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私の酒貯蔵庫、通称「たからばこ」から発泡酒を一本冷蔵庫に入れた。

最近、夜になると前のような不安感や鬱々感が襲ってきて不眠症になっているからだ。

それの対処法として、50円のビデオ達やお酒様を買い揃えたのだったが、今夜は映画だけでは何やら気持ちがおさまらない。

やたらと苛々したり虚しくなったり。
きっと、私も一応女だから、月に一度の嫌な時期が近付いている証拠なのだろうけれど。

とにかく昨日から今夜にかけては鬱々感がとれなくて、空腹になってはいるものの食欲もなく、頼るものといえば飲み込めるもの。
スープだとか、水分の多い果物だとか、アルコールだとかになるわけで。。

先日アルコールで痛い目を見た私の身体だったけれど、今日のような夜には必要不可欠なようで一本だけ、冷蔵庫に忍ばせておいたのだ。

なるべく呑まないでいようと、大好きなニコラス主演の映画だからと購入したラブコメディー『ハネムーンインベガス』を観て気を紛らわせていた。

普段ラブコメディーなどには、全くと言って良いほどご縁がないのだが、何も考えないで観ていられるという、就寝前にはもってこいのジャンルであるため購入した次第である。

やっぱりいつもどこか頼りないニコラスで、気持ちもほんわかしてしまうラブコメディーなのだけれど、今宵の私にはそれすら鬱々する原因になったりして。

そんな時のための最終手段、キンキンに冷やしておいた発泡酒でも呑みながら、気分を変えてマフィアがどーとかいうブラックな内容の映画にシフトしようと冷蔵庫に向かった私。


が、つい三時間前に入れたはずの、たった一本だけの(在庫ナシ)発泡酒がないではないの!!!

鬱々してます、私。
唯一の楽しみにしていました、私。
だから事前に時間もよんで冷やしていました、私。。

最近私が購入したアルコールを、調子コイて飲んでる人がいました。
いつもはね、許せたよ。だって在庫もあったし、こんなに思い入れもなかったんだもの。

しかし毎日の日課になりつつある彼女の行動に、今日の今日ばかりは私、腸煮えくりかえるどころか、悲しくて悲しくて、泣きたくなっちゃった(女の子の日が近いからか?)。

今日の今日ばかりは黙って見過ごせなかった私、彼女の寝室へ行きました。

案の定アルコールのんでも眠れないタチの悪い重度の不眠症だから起きていましたよ。。
せめて可愛らしく、その発泡酒のルコールが効いていて寝ていて欲しかった!!

あたしは一本で眠れるんじゃー!!


母の風呂あがりの日課になった発泡酒イッキ。
今日の今日は、私の気持ちをぶちまけましたよ、最初から入っていたものではないということ、母が自分で購入している『キリン一番搾り』があるにも関わらず、何故私の酒を飲んだのか?ということ。

も~!悲しくて悲しくて、仕方ない、前に入れておいたチューハイを持って部屋へ戻ってきたけれど、今は甘いものは要らんぜよ。
はきそうなくらい、今日は不味いよ。

『アナライズミー』にも集中出来ず、悲しさ余って目も冴えに冴えてきて、ネガティブモード突入。

なんて最低な連休なんだ!
ほかにも愚痴ってしまえば、何故母は私に父がハート柄合鍵を持っていた!なんて話を聞かなくてはならないのだろうか?

私がこんなんなってる原因を一番知っているのにも関わらず、何故良くなりかけている私にそんなことが言えるのか。

最近食欲が無いのも実をいうと実家の中だけだというのに。
せっかく引っ越して家が広くなり自分の部屋が出来たにせよ、家族が集まるべき場所、コミュニケーションをとるべき場所である食卓は、私にとって地獄のようなものである。

せっかく腕によりをかけて作る母の手料理も、心ない家族の一言によって彩りを失う。
日本に帰国してから、私は実家のリビングに、食卓に何回腰をかけただろう。

きっと何分も居られなかったはずだし、なんてことない会話さえしていない。
父がいなけりゃニュースも流れやしないテレビにももう飽き飽きする。

そりゃあ狭かろうが居心地が悪かろうが、とりあえず家の中に居れば何も言われなくて済む自分の部屋に閉じ籠るしかないだろう。

しかしあまりに部屋に居すぎると、母が注意しにくるのだ。私の掃除の仕方にイチャモンをつけにくる。
私が日本に居ない間、よくよく私の部屋を使用していたからだそうだ。


ん?そこで疑問が生じる。
ここはやっとてにいれた私の部屋(居場所)ではないのである。
母の夢見た引っ越し、母の思い通りの部屋達、全て母の思い通りにしておかなければ、イチャモンをつけられる。
私は実家に居ながらにして、居る(生きられる・居きられる)心地がしないのだ。

自分で洗濯しなさいと言われたため、言うことを聞いて洗濯をすれば、こんな柔軟剤を使わないで!
と言われ、

自分で料理をしなさいと言われたので調理をすれば、あーだこーだと指図をされる。
キッチンというものは母の、主婦の基地なのだ。
何でも自分でやれ!という割には陣地を荒らされるのを嫌がるため、私はどうも抵抗することが出来ず、母のキツい言葉、際どい言葉にも我慢をし、普段は頑張って平常心を保っているフリをしているが内心はズタボロなのである。

そこで居場所ということを考える。実をいうと、父がこの引っ越しに賛成をしたのは、私の居場所を作ってあげようという思いがあったためなのだ。

しかし現実はどうだろう?母の決まり事に全て従わなければならない、堅苦しい家である。
よく母は、家が変われば父も毎日帰宅してくれるようになると思っていた。
などと言う。

ノンノン、なんてナンセンスな考えだろうか。
変えるべきことは母自身だというのに、誰の助言も受け入れない。
もう、一生涯頑固でいればよい。
娘だからとか、年下だからとか、差別するのはやめてほしいものである。
間違っていることは誰に対してでせよ(しかも家族なら尚更)注意するのが当たり前である。


自分の居場所は自分で見つけなければならない。これは私の生まれた時からの課題なのである。
本当は居場所で良い場所に、常に退去を願われているのと同じ状況なのである。

私の頭は柔軟性に欠けているのは自身でも承知のことであるが、なぜ親子で無駄な傷付けあいをしなければならないのだろうか。

逃げ場を探せば不届き者だと罵られ、それがたまたま好意を持った男性の居る場であったとしても卑猥な娘だと侮辱される。

優しくされたいのは私であるのに、どれだけ猫を被って優しく、極力トゲの無い接し方をしてあげなければならないのだろうか。

私は両親が生きぬくためのリハビリをするために生まれてきたわけではないのに、何故自分を強く持ってはいけないと言われなければならないのだろうか。

人権侵害である。
日本は大好き、親族も愛している。だけれど、私が私らしく生きるためには身近に困難な障害がありすぎる。
いつも帰国するとこんな感情が蘇る。最近では、このような感情を極力、表に出さないよう出来るようにもなってきた。

けれど、だけれども、私と母、私と父と間には、どうも埋めようにも埋まらない深い溝があるのである。

それらを埋める作業よりも、それらがあるという現実を受け入れ、自身の幸せを見つけることに必死になることが私にとって最優先なのだと考えている。

私の大好きな姉さんの言葉で、『私にとって旅というものは、人生最大の暇潰し』というものがある。

なんだかとてもとても、深い言葉であるなと感じずにはいられない。

受け取り方は様々であるけれど、『人生の暇を潰す』という考えは、人生ということを長く、無なものであると定義した例えなのではないかと考えた。

私は自分らしさを得るため、せっかく授けて頂いた生をプラスに使わせて頂くことができるような時間を過ごしたい。

旅をすることも私にとっては、『自身の生を受け入れるための一手段』であると考えている。

色々な土地で1日1日を過ごすことが出来るということは、幻でも何でもなく、紛れもない私自身の生の証なのだと考えている。
それらに流れる時間が、消えそうになっていた私という生を蘇らせてくれるだろうと信じている。

個人個人の、生の時とは当たり前に過ぎ去るものであるが、その中で生きている実感を得られることが、生きることの最大の意味だと、私は考えている。

私の心臓は、今現在も絶やず鼓動しているけれど、私の心は今にも停止しそうなのである。

贅沢な悩みだ、くだらねぇ。
いくらでもそう、思って頂いて結構。

環境は自分で変えるもの。両親には生んでくれてありがとう。
エージェーが言っていた。
無理に親孝行しようとしても無駄なことが、最近やっと分かってきたよ。


チューハイは一口でお手上げ。こんな私もお手上げさ。。
このブログもすぐ消しちゃうかも。こんな自分はもう、見たくないんだ。