったゲームセンターに、なんとインドネシア版プリントクラブ機があったのだ!
プリクラ機のイメージガールももちろんインドネシア人。
インドネシア人は美人が多いのでプリクラ機のモデルもかなり美形だった。
こんな現代的なゲームセンターがあるにも関わらず、そこに隣接されていたトイレは水汲み式のインドネシア式トイレだったけれど…。
なんだか異色のコラボを目の当たりにした気がして面白かった。
あ、ちなみに私は水汲み式のトイレにはまだ抵抗があって入れないので、その時は我慢したのだけどね。。
インドネシア人のJには娘が三人いるらしい。
「女の子も可愛いけれど、一人くらい男の子が欲しいでしょ?頑張っちゃいなよ!」
私達がそう言うと、Jは笑いながら
「そうだね~。男の子も欲しいよ。でも税金が高くなっちゃうから作れないんだ(笑)」
よくよく話を聞いてみると、なんとインドネシアには中国の一人っ子政策ならぬ、『三人っ子政策』という制度があるらしく、三人以上子供を授かると、国におさめる税金の額がグンと上がってしまうのだとか。
でもさ、今の日本の最悪な出生率からすると、三人くらい子供を産むことができたらどれだけ国が発展するだろうと羨ましく思った。
インドネシアよりも平均的な所得が多い日本でありながらも、子供を多くもうけることに不安感を抱いてしまう日本の政治や社会には疑問視するところだらけだな…なんてつくずく感じた出来事だった。
食後は一時間半の足裏マッサージをしてもらいにいったのだが、そこで流れていたローカル番組の中に、日本のアニメの『ナルト』と『名探偵コナン』があったことに驚いた。
特に名探偵コナンの方は、主題歌とエンディング曲が倉木麻衣と日本と変わりないのに対し、当たり前だけど言語はインドネシア語に吹き替えられていて、しかも日本の声優の声に極力似せているのであまり違和感がなかったことに感動した。
以前見たことのあるドラゴンボールは、セリフというよりうめき声や叫び声が多いためか?全くもって悟空もベジータ様も別人になっていて残念だった…。
ちなみにここのマッサージは痛すぎて、当分揉み返しに悩まされましたとさ。
新しいフェリーターミナルができるころ、また行ってみたい場所である。
