20年前に突如起こった神戸の大震災。
復興作業で仮設住宅を建てに行ったあの思い出。
設定というか自称というか、現在27歳設定なので、復興作業に行ったのは7歳の頃となる事は優しく受け流していただきたい。
遊びにしか興味がなく、その遊ぶ金の為に汗水垂らしてたあの頃。
若い胃腸は毎食ご飯3合を平らげ、燃費が今に比べ非常に悪かったあの頃。
プレハブ大工をしていた俺に、神戸行きが告げられたのは震災からしばらく経った頃でした。
震災のすぐ後に行った俺の先輩達。
「俺は呼ばれないだろうし関係ないな」なんて思ってて、ニュースもろくに見ていなかったから現地の様子すら知らなかった。
先輩達が帰ってきて「道なんてまともな状態じゃねえぞ」と言われ、そして第二陣として神戸に行く事になりました。
俺が到着した頃は少し落ち着いた時のようで。
先輩達が言うには「だいぶ道通れるようになったな」との事。
それでもインフラの整備は完璧ではなく、倒壊した家屋や、車で通る事のできない道々、バス停には長蛇の列ができていて、交通の便の悪さを目の当たりにしました。
毎日朝から資材を運んだり、プレハブの内装の工事をしたり。
会社が注文した箱いっぱいの白飯と、ふた切れの卵焼き、昆布の佃煮という質素な200円弁当で昼を済ませ、暗くなってもきりの良いところまで止める事のない工事。
ホテルに戻っても遊びに行く元気もなく、飯食ってすぐに眠る日々でした。
でも若さとはやはりすごいもので、しばらく経つと「いやいや遊んでおかないと損でしょ」という気が起きてきます。
次の朝の事など考えもせずにナンパに繰り出し、気になる女の子に次々声掛けるもほとんど玉砕。
よくよく考えれば、震災後で家族の健康被害や家の復興に追われている地元の女の子、ナンパとかそれどころじゃないっすよね、でも若いからそういう事に気付けなかった訳ですよ。
でもナンパした女の子達からは「東京もん?」と聞かれ、復興作業の為に来てる事を告げると、皆往々に「ありがと、頑張ってな」と言われた思い出。
ナンパがうまくいかず、その後先輩に連れられ、当時7歳設定の俺は福原という場所に連れていかれるのですが、その話は割愛します。
福原という場所がどういう場所なのかは、調べない勇気が大切。
初めて行った関西が兵庫県、驚いた事は大変な惨事に見舞われたのにもかかわらず悲観的な表情をあまり見掛けなかった事。
きっと大変大変と言うよりも、前をきちんと向こうとしてた人にばかり出会えたのかも知れない。
俺の知り合いの神戸出身の人は言います。
「復興した復興したと言うけど、あの地震の以前の神戸の元気さはもう戻らない」って。
日本では各地地震やそれ以外にも自然災害が時折見受けられます。
まあ自然災害は人間が太刀打ちできる事ではないですし、そういった太刀打ちのできない事は地球のどこにいても起こりうるのでしょうけれど。
防ぐ努力、二次三次の災害を出さない努力、起きてしまった惨事を助け合い乗り越える努力、そしてそれを応援する努力。
救援物資を我先にではなく、ブロックを隔てた集落へと気遣える日本人。
俺は幸いな事に、今まで自分の人生に直結するほどの自然災害には遭遇した事がなくて。
だからいざ自分が遭遇した時には、家族含め人を元気付けられるようになりたい。
大体その当時(7歳設定)の写真。

うつるんですって今の若い子知っているのかい?
復興作業で仮設住宅を建てに行ったあの思い出。
設定というか自称というか、現在27歳設定なので、復興作業に行ったのは7歳の頃となる事は優しく受け流していただきたい。
遊びにしか興味がなく、その遊ぶ金の為に汗水垂らしてたあの頃。
若い胃腸は毎食ご飯3合を平らげ、燃費が今に比べ非常に悪かったあの頃。
プレハブ大工をしていた俺に、神戸行きが告げられたのは震災からしばらく経った頃でした。
震災のすぐ後に行った俺の先輩達。
「俺は呼ばれないだろうし関係ないな」なんて思ってて、ニュースもろくに見ていなかったから現地の様子すら知らなかった。
先輩達が帰ってきて「道なんてまともな状態じゃねえぞ」と言われ、そして第二陣として神戸に行く事になりました。
俺が到着した頃は少し落ち着いた時のようで。
先輩達が言うには「だいぶ道通れるようになったな」との事。
それでもインフラの整備は完璧ではなく、倒壊した家屋や、車で通る事のできない道々、バス停には長蛇の列ができていて、交通の便の悪さを目の当たりにしました。
毎日朝から資材を運んだり、プレハブの内装の工事をしたり。
会社が注文した箱いっぱいの白飯と、ふた切れの卵焼き、昆布の佃煮という質素な200円弁当で昼を済ませ、暗くなってもきりの良いところまで止める事のない工事。
ホテルに戻っても遊びに行く元気もなく、飯食ってすぐに眠る日々でした。
でも若さとはやはりすごいもので、しばらく経つと「いやいや遊んでおかないと損でしょ」という気が起きてきます。
次の朝の事など考えもせずにナンパに繰り出し、気になる女の子に次々声掛けるもほとんど玉砕。
よくよく考えれば、震災後で家族の健康被害や家の復興に追われている地元の女の子、ナンパとかそれどころじゃないっすよね、でも若いからそういう事に気付けなかった訳ですよ。
でもナンパした女の子達からは「東京もん?」と聞かれ、復興作業の為に来てる事を告げると、皆往々に「ありがと、頑張ってな」と言われた思い出。
ナンパがうまくいかず、その後先輩に連れられ、当時7歳設定の俺は福原という場所に連れていかれるのですが、その話は割愛します。
福原という場所がどういう場所なのかは、調べない勇気が大切。
初めて行った関西が兵庫県、驚いた事は大変な惨事に見舞われたのにもかかわらず悲観的な表情をあまり見掛けなかった事。
きっと大変大変と言うよりも、前をきちんと向こうとしてた人にばかり出会えたのかも知れない。
俺の知り合いの神戸出身の人は言います。
「復興した復興したと言うけど、あの地震の以前の神戸の元気さはもう戻らない」って。
日本では各地地震やそれ以外にも自然災害が時折見受けられます。
まあ自然災害は人間が太刀打ちできる事ではないですし、そういった太刀打ちのできない事は地球のどこにいても起こりうるのでしょうけれど。
防ぐ努力、二次三次の災害を出さない努力、起きてしまった惨事を助け合い乗り越える努力、そしてそれを応援する努力。
救援物資を我先にではなく、ブロックを隔てた集落へと気遣える日本人。
俺は幸いな事に、今まで自分の人生に直結するほどの自然災害には遭遇した事がなくて。
だからいざ自分が遭遇した時には、家族含め人を元気付けられるようになりたい。
大体その当時(7歳設定)の写真。

うつるんですって今の若い子知っているのかい?